小説「大後悔時代」 -3ページ目

小説「大後悔時代」

後悔は知らず知らずにそこにあるもの

22時02分


屋上のへりから目を凝らして下をずっと見ていたが、真っ黒な空間に吸い込まれてしまった彼女を探し出すことは出来なかった。


もう既に間に合わないとは分かっていたが、急いでその場をあとにして非常階段を駆け降りた。


だが激しく動揺していたせいか、自分の今置かれている状況を忘れてしまっていた。


もうすぐ出口が見えてきたと思った瞬間、横からもの凄い勢いで飛び出してきた人間がいた。


ビルの警備員に取り押えられたカオルは、彼女の死体を見つけることはおろか、警察を呼ばれ不法侵入の罪でそのままパトカーで連行されてしまったのだった。


22時44分


ドラマや映画でよく見かけるような取調室に座らされたカオルは緊張していた。


酔って暴れたり、反抗的な態度を取らないカオルを見て、警察官はタバコを吸っていいと言うと同時に灰皿を差し出した。


ポケットから出したマルボロに火を着け、深く、ゆっくりと吸い込んだ。


警察官の質問に対して、出来る限り簡潔明瞭に応えていたのだが、あまり納得はしていないようだった。


ビルに侵入した動機として、友人に呼び出されたということはともかく、その友人が飛び降りたという件である。


警察官いわく、ビルの周辺でそういった怪我人や、ましてや死体など発見していないというのだ。


たしかに、どの辺りに落ちたのか、どういう状態に彼女がその後なっていたか見えていない。


だが、全くの無事で居られるわけはない。


警察官もそのまま調書をあげるわけにはいかず、友人は先に帰ってしまったとし、実際、不法侵入はあっても、何も損害や盗難の被害が出ていないということでカタを付けようとした。


そして、身元引受人として誰か迎えに来させれば、帰してくれるということになった。


23時52分


カオルはまだ警察署にいた。


身元引受人として呼べる人間がいなかった。


思えばカオルは一人きりだった。


両親は既に他界しており、元妻の居場所を捜そうとしているぐらいである。


思いつくのは、やはり元取引先の友人ぐらいだった。


しかし、電話はコールし続けるだけで、留守電にも切り替わらなかった。


あきらめたカオルは、登録してある電話帳を次々に見ていった時、ふと気付いたことがあった。


21時34分


泣いているのを悟られまいとしているのだろうか、彼女はカオルに背を向けた。


カオルはその背中を見つめながら、なぜそこまでしてと思い、ふと冷静に考えてみた。


元取引先の友人は、偶然にも元妻と出会い恋に落ちた。そして、自分と目の前の彼女とを引き合わせて、彼自身は元妻と暮らしたいと思っていた。


目の前の彼女は、それをどこまで理解していたか分からないが、整形をして別人になりすましてまでその話しに協力していた。


だが、途中で自分を裏切ることが怖くなり、その友人の話しから降りた。


元取引先の友人からすれば、今朝の電話の後、彼女に連絡することも予想していただろう。


それでは、結局何も変わらないではないか。


彼はそのまま仕方ないと諦めるようなタイプではない。


何かまだ違和感がある・・・。


と、その時だった。


目の前にいた彼女はいつの間にか5メートル程離れており、金網フェンスの向こう側にいた。


まさか!と思い駆け寄ると、何のためにあるのか近くに一箇所だけ小さい入り口のような場所があり、そこから入れるところがあった。


カオルも入ろうとした時だった。


彼女は、チラリとカオルの顔を見て、聞こえるか聞こえないかぐらいのギリギリの声量で


「本当にごめんね。でも、こうするしかないの。」


そう言うと、彼女はこちらとは反対側の何もない真っ黒な空間に、身を預けるようにして飛び降りたのだった。

20時07分


カオルはとあるビルの屋上に来ていた。


元取引先で友人だった男との会話が終わった後、しばらくの間呆然としていたのだが、解けていない謎を突きとめるべく、元妻の友人で残った二人のうち、片方に電話を掛けてみたのだった。


3回目のコールで相手は出た。


電話の相手である人物は、以前にカオル自身も会ったことがある女性だった。


彼女は落ち着いた口調で、会って話したいことがあると言った。


待ち合わせ場所は、以前元妻の働いていたことがある会社の屋上だった。


「今日の夜20時に」と言い、電話は切れた。


カオルは19時にはビルの裏口に到着していたが、どうやって中に入ろうか考えていた。


だが、警備員らしき人影は見えず、巡回中なのかもしれないと思いながら、あっさりと侵入に成功した。


そして、怪しまれない為にエレベーターは使わず、非常階段から16階までゆっくり昇り、施錠のされていない屋上の扉を開けると、汗ばんだ肌に気持ちの良い風が吹き抜けてきた。


恐る恐る屋上の床を歩き始めたが、地上から聞こえてくる車の騒音や、周辺のビルの明かりや缶コーヒーの看板を照らすライトやらを見たおかげで、少し落ち着きを取り戻した。


そこへ、


「久しぶり。」


突然の声に思わずビクついてしまったが、その声の主はやけにあっさりと、場所が場所でなければ会釈で返事を返しそうになる程さわやかなトーンで話し掛けて来た。


自分はてっきり、約束をした元妻の友人が来るものだと思い込んでいたが、その声がする方向を見て驚きを隠せなかった。


バーで知り合った、あの女性だった。


「驚いてるね。それはそうだよね。・・・でも、気付かない?最初から私だよ。」


カオルはパニックに陥り、何も反応できずにいた。


だが彼女の笑顔を見ているうちに、まるで氷が溶けていくように少しずつ理解してきた。


つまり、自分が過去に出会ったことのある元妻の友人は、数年後、会社帰りのバーで出会い、居酒屋へ行き、自分の部屋へ泊めたが突然姿を消した人物と同じだったのだ。


でもなぜ・・・?


彼女はカオルから視線をそらし、屋上にある金網で囲われたフェンスに向かって歩き出した。


そのすぐ後をつられるように歩き、彼女が立ち止まるのを待った。


フェンスまで来ると、その金網から見える地上の光景を眺めながら、ようやく彼女は話し始めた。


「色々と迷ってたの。カオルくんに本当のことを伝えるべきかどうか。」


それは、あの男の話のことを言っているのだろうかと思った。


それなら大体知っているよ。と言おうとした時だった。


「私、昔と比べてかなり変わったと思わない?カオルくんが気付かないのも当然なの。だって、カオルくんと会う為に整形したんだから。」


以前にあった彼女と今の彼女は確かに変貌していた。だが、自分に会うために整形をする必要性がまだ理解できなかった。


「あなた達が結婚する前に一度会ったわよね。その後、結婚してからも一度。私、最初からカオルくんに興味持ってて、二度目で確信したの。で、あの子と別れたって聞いてからはいてもたってもいられなくなっちゃって。」


異性からの告白というものは単純に嬉しいものだ。しかし、この複雑な状況がそんな心境をかき消してしまう。


「私がカオルくんと出会えたのは、彼女のおかげ。でも、別れたからといって、今のままじゃ無理って思ったの。だって、奥さんの友人だった子と付き合うなんて、カオルくんは絶対しないでしょ?・・・だから、別人になってやり直そうと思ったの。最初の出会いからね。」


確かにその通りだと思った。自分は、元妻と離婚した後、実家はもとより関係者からも離れて暮らすために、引越しをして、転職もした。


「でも、カオルくんの家に泊めさせてもらった時、急に怖くなったの。今、このまま上手くいって付き合うことが出来ても、それはカオルくんを騙し続けてる結果だって。だから、何も言わずに出て行ったの。・・・ごめんね、カオルくん・・・本当にごめんね。」


とっさにそばへ近寄ると、彼女の頬からひとすじの光が流れ落ちているのが、ライトの反射のおかげでカオルは気付いた。