自分の中の掃除をするためにいろいろな扉を開けていく作業を進めていくと、カギの掛かった扉の向う、まるでヘドロのように渦巻いていた怒り、恨み、憎しみ、寂しさ、妬み、絶望、恐怖たちと出会う。
押し込められ、無視されつづけてきたそれらの感情たちはめったに表に出る事はなかったけれど、それでもなくなる事も無くひっそりと心の深淵にありつづけ、時々溢れそうに膨れ上がりながらもそれを更なる圧力で封じ込められてきた。
・・・私は、彼らと仲直りしなくはいけない。
怒ること、恨み憎むことは、辛い。
寂しく妬むことは、どこからみてもやっぱり寂しい。
怖いこと、絶たれたことは、未治療のままほっておかれた今も痛む傷口だ。
それは、世界でたった一人、受け止めて癒す事の出来る「自分」に見捨てられ、ずっとずっと置き去りにされてきた過去たち。
でも、いざ彼らと接触すると、そのあまりの力に圧倒されてしまう。
人間は感情の生き物だと、いまさらのように思い知らされる。
自分の事が好きになれていない所を見ると、まだまだ彼らを引き受けきっていないようだ。
そんな日々の中、少しだけわかったこと。
時々、愚痴としてこの日記に書かれる、前の職場の上司の事。
「お前の父親になってあげる」と言ってくれた日から、私は彼に心酔した。
変わり者だったがその筋では有名な人だったし、無論仕事も出来た。
「○ー○○(彼が決めた私のニックネ-ム)の考えている事くらい、何だって解かる」とよく言ってくれたし、実際、沢山の事をわかってくれた。
普通に考えてみれば無論、他人の事を何もかも理解できるハズなどないし、その他人の父親になどなり得ないのだが、私は彼の言葉をあまりに真に受けすぎていた。
そういう意味では、彼は少々意地の悪い人だったと思う。
たとえ、私を喜ばそうと言ってくれた言葉だったとしても。
感情に素直な人(もしくは、そうであろうとした人)で、部下相手でも嫉妬したり、見栄を張ったり、自尊心の強さを見せつける人だった。
今思えば、私の彼に対するスタンスは単に上司と部下を超えたものだったように思う。
私は、彼の何気ない言葉をきっかけに、ありもしない幻想をかってに彼に抱いていた。
エピソードをあげていけばいくらでも恨みつらみは書けるけれど、静かに振り返ってみれば、当然感謝すべき事も沢山ある。
ただ、彼の持ち物は一つしかなく、例えて言うなら何にでも「ソース」をかけて調理しようとしていたのだとわかる。
相手がオムライスだろうがソバだろうが、そのたった一つのソースをふりかけて食べる。
不味ければ、食材の悪口を遠慮なく言った。
ただひとつ、彼は一流のソースであろうと努力をする人だった事は間違いない。
よく、「誰か俺を上手く使ってくれないかな」と言っていたのを思い出す。
結局、私という食材はソースには合わなかった、というただそれだけの事だったのだろう。
その事に気ガついてみれば、彼に対していろいろとあった感情は、さらりと溶けて流れていってしまった。
いずれ、私が抱え込んできたいろいろなことも流れていく日が来るだろう。
きっと、こんな風に。
・・・・もう、日記に彼の悪口を書く事はなくなりそうだ。
そして、それはもちろん、気分のいい事でもある。