十分な手助けが得られる | 個別具体的に考えていくブログ
学校は、戦時でも、戦場でもなかった。教科書の後ろ三分の一は応用問題だった。生徒たちはそれを解くのを楽しんだ。最後の半分、生徒たちはまだ取り組んでいたが、やや飽き始めていた。本来ならそこでやめるべきであったが、この試みに悪影響をにあたえはしなかった。生徒たちは、リラックスし、教師や手助けしてくれている人とのおしゃべりを楽しんでいた。この個人教授が教師たちに証明したことは、生徒たちは、落第点がつかず十分な手助けが得られる意味ある状況では、勉強をする試みがあるということだった。これからの問題は、同じようなやり方をどのようにして、実行できるかということであった。しかし、何か大きなことをする土台はできたと思う。そして放課後、教師と一対一の会話を続けた。さらに多くの教師が来た。彼女は、教師たちに繰り返し、いちばん欲しいと思っているものは何か尋ねた。教師たちは、少人数のクラスと妨害する生徒のいないクラスが欲しいと言った。妨害する生徒は、ほとんとが年のいった生徒だった。そういう生徒が何人かいた。
年齢についての考え方