孝霊天皇陵 | いつかはない ~光陰矢の如し~ 

いつかはない ~光陰矢の如し~ 

アラフィフです。いつかするとかいつか行くとか、したためしがありません。いつかはないんだと思います。これからは今まで以上にあっという間に時が過ぎ去るんだと思うと、日々の生活を丁寧にまた色んな事も体験していきたいと思います。

宮    黒田廬戸宮(くろだのいほとのみや)(奈良県磯城郡田原本町)

皇后   細媛命(くわしひめのみこと・磯城県主(しきのあがたぬし)の娘。磯城県主は神武天皇東征の折に従った豪族)

父    孝安天皇

母    押媛

和風諡号 大日本根子彦太瓊尊(おおやまとねこひこふとにのみこと)

漢風諡号 孝霊天皇(こうれいてんのう)

陵    片丘馬坂陵(かたおかのうまさかのみささぎ)

孝霊天皇と細媛命との間には次の孝元天皇がお産まれになります。

孝霊天皇と妃の倭国香媛(やまとのくにかひめ・安寧天皇の皇子、磯城津彦命の孫)との間には倭迹迹⽇百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)と彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)が産まれます。

また孝霊天皇と妃の絙某弟(はえいろど)との間には稚武彦命(わかたけひこのみこと)が産まれます。

倭迹迹⽇百襲姫命は、箸墓古墳に埋葬されていると言われています。

彦五十狭芹彦命と稚武彦命は、のちの吉備津彦で共に桃太郎のモデルになっています。