ある日の夜のことだ。

 俺は屋根裏から雨樋を伝って外に出て、屋根の上に寝そべり星空を眺めていた。

 御囲周辺は結構緑が多くて隔離されてる感じだから、街の灯が遠くて結構星がよく見えるんだ。

 俺は、あれが『ここまで攻めてくるか座』かなーなどと思いながら、ぼんやりと考え事をしていた。

 すると下の方から声がした。

 「じゅりいぬ、そこにいるの?」

 むらいぬの声だった。

 俺は夜空を見上げたまま、生返事で答えた。

 そっちに行ってもいい?ていうか行くねと言いながら、むらいぬが屋根裏の窓を抜けて上がってくる気配がした。俺はやっぱり生返事を返しただけで、構わず空を見上げていた。

 やがてやっとの思いでむらいぬが屋根に上り俺の隣にやってきた。軽く息を弾ませている。

 「ねぇ、何してるの?」

 屈託なくむらいぬが尋ねた。

 「天の川見てた」

 ぶっきらぼうに俺は答えた。

 「天の川なんて見えるの?どこどこ?」

 むらいぬは俺と目線の位置を合わせるように、姿勢を低くして顔を近づけた。

 しばらく空を見つめていたが、やがて首を傾げて俺に視線を移した。

 「ボク、よくわかんないや」

 だから俺も答えた。

 「俺もわかんねー」

 そして勢い良く起き上がる。

 むらいぬはキョトンとした顔で首を傾げている。

 「この世にはさ、そこに在るのに見えねえもんもあるんだなーって、思ってさ」

 そしてむらいぬを見た。むらいぬは少し困ったような顔になった。

 俺は短く息をついて、立ち上がった。

 「ちょっと出かけてくるわ」

 むらいぬに背を向けて屋根を降りかける。

 するとむらいぬがこう言った。

 「もしかして、お酒飲みに行くの?だったら、ボクも連れてってくれないかな・・・?」

 むらいぬの意外な反応に、俺は思わず立ち止まり振り返った。

 「お前、酒飲めたのか?」

 俺の質問に、少し照れたようにむらいぬは答えた。

 「うん。『せいしゅ』っていうのなら少しは飲めるんだ。昔、おじいさんに舐めさせてもらったことあるし」

 あの店に日本酒が置いてあるのかどうかはわからないが、酒ならなんでも作れるって豪語してるくらいだから、日本酒ベースのカクテルを作るためのクセの少ない純米酒くらいは置いてあるだろうと踏んで、俺はむらいぬを行きつけのバーに連れていくことにした。

 こいつの思ってることを引き出す、いいチャンスだと思ったしな。 

 

 俺が何かについて回答を求めている時、いつもそこに居て道しるべのように俺を導いてくれたひとがいた。俺は知らず知らずのうちに、その人を心のどこかで頼っていた。この前妙な夢を見た時も、自分一人では処しきれずその人に会いに行ったのだが、彼女はもはや、そこには居なかった。
 彼女がいつか、言っていたことがある。
 万物は絶えず流転するもの。一つところにとどまる事など、本当はあり得ないのよ。もしもとどまってしまえば、それは流れを妨げる大きな障害となる。だからじゅりいぬちゃん、変化を恐れちゃ駄目。どこにいても何をしていても、あなたがあなたであることに、変わりはないんだから……。
 その言葉をまさに、彼女は実現したのだろう。
 彼女が居なくなった代わりに、店の壁には赤いマントのよく似合う彼女の写真が飾られ、以前彼女が立ち働いていたカウンターの中には、白い着物に右眼を眼帯で覆った、無愛想だが美しいひとがいた。
 俺はあの日自分の見た夢に惑わされ、その意味を問いにママに会いに行ったのだが叶わず、ただただ酒を喰らうのみだった。だから、眼帯姿のママとはほとんど言葉を交わすこともなかった。
 今日俺が飲みたい理由は別に誰かと会うためじゃないし、むらいぬも一緒だから行きつけの店の方がいいだろうと思って、俺はさほど迷うこともなく例の店のドアを開けた。
 「いらっしゃーーい♪」
 俺たちの姿が見えるか見えないかのうちに、店の中から明るい声が聞こえてきた。俺がこの前来た時とは雰囲気がまるで違う。見ると赤いドレス姿のハムスターが飛んできて、俺が開きかけたドアを向こう側から開け、にこやかに俺たちを招き入れてくれた。
 「こんばんわー!」
 俺の後ろにいたむらいぬがぴょこんと顔を出し、赤いドレスのハムスターに挨拶した。あまりに場違いな光景に、俺は一瞬むらいぬを連れてきたことを軽く後悔した。
 「あら!お客さんたち二人ともとってもオトコマエ♪ さあさあ、早く入って。サービスしちゃうから♪」
 赤いハムスターは俺達の背中を押すと、店の奥へと案内した。俺は若干躊躇しながらも、俺の席ここなんでと言いながらドアに一番近いカウンター席に座った。あらそうなのー?もしかしたらお客さんたち、NOBUママの時からの常連さんだったのかしらー?ゴメンなさいねーNOBUママったら突然いなくなっちゃって、私たちも驚いてるのよーと困惑した表情を作りつつも、明るい口調でハムスターは言った。
 俺の右隣にむらいぬが座り、その隣にハムスターが座った。何飲みますー?と聞かれたので、俺はスコッチをロックでと言った。むらいぬはしばしキョロキョロと店の中を見回していたが、はたと目を止めてハムスターを見ると、勝山ってあります?日本酒なんですけど、と尋ねた。
 俺達が店に入ってから一言も発していなかった眼帯姿のママが、カウンターの向こう側から初めて声をかけてきた。
 「あら、あんたまだ子供みたいな顔してるクセに、酒の趣味はいいじゃないの。勝山って言ったらあたしのふるさとのお酒で、地元では有名な銘酒なのよ」
 もちろん常備してあるわと言いながら、カウンターの奥からボトルを出して見せた。むらいぬはそうそうそれですと言い、屈託のないまっすぐな笑顔を眼帯姿のママに向けた。ママもむらいぬの笑顔を見て、つられてフッと笑った。
 「あらあなた、初対面でもうママの心を掴んだわね?この人ったらこう見えて人見知りでシャイだから、普段初対面の人にはなかなか心を開かないのよ。あ、申し遅れました、こちらは伊達ママ。それから私のことは、小十郎子ちゃんって呼んでね♪」
 やがて俺たちの前に酒の注がれたグラスが置かれた。俺はママと小十郎子というハムスターに一杯ずつオーダーし、4人で乾杯した。
 「ボク、こういうところ初めてなんです。今日はじゅりいぬにいっしょに連れてって欲しいって頼んだんです。じゅりいぬはいつもかんがえごとするとき、ここにお酒のみにくるから」
 俺は黙ってスコッチのグラスを傾けていた。むらいぬはひとしきりまた店の中を見回しては、へーとか、すごーいとか、あれってなんですか?などと言っていた。小十郎子はそんなガキみたいなむらいぬの相手をしては、あなたって可愛いわね、本当はまだお酒飲めない歳なんじゃないの?などとからかったりしていた。
 無愛想な伊達ママは、この前来た時の俺をどうやら覚えていたようで、さっきからちらちらと俺を見ていたが、むらいぬと小十郎子が楽しそうに話し始めたのを見計らって、俺に声をかけてきた。
 「あんたこの前も無茶な飲み方してたわね。まぁべつに興味もないから理由なんて聞かないけど、こんな可愛い弟分が居るんだから少しは考えなさいよ」
 ほぼ初対面で、しかも初めて言葉を交わした相手に言われるにしては結構キツい一撃だったから、俺は思わずムッとした顔で伊達ママを見上げた。
 眼帯をしていない彼女の左眼と、俺の視線が一瞬交錯した。だが次の瞬間、彼女はまるで何かから逃げるように目を逸らした。長い睫毛に縁取られた瞼の奥に刹那的に浮かんだ色を、俺は見逃さなかった。それは何だかとても懐かしく、見覚えのある色だったからだ。
 古傷を抉られるような妙な感覚に、俺は少しだけ身震いした。
 そしてそれを振り払うように、こう言い返した。
 「あんたこそ殻に閉じこもるのはやめにしたらどうだ。結構みっともないぜ、そういうの」
 スコッチを一気に飲み干して、カウンターの上にグラスを勢い良く置いた。ママは面食らったような顔をしていたが、しなやかな動きでグラスを取り上げると、新たな一杯を作りながらこう言った。

 「何よ偉そうに。あんたにあたしの何がわかるっていうのよ」

 肩のあたりが小刻みに震えていた。俺はあまりにストレート過ぎたかなと思いつつも、口をついて出てくる言葉を止められなかった。

 「わかんねーよ。あんたがなんで殻に閉じこもってるかなんてわかんねーよ。でも他者からの干渉を恐れてるってことくらいわかるぜ。昔の誰かさんがそうだったからな」

 「知ったような口利かないで」

 少し震える手で、ママは俺の前に新たに満たしたグラスを置いた。

 俺は攻撃の手を緩めず続けた。

 「自分一人の世界は心地いいよな。そうやって自分が悲劇のヒロインだって浸っていられるんだから。だけど狭い世界でウジウジしてるのって、自分が思うほど美しいもんじゃねーんだぜ。来る日も来る日もマスかいて満足してるみてーなもんだ」

 「やめて!あんたなんかに説教されたくなんかない!」

 俺の最後の一言が結構なダメージを与えたらしく、ママは逃げるように店の奥へと引っ込んでしまった。

 「え?ちょっとどうしたの、伊達ママー!?」

 ちょっとゴメンナサイね、ママったら人付き合いが上手くないもんだから・・・と言いながら、小十郎子が慌てて後を追い店の奥へと消えた。

 あとには俺と、何が起きたのかわからずキョトンとした顔のむらいぬが残された。

 「ど、どうしたの?何かあったの?」

 むらいぬが恐る恐る尋ねた。

 俺は知らん顔をして答えた。

 「接客業なのにその態度はどうかと思うって言ったんだ」

 「え?それだけ?」

 「あと・・・・悲劇のヒロイン気取ってんじゃねーって言ってやった。どうやら図星だったらしいぜ」

 自嘲気味にスコッチをあおる俺の横顔をまじまじと見つめながら、むらいぬは言った。

 「そうかな?ボク、あのひととってもいいひとだって思ったよ。すごく優しいひとだって、最初に見たときすぐわかったんだけどなー・・・そっか、じゅりいぬまたケンカしちゃったんだ・・・」

 寂しそうにシュンと俯くむらいぬを見て、俺はなんだか申し訳ないような気分になった。

 「それはそうとお前、ずいぶん楽しそうに話してたじゃねーか」

 俺は無理矢理話題を変えた。

 するとむらいぬは顔を上げ、パッと表情を変えて話し始めた。

 「うん!小十郎子さんてね、あんなにキレイなのに、ほんとうは男のひとなんだって!それから伊達ママさんもそうなんだって!あ、でもね、伊達ママさんはホトトギスをちょん切っちゃったんだけど、小十郎子さんは切ってないんだって!すごくない?これすごくない??」

 小十郎子が女装したオスだって事くらい、俺は一目見た時からわかっていたし、伊達ママにしたって何か事情があってそっちの世界に入ったんだろうってことくらいすぐにわかった。だがこういう店が初めてのむらいぬにとっては、色んなことが新鮮で、興味深かったんだろう。

 ふとむらいぬの冷酒用の切子グラスを見ると、もうほとんど残っていなかった。俺はちょっと驚いた。

 「おい、お前、結構イケるんじゃねーかよ」

 すると顔色も全く変わっていないむらいぬが、いつもより120%増量の笑顔を俺に向けて言った。

 「うん、これ2杯目だからね。ボクけっこう飲めるんだって今日知ったよ!やっぱりおじいさんが好きだった勝山はおいしいね!」

 「えっ・・・2杯目だったの・・・?」

 俺は思わず苦笑した。こいつ、案外やるな・・・。

 酔うと饒舌になるらしいむらいぬは、とりとめもなく色々なことを話し始めた。

 俺たちアワレンジャーが結成された頃のこと、綱吉司令が俺たちを大切にしてくれていること、メンバーたちのうわさ話、今、そしてこれからのこと。

 俺はむらいぬが話すのを、相槌を打ちながら心地良く聞いていた。こいつ、こんな風に感じてたんだ。こんな風に話すんだ。アワレンジャーとして行動を共にするようになってからしばらく経つけど、こんなに生き生きと楽しそうに話すむらいぬを、俺は初めて見た。

 そして誰よりも、他のメンバーのことをよく知っていることに、俺は気づいた。

 「ボク、むずかしいことはよくわかんないけど、みんなが感じてることは、なんとなくわかるんだ。うまくことばにできないから、こうなのかなーと思ってもそれを伝えられないまま、いつも終わっちゃうんだけど・・・」

 なんとなくわかった。さっきむらいぬが伊達ママのことを、すごくいい人で、優しい人だと言った時、俺は確信したんだ。

胸の中に何か暖かいものが広がるのを感じながら、俺は静かにグラスを傾けた。

むらいぬは話し続けた。

「あのねじゅりいぬ、ボク思うんだ。ムラネコがあんなことになって、みんながバラバラになっちゃったようにみえるけど、ほんとうは違うって。ほんとうはムラネコも、あのままでいいなんて思ってなかったとおもう。いぶねこだって、ムラネコにそばにいて欲しいって思ってるだろうし・・・。ひろねこもいつも冷静で、正しいことばっかり言うから、じゅりいぬはいつも、そんなことわかってるんだーって怒るけどさ、ひろねこだって冷静にしてなきゃいられないんだと思うよ。それ、わかってあげて欲しい。ねこおうじもいつもじゅりいぬとケンカばっかりしてるけど、ほんとうはじゅりいぬを信じてるし、さいごはじゅりいぬが思うことにしたがうっていつも言ってるじゃない?だからボクたちほんとうは、バラバラなんかじゃないんじゃないかな・・・?」

「むらいぬ、お前・・・」

俺は驚いた。本当にこいつは、誰よりもメンバーのことをよく見ている。そして理解している。普段はそれを言葉にする術を持たないが、酒の力を借りて饒舌になることで、思いを言語化するスキルがUPするんだ。

「なぁ、他のメンバーのことはわかったから、お前はどう思ってるのか、聞かせてくれよ」

俺は一番聞きたかったことを切り出した。するとむらいぬの顔が、一瞬曇った。

「え、ボク・・・?」

「ああ、お前はどう思ってるんだ?この状況をどうにかしたいって思ってるんだろう?そのためには、どうしたらいいと思う?つーか、俺ができることがあればお前の助けになりたいんだよ。お前が俺にやって欲しいことって、何だ?」

俺の言葉を聞くなり、むらいぬは考え込むように俯いてしまった。ボクがどう思ってるか・・・?ボクがじゅりいぬにして欲しいことって・・・?そうつぶやきながら、もうほとんど残っていない手元の切子グラスを両手で包んで弄び始めた。

・・・こいつは、いつも人のことばっかりなんだな。いざ自分のこととなると、とたんにどうしていいかわからなくなる。人の気持ちはわかるのに、自分の感情や意志、そして願いに気づくことができないんだ。

俺が口を開きかけたその時、店の奥から小十郎子が現れた。申し訳なさそうな顔で、俺たち二人を交互に見ながら言った。

「ゴメンナサイね。伊達ママ、今日はもう帰したわ。なんか昔のこと、思い出しちゃったみたい。あの人、普段はとても楽しいいい人なのよ。でもなんか過去にトラウマ抱えるようなことがあったらしくて・・・時々ヒステリーみたいになっちゃう時があるの。どうか大目に見てあげてちょうだいね」

そして空になったむらいぬの切子グラスに勝山のおかわりを注ぎ、俺のロックグラスにスコッチのおかわりを注ぎながら、これは店からのサービス、ヘンな空気にしちゃったお詫びよと言った。

俺は少し申し訳ないような気分になって、小十郎子に詫びた。

「いや、なんかこっちこそ申し訳なかった。別に傷つけるつもりはなかったんだ。でもあの、斜に構えて周囲をシャットアウトしてる感じがさ、なんつーか、その・・・・昔の俺にソックリだったから、なんかイラッとしてさ。つい、キツいこと言っちゃって・・・。ほんと、悪かった」

小十郎子は俺を見て、優しく柔らかい微笑みを浮かべ、言った。

「あなたは今、とってもいい顔してるわ。きっと伊達ママのような辛い過去を乗り越えたのね。立派だと思うわ。むらいぬちゃん、こんなお兄さんがそばにいてくれて、私羨ましい♪」

そう言っては少し俯き、少し淋しげな顔をした。俺はそれがとても気になった。でもそれはほんの一瞬で、俺が気に止める間もなく消えてしまった。

さぁさぁ、もうすぐ閉店の時間よ。それを飲み終わったらもう帰ってね。あなたたちにも明日があるのよ、色んなものに立ち向かってもらわなきゃぁと言いながら、小十郎子は楽しげに笑って煙草に火をつけた。

 

 

帰り道、慣れない酒を飲み過ぎて眠ってしまったむらいぬをおぶって歩きながら、俺は考えていた。

むらいぬがリーダーであることの意味を。

このバカは自分のことはいつも後回しで、人のことばかりを考えている。そして自分のことを犠牲にしては、人のために手に入れられるものはすべて手に入れようとする。そしてみんなが幸せでいられることを、いつも強く願っている、そんな男だ。

誰かが救われるために、誰かが犠牲になることを許容できない、そんなまっすぐな奴だ。

そして言葉が上手くなくて、感じたことを表現することが苦手な、超が付くくらい不器用な奴だ。

俺も人のことは言えない程度に思いを表現するのは苦手だが、少なくともむらいぬよりはマシだと思う。

だから、俺は、アワレブルーとして、アワレッドの思いをみんなに伝える手助けをしたいと思った。

俺なんかに務まるかどうかわからないけど。

一応色んな修羅場、乗り越えて今ここにいるわけだしな。

きっとむらいぬも俺のサポートを、喜んで受けてくれるに違いない。そう勝手に思うことにした。

星空が綺麗な夜だった。

見えるはずのない天の川が、なんとなく見えるような、そんな気がした。

 最近、俺どうかしてる。

 調子が狂うっていうか、なんていうか。

 気づけばボーっと考え込んじまうし。

 それを周りの奴らに指摘される始末。

 まったく、恥ずかしいったらねーの。

 

 ムラネコが出て行ってから、俺達は色々考えた。

 俺はムラネコが裏切るなんて、許せなかったしありえないと思った。

 だから奴を連れ戻そうとした。

 結局、力づくで取り返すことはできたけど・・・。

 物理的な距離と、心理的な距離は違う。

 ムラネコと俺達の気持ちは、まったく遠く離れてしまっていた。

 そもそも、最初から近かったかどうかも、怪しいもんだがな。

 

 バーのママに言われたことがある。

 俺の過去は、俺の過去。俺が自分で咀嚼して消化しなければならないものだって。

 過去に何があろうが、自分がそこで負った傷を癒すために、まったく無関係な他者を利用してはならないと。

 俺の思いを誰かに押し付けることは、俺のエゴに他ならない。

 それぞれ、みんな自分の人生を生きるのに必死だ。

 そしてそれぞれに、それぞれの過去がある。

 俺はそんなことにさえ気づかず生きてきたんだ。

 

 それからだ。色々考えるようになったのは。

 過去に蓋をして生きてきた俺は、過去と向きあうようになった。

 他者の思いを、過去を、受け止めようとした。

 でも、慣れないことをすると大怪我を負うもんだ。

 俺のもともとあまり性能の良くないオツムは、とっくの昔にキャパオーバーしてたらしい。

 

 ある時妙な夢を見て、他者の感情が自分の中に流れ込んでくるという経験をした。

 とても不思議な、経験だった。

 あれを夢と言っていいのかどうかわからない。だから「見た」じゃなく、「経験した」と言っておくべきなんだろうと思う。

 他者の感情の渦に巻き込まれ、翻弄されそうになった結果、そこにあるものをありのままに「受け入れる」ことの重要性を知った。

 受け入れるためには、相手を知らなければならないということも。

 それは、俺が今までの人生で、一番避けてきたことだ。

 他者を知ることを避け、自分をさらけ出すことを避けてきた俺にとっては、

 ・・・本当に、ものすごく困難なことなんだ。

 他者の内面に介入するということは、とても勇気のいることだ。どう頑張っても内面に辿り着く前に、外面をなぞって終わってしまう。

 だから俺は、どうしたら介入できるのかを考えていた。

 でも俺の少ない引き出しの中には、どう考えても答えは入っていないことに気づいた。

 

 俺はどうすればいい?

 俺があいつらにしてやれることって、一体何だ?

 そしてこんな気持ちすら、もしかしたらおせっかいとか過干渉とかだったりするんじゃないのか?

 でも今の俺達はバラバラで、このままでいいわけはない。それだけはわかってる。

 だったらなんとかしなきゃならない、そうだろ?

 

 なぁ・・・・誰か教えてくれよ。

 俺は一体、どうしたらいいんだ。

 ムラネコとの心理的距離を埋め、むらいぬを支え、いぶねこを自立させ、ひろねこに心を開かせる。そのためには、俺はどうしたらいいんだ・・・?

 誰か教えてくれ。

 教えてくれよ。