自分を否定、そして卑下する声が止まらなくなり


もう嫌だ!
もうこんなの本当に嫌だ!!
もうこんなわけのわからないものから自由になりたい!!!


どん底の暗闇でとうとう爆発し、いま自分が抱えこんでいる(と思い込んでいる)ものを私は全部手放した。

「本当の自分」というホームに戻るために



よければ①、②もご覧ください
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何かに向かって「進む」んじゃなく、「戻る」ということに徹底した私がやってきたことの続き。
今回はノート法について。


「書く」っていい

っていうことは知っていた。といってもデジタルでの「書く」ではなく、ノートとペンを使って実際に書くというアナログの方。
随分昔、ネットを徘徊していた時に知った。
なんでアナログの方がいいのかはこの時はまだよくわかってなかったけど。


そして書くと一言で言っても「日記」とか「やることリスト」とか「願いを叶えるノート術」など多種多様な「書く」があるけれど、私にヒットしたのは「思考の排出」という「書く」

思考=頭の中で考えてること、思ってることを全部書き出すというもの。


今夜のご飯何にしよう‥
頭が痛い‥
仕事行きたくないな‥
また今日も雨‥
そろそろ洗濯物を‥


こんなふうに私たちはネガティヴポジティブ関係なく、とめどなくひっきりなしに思考してる。

何かを考えてない時なんてないんじゃないかな・・

っていうくらい、本当にひっきりなしに。だから頭の中がいろんな考えで常に満タン状態。なのでその思考を紙の上に実際文字にして出していく。そういう意味での「思考の排出」。

そんな思考の排出がどんな効果につながるのかということだがそれは、溜まった思考をどんどん排出し頭の中を空っぽにすることで、かなりのスッキリ感や爽快感を得られるようだ。

ごちゃごちゃといらない物で散らかった部屋を断捨離、整理整頓して片付ければスッキリ気持ちよくなるという物理次元の話と同じことなのだろうな。

そして空っぽになるからこそその結果として

あ!あれやってみたいな‥ とか
これいいな‥ など

新しいアイディアや閃きが生まれるようで‥

これも同じく、部屋もスッキリすると"この空間にかわいいチェスト置きたい" とか "植物置きたいな" とか、新たな気持ちが湧いてくるのと同じなのだろうきっと。

・・という、そんな効果があるみたい。

とはいえ利点や効果をあれこれ頭で探ってたって、結局のところ実際にやってみないとわからない。それに、アイディアや閃きなんかは私にとっては二の次。毎日毎日頭の中がモヤモヤで苦しかったので、とにかくそれを無くしてスッキリ心地よくなりたかった。

なのでもうすがる思いでとにかく書き始めることにする。







私の頭の中は日常の"あれやらねばこれやらねば" みたいなものよりも、否定的でわけのわからないモヤモヤがほとんどを占めている。毎日毎日頭の中を覆い尽くす言葉にならないどんよりした得体の知れないもの。

これをノートに言葉にしていく。
さっそく書いていく。








思考の書き出し方について、ネットであちこち調べてると大体が紙の上に"言葉の羅列" "文章の羅列" でとにかく書き出す、排出するやり方が多く紹介されていたけど、私は日記風に、しかもバリバリの関西弁で書くのが好みなので、ルールを作らず型にも囚われず自分の好きなように、書きたいように書くことにした。

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字の汚さは無視してとにかく書く
関西をバリバリに出して書く




とりあえずこの時はブログをストップしていることにモヤついてたらしい‥(苦笑
実際はノートのいちばん下までぶわ〜〜〜っと思いを書き散らかしている。

そして書き散らかしてみた感想は

スッとする ( "スッキリ" ではない)

というまあまあ薄めの感想だった。
一回しかもたった1ページ書いたところでそんな目に見える効果なんてそりゃないわな。根気強く続ける必要性はあるわな‥(苦笑


スッキリ感を得るには継続が必要そうではあったが、そんな感じでも気づいたことがあった。それは思考を実際文字にすることで

こんなこと思ってたんかぁ‥
これがずっとひっかかってたんかぁ‥
ホントはこんなふうに感じてたんかぁ‥

と、改めて自分が考えていることをハッキリと認識することができたということ。

心のどこかでわかってはいるけど、とめどない思考でその考えのひとつひとつがだんだんボンヤリと輪郭がなくなり、さらに混ざってぐちゃぐちゃになっていく。

それがモヤモヤと化すんだろうきっと。

だから「思考の排出」のメリットって、スッキリ感はもちろんだけど、"自分の本当の思い" を発見したり認識できるということにあるかもしれない‥
それが思考を「見える化」することによる最大の魅力なんじゃなかろうか‥
って強く感じた。

とはいえまずはとにかくとにかく頭の中を言語化していくということが最大の目的‥。
わけのわからない状態までふくれあがったモヤモヤを、筆の進むがままに任せて書き出すという作業。最初のうちはとにかく「出す」に徹底。

問題をあぶり出すとか解決させることが目的じゃない。その作業を続けることで結果として問題そのものや解決策がわかることがあるという。

何かに気づくというのはただの副産物的なものかなぁ‥と。

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この時はでも
「罪悪感」というめんどくさいものに
たどり着くことができた


何かにたどり着けても着けなくてもそれでOK。
答えや解決策がわかってもわからなくてもそれでOK。


ホントの思いを言葉に書き出せた
そんな自分にただOK。




正直なところ、ノートを始めた一番最初、私の中にはためらいがあった。「ノートに思いを書く」ということそのものに照れくささや恥ずかしさを感じてなかなか書き出せないというつまらんためらい。

誰に見せるわけでもないノートなのにも関わらず‥。

だけどそれも最初だけ。そこをうりゃっっって突破できてからはもう次々書き進めることができた。


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誰にも見せるわけでもなく
誰かの為に書くわけでもないのに
この期に及んで人の目を気にしているという
バカな自分にも気づけた



午前中のブレイクタイムに
お昼の休憩時に
夜寝る前に

たとえ一行でも時間さえあればとにかく書いた。
腹の中のドス黒いもので、時にお気に入りのノートがデスノート化してしまっても、自分のために許可して書いた。

自分と向き合うって恐しく地味で地道なコツコツ作業。



この「書く作業」に「エイブラハムの本を読む」そして「happyちゃんの配信を聞く」を追加して徹底していたら

自分を否定したり卑下する声が小さくなっていることにある時気づいた。劇的なスッキリ感を得るまでには至らないまでも、あれほどまでに自分の頭の中を覆い尽くしていたモヤモヤが薄らいでいる。私にとってこれはとても大きな進歩だった。だって

己を蔑んだり否定する声がなくなるだけで、穏やかな気分で過ごせる時間が増えるから。それってとても幸せなことだと思った。

自分の発するエネルギーが、見えずとも変わるのがわかるような気がした。

現実はなんにも変わっていなくても‥



ノートを書くことを私は今も続けている。
でも今はちょっと書き方を変え、本格的に日記ベースで思いを綴るような書き方になっている。

そして単なる文字の羅列ではあまりにも殺風景なので、カラーペンやシールを駆使してノートそのものを楽しんでる。

ノートのおかげで私は頭の中で否定的なモヤモヤが増幅することがなくなり、それにノート時間がとても楽しく豊かな時間に変化していった。

幸せやなぁ・・

って感じる瞬間が少しずつ増えている。



だから
書くことが好きで頭の中のモヤモヤに困ってる方にとてもお勧めしたい方法だなぁとホント思ってます。


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あなたがたは成長を求める存在であり、前進しているときがいちばん幸せだ。
停滞感を覚えているときは幸せではない





次回は・・



先ほどもちょこっと書いた
「ノートの楽しみ方」なんかについて
書いてみようかなと思います