まんまるな月を見上げながら、おれはふとその言葉を思い出した。
おれが子猫の頃に可愛がってくれたおばあさんは、物静かなひとだった。
だけどいつもやわらかい笑顔を絶やさず、優しくおれたちを見守ってくれる、まるで陽だまりのような人だった。
その太陽は、ある日突然いなくなった。
幼いおれにはその意味が分からなかったけど、今なら分かる。
その次におれのごしゅじんさまになった兵法の先生は、生徒たちにはとても厳しかったけれど、誰もいなくなった家でひとりおれを膝の上にのせて、おれの背中をなでながら穏やかな声でいろんな事を話してくれた。でも、最初は兵法の話をしたがらなかった。
ある日、生徒たちが帰ると先生は申し訳なさそうに言った。
「本当は、お前にこんな話を聞かせたくはないんだよ」
どうして? と。
何も知らないおれはたずね返した。
「だって、私が教えているのは戦に勝つ方法だ。ひとを殺す方法なのだよ。お前みたいな幼い子猫には、そんなことを知らずに無垢なままでいて欲しい」
「おれは子猫じゃないよ。それにきっと、誰も殺さずに戦に勝つ方法だって…」
くすくすと頭の上から降ってくる笑い声がどこか悲しげに聞こえて、おれは先生の顔を見上げた。
「だからお前はまだ子どもなんだ。本当に兵法を知りたいなら、そのうち分かるだろう。戦というものの本質が」
その頃のおれは、兵法の魅力に取りつかれていた。先生の悲しそうな笑顔の理由なんて、知ろうともしなかった。
戦の本質という言葉の意味は今でもときどき考える。答えはいつもすぐ近くまでやってきては、つかもうとする瞬間に指先からすり抜けていくんだ。
ただひとつ、はっきり分かったことがある。おれはほんとうに、何も分かってなかった。
三人目のごしゅじんさまとの出会いは、はっきりと覚えてる。
豊後の国の辺りにたどり着いたおれは何故か、戦の最中の軍の本陣に迷い込んだ。家臣の一人はおれを追い払おうとしたけど、おれはこれはチャンスだと思った。
「おれは、軍師なんです! 戦の役に立たせてください」
必死にアピールしていたら、首にビラビラしたものを付けてマントを羽織った大将が出てきた。それがそーりんだった。
「面白い。猫の軍師か」
そーりんは家臣から受け取ったおれを抱き上げてしげしげと眺めながら、不敵に笑った。
「ちょうど戦が膠着状態で困っていたところなんだ。参考までに意見を聞こう。お前ならどうする?」
おれは味方と敵の軍勢の数やこの辺りの地形、そーりんの生まれ年や色々な基本的なことを聞いて、ひとつの結論を導きだして伝えた。そしたらそーりんは何がおかしいのか、大きな声で笑い出した。
「……?」
「そうか。俺もお前と同じ考えだ。なかなかやるじゃないか」
けっきょくその作戦で戦に勝ち、実力を認められたおれは正式にそーりんの軍師として迎え入れられた。もちろん猫の軍師なんて、とおもしろくない顔をする家臣もいたみたいだけど、おれの戦術でいくつもの戦に勝ち続けるうちにそんな人たちもいなくなったらしい。
そーりんも先生と同じように、おれを膝にのせて話をするのが好きだった。たいていは戦術の話、それからキリスト教やきりしたんらんど? の話。キリスト教のことはどんなにそーりんが熱心に話しても、おれにはほとんど理解できなかったけどね。
それらとは全く関係なく、そーりんがおれに話してくれたことがある。
おれがそれを聞いたのはきれいな満月の夜で、窓からそれを見上げながら問いかけられた。
「お前は、月は好きか?」
「…つき?」
「そうだ。あのお月さまだ」
月は嫌いじゃ、ない。きれいだし、なんだか神秘的だし、優しく癒される感じがする。そう答えると、そーりんは続けた。
「今のお前は、月に似ているな」
「どういう意味?」
「俺が太陽で、お前が月、ということだ」
「全然分かんないよ」
回りくどい説明がもどかしくてちょっとすねて見せたら、なだめるみたいに喉元を指先でくすぐられる。気持ちよくておれは喉を鳴らしながら目を細めた。
「月は太陽の光を受けて輝き、その光で地球を照らす。ひとやお前たちもまた同じだ」
それって、おれがそーりんのおかげで輝いてるって意味だよね? でも、誰かを照らして…る…?
「おれは誰も照らしてないよ」
「お前がそう思ってるだけだ。お前という月明かりを求める家臣はたくさんいる。実際、お前の戦術を頼りにたくさんの兵が動くだろう?」
「それは、そうだけど…」
おれにとってそーりんは、眩しい存在だった。やりたい放題ばかりの横暴な暴君だって言うひともいるけど、たくさんの家臣をまとめ上げて、色んなことを成しとげていく。おれにはどうやったってマネできないもん。
そんなそーりんの側で軍師として戦をサポートする。そんなおれがだれかを導く月の明かりになっていたなんて。考えたこともなかった。
「誰もが誰かの太陽となり月となり、照らし照らされ、そうやって生きているんじゃないだろうか」
俺がそーりんの元を去ったのは、それから何度目かの満月の夜だった。
そーりんという太陽をなくして、おれは輝くすべをなくした。でも、それは違うんだよね。最近気がついたよ。
今度はおれが太陽になって、誰かを照らす番なんだ。
多分、その誰かっていうのは――だいじょうぶ、わかってるよ。
fin.


