こんにちは。
今更なのですが、今日はBSフジでやっている中国ドラマ
「項羽と劉邦 King's War」について書いてみようと思います。

http://www.bsfuji.tv/kingswar/

さて、今日は魏豹の婦人

薄姫」です。

あんまり美人じゃないですね。
でもこの人、美人であってはいけないのかもしれません。
最初、こんな人まで出るのか、なんて思いましたが、実はこの人、重要なキャスティングボードを握っていたんですね。
もっとも、薄姫が重要になるのは、劉邦が死んでずっと後の話ですが。

ドラマでは庶民の出、と言っていましたが、史実では母親が魏王室の血胤だったと思います。
「薄姫」の「姫」は「ひめ」という意味ではなく、「姫姓(魏王室の姓は姫)」という意味なのです。
たぶん。

それはそうと。
ドラマでは魏王・魏豹の夫人として登場します。
史実では劉邦が旗揚げした当時の魏王は魏咎なのですが、ドラマではわかりやすく魏豹が最初から魏王です。
魏豹は「酒と女に溺れる人物」「役立たずの魏豹」などと酷評されるとおり、すがすがしいほどの無能っぷりを見せつけてくれます。
そのくせ中途半端に野心があって、それに見合った才覚もなく臣下にも恵まれず、身の程をわきまえない魏豹に、薄姫はたびたび助言を与えます。

魏豹も薄姫の機嫌を損なわないよう、薄姫の言うことをよく聞き、何かあれば薄姫に意見を求めます。
そのため「魏豹は婦人の言いなり」と陰口を叩かれていますが、薄姫の知恵はあくまで「生き延びたければこういうことをしてはだめ」といった、処世術です。

魏が漢に攻め滅ぼされたあと、魏豹の見苦しい態度に愛想をつかせた薄姫は劉邦の後宮に入ります。

さて、ここからは史実でのお話。

この人劉邦から寵愛を受けることはなく、甲斐甲斐しく働く姿を憐れんだ劉邦から一度だけ寝所に召され、その後もほとんど顧みられることはありませんでしたが、そのわずか一回で妊娠し、男子を産みます。
この人、美人であってはいけないのかもしれません。

のち、劉邦の世継ぎを巡る争いが起き、呂
雉によって戚夫人や諸公子が迫害を受けた際も、目立たなかった薄姫親子はその迫害の対象とはなりませんでした。
この人、美人であってはいけないのかもしれません。
そして
雉の死後、旧臣たちによって呂一族が誅殺された後、呂雉による迫害を免れた薄姫の子・恒が三代目皇帝に立てられ、薄姫は皇太后として迎えられます。
この劉恒こそが、漢王朝に安定をもたらした名君・文帝です。
はるかのち、後漢の光武帝は呂雉から高祖皇后の称号を剥奪し、薄姫を皇后とします。
歴史上、薄姫は「薄皇后」と呼ばれることとなります。


劉邦の後継者を巡る女の争いの最終勝者は、呂雉でも戚夫人でもなく、この薄姫だったのです。

戚夫人が我が子を太子に、と猛烈にアピールして呂雉と争い、敗れて悲惨な最期を迎えたのに対し、薄姫は争わずにいたからこそ生き残り、生き残ったからこそ勝者となったのです。

なにはともあれ。

「三国志 Three Kingdoms」を楽しめた方には「項羽と劉邦 King's War」も楽しめるのではないか、と思います。

物語はすでに佳境に入ってしまっていますが、興味のある方は今からでもいかがでしょうか?