雨上がりの夜空に | てざわりの記憶

てざわりの記憶

目で、手で、耳で、時には舌で触れる日々の手触り。

その記憶。

どっど~ん


ずばばばば


ずっしゃ~ん


ごごごごご(ぽこ~んぽこんぽこんぽこぽこ)


 ・・・ぽこんぽこんは何の音だ?

正解は波の後を追いかけて海に向かって転がっていくちっちゃなポリタンクでした。


 普段なら海水浴客でにぎわうこの浜辺も、大型で強い、なんて言うたくましい肩書きの台風に来られたのではまったく形無しだ。

おなかに響くような深く、重い海の音。

この音は、まさに今、ここでしか味わえないほんもののナチュラルサウンド。

まして、テレビの前でなんてけっして解かりはしないのだ。


 大雨、洪水警報、波浪注意報、河川の増水にご注意を。

山間部では、ここ数年のうちで土砂災害の危険性がいちばん高まっております。

都市部でも冠水の危険が高まっており、現在府内町の一部などで・・・

豊後大野地区では送電線の断線による大規模な停電が発生中。

現在、JR久大線と日豊本線は上下とも運転を見合わせております。

大分空港では視界不良のため現在全ての機の離発着を中止しており、等々。


・・・で結局、私はこんなところで何をしているか、と言うと。


 「はい、こちら大志木海岸の佐伯です!ごらんのように、この時期真夏の海水浴客で・・・きゃ-!」

突風にふらつきながら実況を続ける私。

『ダイジョウブですか、佐伯さん!?』

うるさい、心配するんだったらさいしょっからこんな中継なんかやらせるな。

「はい、大丈夫です。え~、現在風速40メートル、雨量も降りはじめから、ぐふ!」

ぽっこ~ん

なにやら小さなポリタンク状のモノが私の側頭部を直撃した。

イヤホンを通じて聞こえるスタジオ内の笑い。

『佐伯さん、本当にだいじょ~ぶなの~?』

にこやかなアホタレントの声が私の神経をさらに逆なでする。

今にも波にさらわれそうな小柄の女子アナを海にたたせて、悲壮感を演出しようとする作戦だろうが、そうはいくか。

見てなさいあんたたち、私ここで死んでやるから。

痛~い映像生中継させて、責任問われるがいいわ。

「大丈夫です!えっと・・・」


 「おつかれさまでしたっ」

「いそげ撤収、撤収」

結局ロケは無事に終わり、レインコ-トを脱いで移動用のバンに駆け込み、バスタオルを頭からかぶった。

「おつかれ佐伯さん、運がわるかったねぇ」

なじみのおじいちゃん運転手、国東さんが運転席から振り向いて、缶コーヒーを手渡してくれる。

「はは」

短く笑い、丸めたレインコ-トを後ろに投げる。

「国東さんも。局の前冠水してるって聞いたけど、よくここまで来れましたね」

どうも、とありがたくを受け取り、伸ばしたツメに気をつけながらそっと開けた。

コーヒー独特のいいかおりが、ずぶぬれの脳髄にしみる。

「まあねぇ、ガボガボいいながら何とか来たよ。それより佐伯さん、夏休み中だったんでしょ?せっかく泊りがけで関まで来てたのに、こんな中継に借り出されちゃって」

「・・・ヒマしてたのは事実ですよ。それに」

「それに?」

「ほんものの海の音が聞けたから、よしとします」

「ふうん、じゃ、次の台風でもやる?もう発生してるみたいだし」

「いいですけど、次こそ波にさらわれて死んでやりますからね。こうして私は、危険な台風の現場に借り出される全国の女子アナの未来を救ったのでした」
「・・・海っ娘の佐伯さんが、波くらいで死ぬかねえ」

「ま!このご時世、そのような発言はパワハラ扱いですのよ、国東のおじさま」


 ばたばたと他のスタッフたちがバンの中に駆け込んでくる。

みな口々に番組D(デレクター)への呪いの言葉を吐きながら、投げ込むように機材を後部へ放り込んでいた。

「国東さん、でっぱつでっぱつ。こんなとこ、とっととオサラバしよう」

そんなセリフとともにスライド式のドアが乱暴に閉められ、「決して近寄らないように」などと自分らで言った海岸から、私たちは逃げ出した。


 びぃゆ~う、と電線を鳴らしてつっぱしる風の音に追われながらなんとか国道に出た私たちは、一旦手近なコンビニの駐車場に入る。

「佐伯さん、どうする?ホテルまでは送っていくけど、この分じゃ明日も海は大荒れだよ。キャンセルして帰るんなら、ホテルからそのまま自宅まで送っていくけど」
私は首を振った。

「まさか。台風でホテルに閉じ込められるなんて、素適な休日だとおもいません?」

一同は呆れ顔だ。

「あいかわらずな佐伯ちゃんだ。わかった、ホテルまで送っていくよ」

「よろしく」

満面の笑顔で私はうなづいた。


 ホテルの部屋に戻った私はすぐにル-ムサ-ビスで一階の喫茶店のチョコレ-トケ-キとポットの紅茶のセットを頼み、着ていたス-ツをベッドの上にわざと乱暴に脱ぎ散らかした。

そうやってジ-ンズとTシャツになってホテルご自慢のオ-シャンビューの大きな窓の前の椅子に腰を落ち着けるころになると、やっと人心地がついた。

視界いっぱいの、一種禍々しい暗さを持った雲。

まるで誰かがびしょびしょの洗濯物をこっちにむかって振り回しているかのような叩きつける雨。

行ったり戻ったりを気まぐれに繰り返す風。

あんなに綺麗な色だった海も、いまやすっかりご機嫌ななめの暗緑色だ。

・・・これはこれで、なんだか落ち着く気分になるから不思議。

子供の頃は台風が好きで、一番暴風雨が強い時間に雨戸を開けたくて仕方が無かったっけ。

あの頃の私にこれを見せたら、さぞかしはしゃいだ事だろう。


 とまあ、そんなとりとめも無い事を考えていると部屋のチャイムが鳴った。

私はさっそく扉を開けて、紅茶セットをもったウェイターさんを中に招き入れた。

「窓際の丸テ-ブルの上に置いてくだ・・・・」

そう言って指差したテ-ブルの上。

どこかで見たことのある青い小さなポリタンクが鎮座していた。

無論、さっきまでそんなものはなかったし、私自身現場からゴミを拾って帰るほど慈善家でも変人でもない。

しかしどうみてもそれは、中継の最中に私の頭を直撃した例のモノであった。

指差しポ-ズで固まった私は、部屋の中ほどで困って振り向いたウエイター氏としばし無言で見詰め合う。

風と雨の音と紅茶のいい香り。

そして途方にくれた人間二人。