サイにとっては、もはや離れて住む実のおじいちゃんよりも身近で、とにかく可愛がってくれる東京のじいじ。
先週の日曜日、ちほちゃんから、乙さんが入院してるらしいからお見舞いに行こうと誘ってもらい、さっそく行くことにした。
認知症も入ってると聞き、もう顔を見ても誰か分からないかもしれない覚悟をして、あやわこにテリーを預け、サイだけ連れていくことにした。
太陽が照りつける中、自転車で30分弱、喉カラカラで着いた病院は大きくて、乙さんがいるという病棟は設備の整った綺麗なところだった。
雰囲気的な流れで、ナースステーションを通り過ぎ、直接病室に向かった。
四人部屋の一人ずつ、カーテン越しに顔を覗いたが、ことごとく全員「?」顔をした違う顔のおじいさんだった。
「全員違うし!」
ちほちゃんと、空中に突っ込みを入れながらアハハと和やかに病室を出て、近くにいた若い看護師さんに訊ねた。
私達「〇〇さんという方が827号室にいると聞いてお見舞いに来たんですが。」
看護師さん「ご家族の方ですか?」
私達「いえ違います、知人です。」
看護師さんはこう言った。
「...昨日か一昨日に亡くなられてます...。」
一瞬時が止まったのち、軽く目眩がするような感覚を得た。
いつかこの時が来ることはわかっていたが、こんな形でやってくるとは思いもよらなかった。
何かの間違いであってもらいたかったが、何度聞き直しても現実であるようだった。
入院の知らせを聞いてすぐだったし、行けば必ず会えると思い込んでいた。
個人情報なので、家族じゃないとこれ以上は伝えられないと言われる。
認識されなかった時のために、急いでセブンイレブンで現像した写真をアルバムにしたものも、不器用な男サイが30分は部屋に閉じこもって書いた五行くらいの手紙も、生身の乙さんに渡すことは到底不可能になった。
乙さんは、この世にもういなかった。
え、どうして、間に合わなかった...、顔を覆って泣くことしか出来なかった。
突然の出来事が受け入れられず、立ち尽くす私達に、「こんな形で(伝えることになり)すみません...」と言った看護師さんの、ジッと前を見据えた目と硬い表情が忘れられない。
一旦落ち着こうと、デイルームに移動した。
色々と答え合わせをして、その後の手がかりを掴むべく、帰りにもう一度ナースステーションに行って違う看護師さんに食い下がってみようと二人で試みたが、個人情報なのでの一点張りのにらめっこで、結局何ひとつ得られなかった。
私とちほちゃんが泣いてた時はずっと困り顔だったサイが、キックボクシングの動画を見たいからiPadを貸してほしいと言い、1階の男子部屋に篭った。
しばらくしてわこが、「サイ泣いてるよ...」と言うのでソーッと見に行くと、それはもうわんわん泣いていた。私の顔を見てエスカレートして、嗚咽してひっくり返って泣いた。
俺乙さんに会えなかった、ずっと会ってない、なんで会いに行かなかったんだろう、会いたい、お葬式に行かせて!
私は、徐々に連絡が取れなくなっていった肝心な時にこそ行動しなかった自分のせいだと思い、胸が苦しくなって心から後悔した。
その夕方、あまりにも落ち着かないので子供達を連れて乙さんの家に行った。
親戚の人が中にいないか、大声を出して扉を叩くが応答無し。
ガラス戸が開いていたから、ついつい不法侵入してしまった。
生活の跡がそのまま残る、大量に物が積み重なった家の中の実態を目の当たりにして、途方に暮れた。
身寄りが姪っ子さんしかいない情報から、心配になって手掛かりを探したかったが、猛烈な蒸し暑さに数分で飛び出してしまった。
サイは扉の外で蚊に刺されながら、汗だくで私を待っていた。
何も出来ない中、家の門の前で子供達と手を合わせた。サイは、私が肩を叩くまで、最後まで何かを祈っていた。
ぴっぴを卒会して、パートを始め、きっちゃんは保育園に入り、日常的にプレーパークに通わなくなってからも、乙さんとのやり取りは細々とだが続いた。
下北の街でバッタリ遭遇して道端で話すこともよくあった。
そして定期的に電話が来た。
私が思うところ乙さんは夜型の人で、電話が来るのはいつも20時~21時。
夕飯の片付けだお風呂だ寝かしつけだと、何かと忙しい時間で、着信音を聞いても出られなかったり、通知を見て出ないことも正直あった。
そして翌朝掛け直しても、寝ているのか聞こえないかで、まず出ない。
掛け直した電話に出ないことにも、いつしか慣れてしまった自分がいた。
近年は耳がどんどん遠くなり、タイミングよく電話を取れても、大きな声でゆっくり話してもこちらの声は届かず、乙さんが話したいことを聞くだけで、会話というものは成り立たなくなっていた。
それでも、お互いに安否確認が取れ、乙さんもホッとしたように通話が終了することに意味はあったと感じていた。
サイの入園、入学の時にはお祝いを頂き、誕生日には図書カードを頂いていた。
子供たちが風邪を引いた、熱を出したと知ると、台車を引いて段ボールいっぱいのりんごを運んで来てくれたこともあった。
サイの中耳炎が長引いた時、ユキノシタの生葉から抽出した汁が効くという会話になったことがあり、鉢植えを持ってきてくれたこともあった。
その鉢植え、植物を育てられない私はやはり枯らしてしまい、ずっと罪悪感が残っていたが、いつの間にか種子が飛んだか、我が家とビストロの間に茂っているのに気付いた時には少し救われた。
元気な時代はうちまで来てくれて、せせらぎ公園で遊んでもらった。
サイが入学すると、運動会には応援に来てくれていた。
日頃のお礼に、乙さんの好きな無塩蕎麦を差し上げたり、お祝い返しに夫の会社のハンチングをプレゼントしたこともあったが、一度も被ってるのを目にしたことがなく、プレゼントに帽子は難しいことを思い知った。
いつも蕎麦なのもワンパターンだし、持病で減塩してることもあって渡すものに悩み、近年は何かしていただいてもお返しすら渡せていなかった。
思い起こせば今年六月のサイの誕生日にも、郵便受けに図書カードが入ってた。
何度電話をしても出られないので、諦めていた。
思えばもう体調が良くなかっただろうに、うちまで来てくれていたのだ。
もしかしてその前に着信はあっただろうか?
それすらもう思い出せないし定かではない。
日々余裕のない生活を送る自分の滅茶苦茶さを呪う。
乙さんは、お返しだとか、そんなこと求めていないだろうとわかっていても、いつも一抹の申し訳なさが残った。
いつもしてもらうばっかりで、私は何もしてあげられず、最後まで何も出来なかった。
「乙讃愚輔」は活動名で、本名は伏せていたこともあり、その私生活はヴェールに包まれた謎な男であった。
私はどこかで、その秘密主義に踏み込み過ぎないようにしていた。
何か知られたくない秘密があったら、暴いてはいけないような気がしていたから。
数年前にたまたま偶然自宅を知ったが、本名で書かれた表札を見て何となく、家を知ってることを本人にハッキリ伝えなかった。
六月にぴっぴの会から、包丁研ぎで荷物運びを手伝うために乙さんの家を知らないか聞かれ、力になれればと思い教えていた。
その後、ちほちゃんに誘われて家に様子を見に行った時が、乙さんと会って話した最後だった。
縁側の窓ガラスから、積み上げられた荷物や掛けられた服の隙間から、椅子に座って眠る横顔だけがちょうど見えていた。
まるで外から安否確認させる為の親切にも見え、その時はちほちゃんと笑った。
何度も窓ガラスを叩いて大声で呼んでいるうちに、目を覚まして起きてきた乙さん。
笑顔でいつもの口調、いつもの調子に見えて、途中まで私のことが誰かわかっていなかったし、頭はボサボサでお風呂にも入れていないようだった。
その時、区のサポートの方が定期的に来てくれていることを知り安心してしまったのが、甘かった。
七月に入って一度、気になって家に行き、また何度も窓ガラスを叩いて大声で呼び続けたが応答が無かった。もう警察呼ばれるから行こう!とあやたに咎められ、そのまま帰った日のことが心から悔やまれる。
恐らくその数日後に、すこやか安心センターの方が訪れて、会話するうちに乙さんの具合が悪くなって救急車を呼び、そのまま入院になったことが後からわかった。
全てが中途半端だった。家まで行った意味が無い。いらぬ無駄なことを考えてないで、もっと踏み込んでいれば良かった。
あんなに良くしてもらいお世話になって、たくさん愛情を注いでもらったのに、乙さんが本当に苦しい時寂しい時に寄り添ってあげられなかった。助けてあげられなかった。
この先の人生、人のためになる、人に喜ばれる仕事がしたいと思いながら、身近な人を無碍にして一人で逝かせてしまった罪の意識が消えない。むしろ日毎に後悔が増していく。
私は乙さんの人生の、後半のほんの一部しか知らないけれど、ジョークが独特で、真面目で几帳面で、何より愛情深い人だった。
紙トンボに包丁研ぎ、古き良き遊びや知恵を若人達に伝授してくれ、福島の子供達とも交流して触れ合い、自身の在り方で社会貢献して現代まで生き抜いた乙さん。
私が今これから出来ることは、乙さんが、実の孫のように可愛がってくれた子供たちを、怪我させないで元気に育てていくことしかない。
乙さん、乙さんが大事にまなでてくれたサイは、独特な感性を持った、謎に真面目で、心は優しいタフな小学三年生に成長してるよ。
そして乙さんが、子供達のことだけでなく、実家が遠方で色々抱えてそうな私のことも気に掛け、力になってくれようとしていたことも、感じていました。
もう誰かわかられなくても、一目でいいから最後に会って直接言いたかった。乙さん、本当にごめんなさい。そして、言葉では言い尽くせないくらいのありがとうの気持ちを伝えたいです。
純粋無垢なサイの気持ちも、どうか天国の乙さんに届きますように。















































