おはようございます
わかばです。
昨日は私の父の命日でした。
お仏壇には、父の大好きだった
真っ赤なトマト🍅を2つお供えしています。
さて、昨日もいつもの時間に
ヤマトと朝のお散歩に出ました。
以前、よくお見かけしていたご婦人が
前から歩いて来られました。
半年ぶりくらいだったので
おはようございます!と
私から、お声をかけました。
そういえば、いつも一緒だった
背の高いご主人様がいらっしゃらない…。
恐る恐る、今日はご主人様は?…と尋ねると
半年くらい前に、お亡くなりになられたとの
ことでした。
あぁ、やっぱり。
ご婦人は、それ以来、悲しくて悲しくて
何もやる気が起きずに
散歩に出ることも出来なかったそうです。😢
でも、最近になり
「これでは足腰が弱ってしまう!
せめて、現状維持しなければ!」
と、いう気になり
また朝の散歩を始められたそうなんです。😊
「ご主人様を亡くされた事を
あまり人に話すもんじゃない」と
娘さんに言われたそうで💦
悲しい気持ちを誰かに吐き出すことも出来ずに
今まで家にいた、と仰り
朝から暗い話でごめんなさいね🙏と
話されたのでした。
私は
「父の命日にこんな話を聞くなんて
不思議だなぁ」
と思いながら
このお話を聞いていました。
大切な人を亡くしたんです。
あまりのショックで
何もかもに対して
やる気が起きなくなったりしますよね。
それは、何も悪いことではないですよね。
その人の、匂いや気配が色濃く残ったお家で
これからも住み続けていくことが
どんなに辛いことか。
娘さんも、落ち込むお母様を見たくなくて
励ますつもりで、言われたんでしょうけども。
ご婦人に
「私で良ければ、お話聞きますから☺️」
とお伝えして、別れました。
家に戻って、毎朝聴いてる
鎌倉、円覚寺の横田管長のYouTube法話を
つけると、こんなお話でした。
私は以前、葬儀の仕事をしていたせいか
私にとって、死は特別なものではありません。
生活の一部のような感じさえします。
部屋を見渡したら、畳んだ洗濯物がそこにある、
くらいの距離感です。
横田管長のお話のように
私たちの生きている人生なんて
魂の一生から見れば、ほんのひととき
なのでしょうね。
私たちはつい自分の人生に
目的やお役目的なものを
探してしまいがちだけど
人生の目的のために生きるのではなく
「ただ、生きる」ことが目的であり人生。
なるほどなぁ、って思いました。
今までたくさんの人を
見送ってきました。
あの人も、この人も。
私の父も。
みんな、お疲れ様でしたね。💕︎
今日も読んで頂いて
ありがとうございます。
わかば