どうでもいいことを考えていた。
体感時間は脳への負荷で変動するのではないか。 (負荷:情報の処理 )
脳への負荷が小さいときは時間の流れが早く感じられ、脳への負荷が大きいときは時間の流れが遅く感じられるのではないか。
例
時間の流れが早く感じるとき
・ボーっとしている(但し、その状態に不安や不満を感じていないとき)
・没頭している(=対象と無関係な処理を行わない)
・単調な作業を単調なリズムで行う
時間の流れが遅く感じられるとき
・感覚器官から大量の情報が入ってくる
・慣れない事をしている
・暇
分類が難しいケース
・楽しい時間は流れが早い
・辛いときは時間の流れが遅い
・制限時間があるときは時間の流れが早い
・逃避したい(興味のない授業、校長の話など)ときは時間の流れが遅い
・早く時間が過ぎて欲しいときは遅い
分類が難しいケースについて考えてみる。
楽しいときに流れが早いのはそれに没頭しているからではないか?楽しいと感じているときに食事の献立や明日の予定を考えるだろうか。多分ないと思うので、楽しいときに流れが早いのはその対象に関係のない、不要な処理をしないために早く感じるのだろう。
ある時間内で目的を達成するために作業するとき、負荷は大きくなるような気がする。しかし実際には時間の流れは早い。これについて2つの解釈を考えた。一つは、やはりこれも対象に没頭しているために早い。もう一つは、時間の流れ自体が目的となるとき、流れは要求に反する、というもの。
辛いときは時間の流れが遅く感じるが、常にそうであるわけではないと思う。多分。その事象が終わる可能性を認識した時点以降に遅く感じるのではないか。(実際に終わるかどうかは無関係)
分類が難しいとしたものは全て時間の流れが目的となっているのではないか?やっぱり時間の流れは要求に反するのだろうか。
あれ?
当たり前だ。考えてみれば、時間の流れが早すぎる(遅すぎる)ために遅く(早く)なって欲しいのだ。時間の流れに不満がなければそもそも要求は発生しない。
なんだか根本が間違ってるような気がしてきた。
まあ、どうでもいいことですね。