akariのブログ  けやきハイツ102 -16ページ目


サイにとっては、もはや離れて住む実のおじいちゃんよりも身近で、とにかく可愛がってくれる東京のじいじ。


先週の日曜日、ちほちゃんから、乙さんが入院してるらしいからお見舞いに行こうと誘ってもらい、さっそく行くことにした。


認知症も入ってると聞き、もう顔を見ても誰か分からないかもしれない覚悟をして、あやわこにテリーを預け、サイだけ連れていくことにした。

太陽が照りつける中、自転車で30分弱、喉カラカラで着いた病院は大きくて、乙さんがいるという病棟は設備の整った綺麗なところだった。

雰囲気的な流れで、ナースステーションを通り過ぎ、直接病室に向かった。

四人部屋の一人ずつ、カーテン越しに顔を覗いたが、ことごとく全員「?」顔をした違う顔のおじいさんだった。

「全員違うし!」

ちほちゃんと、空中に突っ込みを入れながらアハハと和やかに病室を出て、近くにいた若い看護師さんに訊ねた。


私達「〇〇さんという方が827号室にいると聞いてお見舞いに来たんですが。」

看護師さん「ご家族の方ですか?」

私達「いえ違います、知人です。」



看護師さんはこう言った。
「...昨日か一昨日に亡くなられてます...。」



一瞬時が止まったのち、軽く目眩がするような感覚を得た。


いつかこの時が来ることはわかっていたが、こんな形でやってくるとは思いもよらなかった。

何かの間違いであってもらいたかったが、何度聞き直しても現実であるようだった。


入院の知らせを聞いてすぐだったし、行けば必ず会えると思い込んでいた。

個人情報なので、家族じゃないとこれ以上は伝えられないと言われる。


認識されなかった時のために、急いでセブンイレブンで現像した写真をアルバムにしたものも、不器用な男サイが30分は部屋に閉じこもって書いた五行くらいの手紙も、生身の乙さんに渡すことは到底不可能になった。


乙さんは、この世にもういなかった。

え、どうして、間に合わなかった...、顔を覆って泣くことしか出来なかった。


突然の出来事が受け入れられず、立ち尽くす私達に、「こんな形で(伝えることになり)すみません...」と言った看護師さんの、ジッと前を見据えた目と硬い表情が忘れられない。


一旦落ち着こうと、デイルームに移動した。

色々と答え合わせをして、その後の手がかりを掴むべく、帰りにもう一度ナースステーションに行って違う看護師さんに食い下がってみようと二人で試みたが、個人情報なのでの一点張りのにらめっこで、結局何ひとつ得られなかった。







ちほちゃんと別れて帰宅後、やらなきゃいけないことはたくさんあるのに何も手につかない。


私とちほちゃんが泣いてた時はずっと困り顔だったサイが、キックボクシングの動画を見たいからiPadを貸してほしいと言い、1階の男子部屋に篭った。

しばらくしてわこが、「サイ泣いてるよ...」と言うのでソーッと見に行くと、それはもうわんわん泣いていた。私の顔を見てエスカレートして、嗚咽してひっくり返って泣いた。
俺乙さんに会えなかった、ずっと会ってない、なんで会いに行かなかったんだろう、会いたい、お葬式に行かせて!
私は、徐々に連絡が取れなくなっていった肝心な時にこそ行動しなかった自分のせいだと思い、胸が苦しくなって心から後悔した。







その夕方、あまりにも落ち着かないので子供達を連れて乙さんの家に行った。

親戚の人が中にいないか、大声を出して扉を叩くが応答無し。

ガラス戸が開いていたから、ついつい不法侵入してしまった。


生活の跡がそのまま残る、大量に物が積み重なった家の中の実態を目の当たりにして、途方に暮れた。

身寄りが姪っ子さんしかいない情報から、心配になって手掛かりを探したかったが、猛烈な蒸し暑さに数分で飛び出してしまった。

サイは扉の外で蚊に刺されながら、汗だくで私を待っていた。

何も出来ない中、家の門の前で子供達と手を合わせた。サイは、私が肩を叩くまで、最後まで何かを祈っていた。








ぴっぴを卒会して、パートを始め、きっちゃんは保育園に入り、日常的にプレーパークに通わなくなってからも、乙さんとのやり取りは細々とだが続いた。

下北の街でバッタリ遭遇して道端で話すこともよくあった。

そして定期的に電話が来た。

私が思うところ乙さんは夜型の人で、電話が来るのはいつも20時~21時。

夕飯の片付けだお風呂だ寝かしつけだと、何かと忙しい時間で、着信音を聞いても出られなかったり、通知を見て出ないことも正直あった。

そして翌朝掛け直しても、寝ているのか聞こえないかで、まず出ない。

掛け直した電話に出ないことにも、いつしか慣れてしまった自分がいた。


近年は耳がどんどん遠くなり、タイミングよく電話を取れても、大きな声でゆっくり話してもこちらの声は届かず、乙さんが話したいことを聞くだけで、会話というものは成り立たなくなっていた。

それでも、お互いに安否確認が取れ、乙さんもホッとしたように通話が終了することに意味はあったと感じていた。






サイの入園、入学の時にはお祝いを頂き、誕生日には図書カードを頂いていた。

子供たちが風邪を引いた、熱を出したと知ると、台車を引いて段ボールいっぱいのりんごを運んで来てくれたこともあった。

サイの中耳炎が長引いた時、ユキノシタの生葉から抽出した汁が効くという会話になったことがあり、鉢植えを持ってきてくれたこともあった。

その鉢植え、植物を育てられない私はやはり枯らしてしまい、ずっと罪悪感が残っていたが、いつの間にか種子が飛んだか、我が家とビストロの間に茂っているのに気付いた時には少し救われた。

元気な時代はうちまで来てくれて、せせらぎ公園で遊んでもらった。

サイが入学すると、運動会には応援に来てくれていた。









日頃のお礼に、乙さんの好きな無塩蕎麦を差し上げたり、お祝い返しに夫の会社のハンチングをプレゼントしたこともあったが、一度も被ってるのを目にしたことがなく、プレゼントに帽子は難しいことを思い知った。

いつも蕎麦なのもワンパターンだし、持病で減塩してることもあって渡すものに悩み、近年は何かしていただいてもお返しすら渡せていなかった。

思い起こせば今年六月のサイの誕生日にも、郵便受けに図書カードが入ってた。

何度電話をしても出られないので、諦めていた。

思えばもう体調が良くなかっただろうに、うちまで来てくれていたのだ。

もしかしてその前に着信はあっただろうか?
それすらもう思い出せないし定かではない。
日々余裕のない生活を送る自分の滅茶苦茶さを呪う。

乙さんは、お返しだとか、そんなこと求めていないだろうとわかっていても、いつも一抹の申し訳なさが残った。

いつもしてもらうばっかりで、私は何もしてあげられず、最後まで何も出来なかった。






「乙讃愚輔」は活動名で、本名は伏せていたこともあり、その私生活はヴェールに包まれた謎な男であった。

私はどこかで、その秘密主義に踏み込み過ぎないようにしていた。

何か知られたくない秘密があったら、暴いてはいけないような気がしていたから。

数年前にたまたま偶然自宅を知ったが、本名で書かれた表札を見て何となく、家を知ってることを本人にハッキリ伝えなかった。


六月にぴっぴの会から、包丁研ぎで荷物運びを手伝うために乙さんの家を知らないか聞かれ、力になれればと思い教えていた。

その後、ちほちゃんに誘われて家に様子を見に行った時が、乙さんと会って話した最後だった。

縁側の窓ガラスから、積み上げられた荷物や掛けられた服の隙間から、椅子に座って眠る横顔だけがちょうど見えていた。

まるで外から安否確認させる為の親切にも見え、その時はちほちゃんと笑った。

何度も窓ガラスを叩いて大声で呼んでいるうちに、目を覚まして起きてきた乙さん。

笑顔でいつもの口調、いつもの調子に見えて、途中まで私のことが誰かわかっていなかったし、頭はボサボサでお風呂にも入れていないようだった。

その時、区のサポートの方が定期的に来てくれていることを知り安心してしまったのが、甘かった。


七月に入って一度、気になって家に行き、また何度も窓ガラスを叩いて大声で呼び続けたが応答が無かった。もう警察呼ばれるから行こう!とあやたに咎められ、そのまま帰った日のことが心から悔やまれる。

恐らくその数日後に、すこやか安心センターの方が訪れて、会話するうちに乙さんの具合が悪くなって救急車を呼び、そのまま入院になったことが後からわかった。


全てが中途半端だった。家まで行った意味が無い。いらぬ無駄なことを考えてないで、もっと踏み込んでいれば良かった。

あんなに良くしてもらいお世話になって、たくさん愛情を注いでもらったのに、乙さんが本当に苦しい時寂しい時に寄り添ってあげられなかった。助けてあげられなかった。

この先の人生、人のためになる、人に喜ばれる仕事がしたいと思いながら、身近な人を無碍にして一人で逝かせてしまった罪の意識が消えない。むしろ日毎に後悔が増していく。





































私は乙さんの人生の、後半のほんの一部しか知らないけれど、ジョークが独特で、真面目で几帳面で、何より愛情深い人だった。

紙トンボに包丁研ぎ、古き良き遊びや知恵を若人達に伝授してくれ、福島の子供達とも交流して触れ合い、自身の在り方で社会貢献して現代まで生き抜いた乙さん。

私が今これから出来ることは、乙さんが、実の孫のように可愛がってくれた子供たちを、怪我させないで元気に育てていくことしかない。

乙さん、乙さんが大事にまなでてくれたサイは、独特な感性を持った、謎に真面目で、心は優しいタフな小学三年生に成長してるよ。

そして乙さんが、子供達のことだけでなく、実家が遠方で色々抱えてそうな私のことも気に掛け、力になってくれようとしていたことも、感じていました。

もう誰かわかられなくても、一目でいいから最後に会って直接言いたかった。乙さん、本当にごめんなさい。そして、言葉では言い尽くせないくらいのありがとうの気持ちを伝えたいです。








純粋無垢なサイの気持ちも、どうか天国の乙さんに届きますように。



















一昨年は出演を見送り、このままフェイドアウトかな...おばちゃんの魂は、それぞれ心の中で生き続け、踊り続けるのだろう...☆
当事者達がうすら感じていたところでしたが。


相変わらず身の回りで生々しい人間ドラマが繰り広げられる喧噪の中、お互いの諸事情や体調、居住地や遠征場所を気遣い合いながら、今宵、羽根木プレーパークに集合します!!!







私はいつになく向き合えていない練習不足のまま、本番四時間前にして、まだ髪型迷ってます。



どっちでもいい?!




近隣の盆DANCEやお祭りと被ってますが、劇団おばちゃんのステージは18:45~のタイムテーブルです。

今年はQUEENやるよ。

汗だくでお待ちしております。












どうやってもファミコンのBダッシュが出来ない、炎上覚悟で言うと我が家の残念な福山雅治、または岡田将生、もとい吉田輝星ことサイくん、6月の2日で9歳になっていました。

小峠のことを本気で「ことはげ」だと思っていたり、「むしろ」を「もしろ」だと言い張って使っているどうでもいい頑固さを備えながら天然素材の小学三年生になり、外見は誰譲りか分からない謎の小柄マッチョ体型に成長しました。




学校に馬が来た時のアンケート。
不安からのラッキーな急展開。独特。
息を切らし、極太の毛を二本握りしめて帰宅した日のことをおもう。
ティッシュの箱を重石にしばらくテーブルにあったが、いつしか扇風機の風で飛んでいった。





対局の記憶を辿ったか。作文も独特。
ひらすらふをうごかし続ける作文に驚愕。お付き合い頂いた担任の先生をお気の毒におもう。






テリーが誕生してからというもの、自分の命より大切なんだと豪語してチューチューチューチュー溺愛する兄の顔もあり。

クラスメイトが見たら、外と内でキャラが違い過ぎて目を疑うことだろう。

テリー五ヶ月位の頃、抱っこしながら、ソファーの縁に座ってあやたがやるSwitchの画面を覗き込んでいて体勢を崩し、スローモーションの背面跳びのように階段から落ちた...。
今思い出しても背筋が寒い事故。ヒヤリハットどころの騒ぎじゃねえ。

一番上からカーブを経て一番下まで転落したんだけど、テリちゃんの頭を最後まで庇いうまく丸まって落ちた為、二人とも奇跡的に無傷。
先に落ちてクッションになろうと、無謀にも猛スピードで飛び降りた私だけ無駄に捻挫。。

サイは、自分がやってしまった事の重大さに居ても立ってもいられなくなり、泣きながら玄関から飛び出して、何軒か先のピザハットの向こう側まで全速力で駆けてった。

体、鍛えてて良かった。
大失敗はしたけど、妹に怪我をさせなくて褒められたと、学校のスピーチで話したらしい。結果的に大変プラス思考である。



キックボクシングは、性に合うようで地道に続け、打ち込んでる。



「お母さん、こういう服着てる女の人っているよね。」




謎に命賭けてた小松菜取り。
〝幻の城南小松菜〟デカすぎ。取ってきた本人には親切心しか無いけれど、物には限度というものがあります。コレほんとに小松菜?




「サイくんが、玄関のすのこにつまづいて下駄箱に顔から突っ込んでしまい、歯茎から出血があるので保健室の〇〇が歯医者さんに同行しています!!」学校から来電。
幼稚園の頃から三度目の前歯負傷。脱力。



リンゴ病になるの巻。




持久走大会、堂々の一位!の快挙。



中目黒の大樽ランチにて、帰りがけに東南アジア系の店員さんから「キュート!!」と叫ばれて突然ブッチューされた事件。



 
「なんでオレだけ?」
選ばれたことに、嬉しいような困ったような複雑な思いを暫くのあいだ吐露していました。



写真撮るよ〜!ってそのポーズは如何に。


お風呂頼んだらいつでも喜び勇んで入れてくれるheyブラザー。



ハルオちゃんとの天然コンビ。
頬から父さんのパンツ生えてるのが変態さを助長。



おうくんとも独特な天然コンビ@埼玉



GTO家2019令和キャンプでは、大半をピチピチの白いヒートテックで過ごしてたイメージ。



兄弟イチよく食べる。食い意地も悲しくなる程えげつない。



二年生の時に大好きな親友が出来た。



プール開きした日は、嬉しくて夜の九時過ぎに再び一人で入りにいった。



今年の誕生日は何が欲しいのか、聞いても特にない...と言う欲の無い男。

欲しいものはないけど、こどもの国に行きたいと唯一言うので皆んなで行った。




念願のソフトクリームで満たされる。




この顔で私の存在を確認してくることがよくある。




ここのミニ動物園を何でかこよなく愛す四人組。同じふれあいタイムの回に風間◯介親子がいた。放牧小屋にいるヤギがうんこする瞬間を待ち構えるのも目下の楽しみ。



馬好きなので、照れ隠しの内心はこの表情の倍以上嬉しかったはず。


かじりつきたいくらい可愛いけど、かじりつきたいくらい憎たらしくてイラつく。私の母性本能をグチャグチャに掻き乱してくる存在。

近所の名物酔っ払いジジイ(自称・独身のヨシノ)の自転車蛇行運転に、後ろから接触して発狂させ、謝っても許して貰えず泣きながら帰ってきて、通報もあって警察沙汰になったこともあったっけ。
不注意と不運のコンビネーションが生んだ独身のヨシノ事件。


兄弟の中で一番ボケていて、次は何をやらかすか想像の範疇を超える彼が、元気に9歳を迎えられたことを、心からお天道様に感謝した。


これからも、決して多くは望まないので、怪我や事故や病気なく、なんでもないような事が幸せであるように、今度は二桁の10歳を迎えられたら是幸いです。


明日、六月最終日はジャンジラジムでキックボクシングの試合!

がんばれサイくん♡