最近思うんだ。俺、他者に対する考え方とか、以前に比べてだいぶ変わったなって。
ムラネコの一件があって以来、そりゃーまぁ、劇的に。
それまではなるべく他者との接触を避けてきたから、自分から介入するなんてもってのほかだし、来るものも極力遠ざけて拒んできたけど、なんかそれって逆に結構パワー消費するってことがわかってきたらしい。
今はさ、そんな風に構えたりせずに、ありのままでいることが重要で、それが一番楽なんじゃないかって、そう思うようになった。
まぁ、むらいぬのおかげもあるんだけどな。
あいつの無理をせず、いつも自然体でいる様子を見て、俺も若干肩の力が抜けたような気がしたんだ。
そんな風に、まるで達観したかのようなことを言ってはいるが、実はまったく、そうでもない。
日々悩むというか、思考の深みに嵌り込んでしまうことが、逆に増えているような気がする。
『戦う』ということを常に考えなければならない俺たちだからこそ、みんなそれぞれ悩みを抱えているようで、時にそんなあいつらの感情が自分の中に流れ込んでくることがあるんだ。
ウダウダ悩んでる奴、何も言わない奴、本心かどうか疑わしい態度の奴、不安を抱えてる奴・・・。
まぁみんなそれぞれだ。
俺も人のことは言えないが、今はとりあえず棚に上げておいて・・・。
誰にとは言わず、とりあえず俺の独り言として、ある時俺が経験したことを話そうと思う。
聞きたくなければ、聞き流してくれればいい。寝たふりキメてくれても結構。
・・・あくまでも、独り言だからな。
俺がねこおうじたち兄弟と暮らしたあの婆さんの家を出てから半兵衛と出会うまでの間、ある寂れた街に身を潜めていたことがある。
その頃の俺はまさに無気力で無関心で、自分が生きているという事実にも無頓着だった。
だから相当無茶もした。
自分につながる『何か』が何も無いということは、この世に執着しなくなるということだ。
だから当然、無感動だった。
今思えばあの頃の俺の心は、冷え切っていたんだろう。何を見ても何をしても、何も感じなかった。
ニクショークの一味を殺しても、達成感もなければ憎しみも何も、湧いてこなかった。
日々を無為に過ごすためだけに、腹の中に何かを詰め込んだ。味とかそんなものはどうでも良かった、というより、感じなかったんだろうな。
文字通りなんの色もない生を生きていたんだ。
そんな時、ひょんなことから、俺はある教会に迷い込んだ。
ニクショークの手下との戦いで、ちょっとした深手を負ってしまったんだ。
痛みとかはさほど感じなかったが、出血が思いのほか酷かった。足の付根に近いところをやられていたので、多分大きな血管でも傷つけたんだろう。俺はとりあえずその場を離れ、身を隠すことにした。
それがその教会だったというわけ。
今でこそうさばっちがよく話して聞かせてくれるから多少はわかるけど、その頃の俺は教会とかキリスト教とか全く知識がなかったから、入った瞬間まず建物の天井の高さやその造形に驚いた。色とりどりのガラスを散らしたようなステンドグラスが外からの光を柔らかく室内に取り込んでいて、不思議と心が落ち着くのを感じたことを覚えてる。
出血のせいか、徐々にぼんやりと視界が霞んでいくのがわかった。外は暑い位なのに、寒くて寒くてガタガタ震えてる。どんなに強く傷を圧迫しても、ドクドクという心臓の拍動とともに血が噴き出してくるのがわかった。
俺死ぬのかなーなんて思いながらも、何となくそれでいいとも思ったし、どこかでホッとしている自分もいた。俺は教会の隅で身体を丸め震えながら、意識が消える瞬間をただ静かに待っていた。
すると、どこか遠くから、讃美歌が聴こえるような気がした。そして優しい誰かの声。朦朧とする頭で最後の力を振り絞り、声のする方を見上げると、そこには黒い衣服を着て胸に十字架を下げた男性が、心配そうな顔で俺を見下ろしているのが見えた。そこで俺は、意識を失った。
次に気がつくとそこは、小さな部屋のベッドの上だった。白い服を着た人がそばにいて、目を開いた俺を見て気がついたようですと誰かに声をかけた。すると奥から黒い服の人が出てきて、俺の顔を覗き込み微笑んだ。
「ああ、良かった。どうやら一命は取り留めたようですね。良かった良かった」
本当に良かったと何度も繰り返しながら、その人は俺の背を撫でた。そうか、死にそうになっていた俺は教会でこの人に助けられたんだと思い出した。天井からは水のようなものが入ったボトルが吊り下げられ、そこから 伸びた管が俺の腕の付け根に刺された針と繋がっていた。これで足りなくなった血液の分を補っているんだろうなと、ぼんやりと思った。
「野良犬の抗争にもで巻き込まれましたか?君は教会の隅で血だらけで倒れていたんですよ。まさに虫の息でした。助かるかどうかみんなで心配したんですよ。ああでも、こうして君の暖かい身体に触れることができて本当に良かった。戻ってきてくれてありがとう」
窓のない部屋だったので昼間なのか夜なのかわからなかったけど、小さな部屋を照らし出すオレンジ色の柔らかな照明と、黒い服の人の暖かい言葉が、俺の中にじんわりと染み込んだ。どうせならあのまま死んでしまっても良かったのにとも思ったが、あの時ここに身を隠したのは何かの運命だったのかも知れないと、俺はぼんやりと考えていた。
俺はそこで傷が癒えるまで数日間過ごした。最初はあまり腹も空かなかったが、出される食事がいつも程良く温かく、何とも言えず旨かったから、自分にまだ味覚というものが残っていたのかと驚きながらも、しばらく口にしていなかった食事らしい食事を、ちゃんと残さず食べるようになった。そして俺が皿までピカピカに平らげるのを見ると、黒い服の男性は満面の笑みを浮かべて、嬉しそうに俺の頭を撫でてくれた。何をしようが誰にも何も言われない生活に慣れきっていた俺にとっては、なんだかおかしな感覚だったが、それでも不思議なことに不快だとは思わなかった。
やがてその黒い服の男性は教会の牧師だということを知った。まだ若そうに見えるその男性は華奢で小柄で、垂らした金色の前髪の奥にのぞく眼がとても優しかった。日曜の朝には教会で礼拝が開かれ、人々が厳かに集い祈りを捧げ、牧師である彼の静かで優しい言葉に耳を傾けた。不思議と気持ちを鎮めてくれる賛美歌の穏やかなメロディが聴こえてきて、俺は痛む足を引きずりながらもフラフラと礼拝堂の音が漏れ聞こえる場所へ行き、邪魔にならない隅の方に丸くなり耳を傾けた。
だいぶ傷も癒えてきたある日の午後のことだった。その日は朝から雨が降っていて、ステンドグラスを通して挿し込む日差しも曇天のそれだったから、辺りはとても弱々しくどんよりした灰色に沈んでいた。それでも俺は窓のない小部屋で過ごすよりも礼拝堂の広い空間の方が居心地が良かったから、その日も誰にも見咎められないように礼拝堂の片隅に陣取り、ウトウトと惰眠を貪っていた。
すると正面のドアが開いて、ある女性が入ってきた。赤い傘を閉じ、軽く雫を払っている後ろ姿が見えた。左腕を怪我しているのか、白い包帯のようなもので保護しているようだった。俺は思わず身を硬くし、気付かれないようにさらに隅へと移動した。
その女性は俺のすぐそばまで歩いてきて、すぐ隣にある小さな部屋のドアを開け、中に入った。すると程なくして奥から人の気配がし、反対側のドアから牧師がその部屋の中に入ったのがわかった。俺はなんとなくそこにいてはいけないような気がしたが、説明のしようのない何かに抑えつけられているかのように動くことができなかった。小部屋の中から牧師の低く抑えた声が聞こえ、続いて女性が話す声が聞こえた。俺は息を潜め、そのやりとりに全身を集中させた。
「告解いたします。わたくしは罪を犯してしまいました。どうかお赦しください」
震える女性の声が聞こえた。それを癒すかのような、牧師の声が続く。
「あなたの罪を告白なさい。わたくしはここに主の身代わりとして、あなたの告白を聞き届けましょう」
しばし戸惑うような間があり、女性の息遣いだけが聞こえた。やがて戸惑いつつも女性が口を開いた。
「わたくしはもう、生きていたくありません。自分で命を断つことを、何度となく夢想してきました。そして 先日とうとう、わたくしは自らの手で、自らを傷つけてしまいました。さらに恥を上塗りするように、死に切れずこのような・・・・このような姿で・・・」
すすり泣く声が聞こえた。俺は女性が入ってきた時に見た左腕の包帯を思い出した。そうか、手首を切ったんだ。
「自ら命を断つことは、戒律で禁止されていることも存じあげております。ですがもう、わたくしには、生きてゆくだけの気力も、理由もないのです」
悲痛な声だった。搾り出すかのような、心をそぎ落とし振り絞るような声だった。麻痺していたはずの俺の感情すら動かすような、昏く、悲しい声だった。
牧師は一定の声音で、諭すような言葉をかけ続けていた。女性が自ら思いを吐き出すことができるように、ゆっくりと背中を押すように優しく、静かに語りかけていた。
「ご安心なさい。あなたの犯した罪は、わたくしのものでもあるのですよ。わたくしは自分の両親を、自らの脳内で殺めました。まだ幼い少年の頃の出来事でしたが、わたくしは今でもそのことについての是非を、自らに問い続けています」
女性が息を呑むのがわかった。心臓の鼓動がわけもなく高鳴るのがわかる。
牧師は続けた。
「わたくしは父を憎んでいました。母を憎んでいました。けれどまた、そんな彼らを慈しみ、哀れみ、感謝さえしています。なぜならわたくしは、彼らから生まれ、彼らの遺伝子を受け継いでしまったからです」
淡々と、そして澱みなく、牧師は話し続けた。
「父を殺め、母を殺めたいと望んでいました。それがわたくしの犯した罪です。そしてまた、その思いを遂げることの叶わなかった自分自身を、殺める勇気を持てなかったことが、わたくしの最大の過ちなのです」
あの優しい瞳の奥に、そんな思いを閉じ込めていたなんて。俺の背を撫でさするあの暖かい牧師の手の感触を、俺は思い出していた。
「牧師様・・・・あなたは、今のそんなご自分のことを、どう思っておいでですか?」
掠れた声で、女性が尋ねた。
牧師はまた、淡々と答える。
「人は死ぬまで生き続けるのです。そして、死んでも人の脳内で生き続けるのです。わたくしは死んでもなお、 人々の中で生き続けられる何かでありたいと願っています。だからあなたのその問いに対する答えは、きっと僕が死ぬ時に判るのだと思います」
何かが、俺の胸に突き刺さった。
「私は・・・・・私の犯した過ちは・・・・」
牧師の誘いに、やはり感じるものがあったのだろう。女性が何かを思い出すかのような口調で、ゆっくりと話し始めた。
「私は、父を殺しました。子供の父親も殺しました。そしてそんな自分が嫌で仕方なくて、自分すら殺してしまいたくなるのです。私の脳内では、すでに彼らは死んでいます。存在価値を見いだせないだけではありません。存在してほしくないのです。そしてそう思うことに罪を感じ、自分が死ぬことで彼らを殺した罪を償えるのではないかと、そんな風に考えてしまうのです」
金網に触れるような音がした。牧師の静かな声が続いた。
「わたくしはあなたに、誰かを愛して欲しいと思っています。殺した人たちの亡霊と、今一度向きあうことはできないのですか?」
「今は・・・・・もちろん先のことは誰にもわかりません。でも、今は誰も愛せないのです。子供に注ぐ愛情に言い訳をして、他に注ぐべき愛はどこにもないと思いたいのです」
「そうですか・・・なら構いません。無理をして微笑むのは身体に毒ですから。そしてあなたの負ったその傷は、おそらくそれほどまでに深く、大きく、癒しがたいものなのでしょう」
「牧師様・・・・」
「わたくしにはわかります。あなたがそうやって精一杯生きているということが。そしてわたくしには、それがとても嬉しく感じます。身体の傷はいつか癒えます。しかし心の傷は聖痕(スティグマ)となって、きっと一生あなたを苦しめるでしょう。でも、それでもわたくしはあなたに、生きて欲しいと願います。そして・・・」
牧師が深く息をついた。そして何かを振り切るように、女性にこう告げた。
「いつかずっと先のことでも構いません。あなたの殺してしまった人たちを生かしてあげて、そして愛せる時が来ることを、わたくしは祈っています」
押し殺した啜り泣きが聞こえた。途切れ途切れになりながらも、女性は最後にこう言った。
「たとえ私が死んでも、私は私の子の脳内で永遠に生き続ける母になりたい」
「・・・・ありがとう」
女性の最後の言葉を聞いて、ふっと微笑みながら告げる牧師の姿が、俺には見えるような気がした。
午後になっても雨は止まなかった。濡れるのを承知で、俺はそのまま教会を後にした。
どんな顔をして牧師に会えばいいのか判らなかった。
傷ついた俺を見つけ、手当をし、食事を与え、傷を癒すための場所を提供してくれた、命の恩人。そしてあの優しい微笑みと言葉で人々を癒し、励まし、生きる力を与え、往くべき路を人々に指し示す、牧師。
そんな外面からは想像もできないような、昏い何かを奥底に秘めた、謎めいた存在。
いや、たぶん、そうなんだろう。俺の知らないことが、まだまだこの世の中にはたくさんあるんだ。
だがその殆どは、俺には関係のないことばかりだ。
さっきあの二人のやりとりを見聞きしたのだって、俺がたまたまそこに居合わせたからだ。単なる偶然であり、 実際俺の人生にはあの人達は何の関係もない。
だから何の影響も及ぼさない・・・・はずだ。
そぼ降る雨の中、俺はまだ少し痛む足を引きずりながら、あてどもなく歩いた。
思いはすべて断ち切り、あの礼拝堂の隅に置き去りにして。
・・・で、俺がこの話を通して何を言いたいかというと、誰にでも多面性があるということだ。
そしてたまたま何かに関わってしまったからには、そこから受ける一切の影響を排除することはできないということだ。
俺はあの時、本来見聞きしてはならないことを、本能が警告するのを無視して、その場に留まり知ってしまった。それはきっと俺の『さだめ』のようなものだったのだろうと思う。
あの日、あの雨の中、複雑な思いを抱えたまま教会を去った俺は、現に今の今まであの日のことを忘れていたが、今なんとなく思い出して、そして色んなヒントがあの出来事に隠されていることを知った。
俺には無関係だと思っていた、あの人達の存在が、今になって俺に何かを告げようとしている。
あの人たちはきっと、誰かを憎むあまりに、その誰かと共に過ごした過去の時間から、離れることができないでいるんだろう。
脳内で愛する者たちを殺し、自分を責め、何度も同じことを繰り返している。
その堂々巡りがまた、さらに彼らを苦しめているんだ。
牧師が言っていた、『殺した人たちの亡霊と向き合う』という作業は、過去に対する償いのようなもので、自分の感情と対峙し直視するというある意味痛みの伴う苦行であり、いわゆる「憑き物落とし」だ。
自分の憎んだ人たちを殺したままにしておくことで、一番苦しむのは、実は自分自身であることを知らなければならない。
殺したままにしておくことは、自分が過去のその時間に囚われ、身動きが取れなくなっていることを許容するということだ。
だから牧師はあの女性に、『殺した人たちを生き返らせ、愛してあげて欲しい』と言ったんだ。
あのひとにあのまま、過去に囚われていて欲しくないと思ったから。
過去を否定したい自分の弱さを乗り越えて、明日に向かって生きてゆく力を得るために。
誰だって、程度の差こそあれ、痛みを抱えて生きている。
自分一人が辛いなんて思ったら、大間違いだぜ。
偉そうなこと吹いてると思うなら、それもいい。
だがな、お前よりほんのちょっとだけ長く生きて、修羅場をくぐってきた俺の言うことだ。いわゆる「経験値」ってヤツなんだと思うぜ。だから・・・・・ほんの少しでも・・・・お前の生きるための力になることができたら、いいなと、思う。
・・・・・ははっ、なんか、俺らしくねーよなwww 小っ恥ずかしーから、まぁ忘れてくれよ。
お前の戯言なんて最初から聴いてねーし寝てたぜって言うなら、その方が・・・・気が楽なような気もするけどな。
なんにせよ、俺はお前のこと、必要だと思ってるぜ。