「・・・・・俺が行く」
扉の前に背を向けて立っていたひろねこの肩に手をかけ、そっと力を込める。ひろねこは肩越しに俺を見上げると、静かに道を空けた。その眼からはすでに、怒りは消えていた。
俺はドアを開け廊下に出た。いぶねこが行きそうなところを探して歩く。司令のところかと思い司令室を覗いたが、そこはもぬけの殻だった。まさか帰っちまったわけじゃないだろうと、御囲の中を探して回った。
どのくらい時間が経っただろうか。やがて夜の帳がすっかり降りて、夜風が少し寒く感じられるような時間になった。ふと耳を澄ますと、どこからか啜り泣くよ
うな声が聞こえてきた。しかもそれは、どこか上の方から聞こえてくるようだった。俺はもしやと思い、少し距離を取ってから声のするあたりを見上げた。
すると案の定、俺がいつも何かに行き詰まった時に登る屋根の上で、いぶねこが膝を抱え顔を腕にうずめて泣いているのを見つけた。
「・・・ったくあいつ、俺の指定席を勝手に・・・」
内心ホッとしながら、俺は本心ではない毒を吐きつつあの場所へと雨樋を登り始めた。
まるで叱られた子供のように、いぶねこは膝に額を押し付けて泣いていた。
よく見ると、膝小僧から血が流れているのがわかった。
俺はやれやれと思いながら肩の力を抜いた。大きく息を一つつき、いぶねこの隣に座りながら言った。
「ずいぶん頑張って登ったんだな。それ、登る最中にやっちまったのか?その・・・膝小僧」
いぶねこは俺の声を聞いて一瞬動きを止めたが、顔を上げず答えることもしなかった。
「結構切れてんじゃねーの。手当てしなくていいのか」
俺はさっきひろねこに手当てしてもらったばかりの右手を見て、これはさすがに大げさすぎるだろーひろねこも心配性だよななどとつぶやきつつ、ぐるぐる巻かれた包帯をほどいた。そして俺の血液で汚れていない部分をいぶねこの傷口に当て、適当に巻いて縛って留めた。
お世辞にも上手いとは言えない俺の応急処置が不安だったのか、徐々にいぶねこが顔を上げた。俺のあぶなっかしい手つきを見ながらも、特に拒否することもなく、ただされるがままになっていた。
あー、なんか、緩かったかなー、もしかしたらすぐ取れちまうかもな。まぁそんときは、ひろねこにやってもらえ、あいつ大げさだけど上手いからさ。俺がそう言っていぶねこを見ると、何かに思いを巡らすかのように膝の包帯あたりを見つめていた。
俺は何て言っていいかわからず、そのまま屋根の上に寝そべった。自然といぶねこの背中を眺める格好になった。いぶねこはしばらく黙っていたが、やがてポツポツと話し始めた。
「ボク・・・・・ほんとうはとても不安なんだ。ムラネコがそばにいないっての、あの時から今までなかったから。あのペットショップから逃げ出して、死にそ
うになってるところをムラネコに助けられてからずっと、ボクはムラネコと一緒だった。こんなに長いこと離れてたことなんて、今までなかったんだ。だか
ら・・・」
静かに話すいぶねこの後ろ姿を眺めつつ、俺は黙って聞いていた。
いぶねこは続けた。
「ほんとうは一緒にいて欲しいよ。ムラネコにそばに居て欲しいよ。そんでもっていっぱいワガママいって、またあのぶっきらぼうな態度で文句いいながらも叶
えてくれるムラネコをみたいって思うよ。そんでもって大好きーって、大好きだよーーって、そう言ってムラネコの首にじゃれつきたいよ。ボク・・・・ほんと
うは・・・ほんとうは・・・」
小さな肩を震わせながら、搾り出すようにいぶねこは言った。俺はやっぱり、何も言わずにただ聞いていた。
いぶねこはきっと、精一杯自分に強がりを言っていたんだろう。以前俺に、他者との付き合い方について聞かれた時、『言いたいことはちゃんと言うようにして
る』と言っていたあのいぶねこが、自分の気持を封じ込めようと必死になっていたんだと思うと、そのいじらしさに胸が傷んだ。
「お前らしくもねーな。言いたいことを言わないなんて、一体どうした?」
いぶねこは肩越しに俺を振り返りながら、うっすらと涙の浮かんだ目で俺を見て言った。
「ボクね、オトナにならなきゃいけないと思ったんだよ。いつまでもムラネコに頼ってちゃいけないと思ったの。だっていなくなっちゃったんだもん。頼りたく
たって頼れないんだもん。もしかしてムラネコがいなくなっちゃったのは、ボクのせいなのかとも思った。ボクがいつまでもこんなだから、もうボクのこと嫌に
なっちゃったのかなって。だからボクが頑張ってオトナになったら、ムラネコが帰ってきてくれるんじゃないかって・・・・」
「・・・・・んなはずねーだろ。あいつがお前を嫌いになるなんてありえねぇ」
「どうしてわかるの?いくら仲がいいからって、ずっとずっとおんなじ気持ちでいられるわけじゃないでしょ?」
俺は腕で反動をつけて上体を起こした。そして見上げるいぶねこの目をまっすぐに見て言った。
「おんなじ気持ちでいるってことはあり得ない。10年後、20年後に今と全く同じ気持ちでいられるかって聞かれたら、それは確実に、ノーだ」
いぶねこの瞳が揺れた。俺は構わず続けた。
「ただな、気持ちの種類が変わっても、ムラネコがお前を大事に思う気持ちは変わらないはずだ。歳を取れば考え方も徐々に変わってくる。それと共に、気持ち
も変化するもんだ。それは仕方がない。お前が言うように、ずっとおんなじってことはあり得ないからな。・・・・ただ、好きだと思ったり、大事だと思ったり
する気持ちは、形は変わってもずっと続いていくもんなんじゃねーかと、俺は思うぜ・・・」
何かを探るように、いぶねこは目を伏せた。俺はさらに続けた。
「お前がやせ我慢したところで、一体何が変わると思う?よっぽど帰ってきて欲しいって叫び続けた方が、あいつの心を動かすためには効果的だと思うぜ。お前
が気持ちを誤魔化して辛いのに笑ってるふりをし続けたら、あいつは自分がもうお前にとっては必要ないと考えるだろう。自分の役目は終わったと思うだろう。
そして静かに、お前の元を去る。あいつはそういう奴だ」
ムラネコの涙の意味を、俺は考えていた。いぶねこを頼むと俺に告げた時の、あの涙の意味を・・・。
「今のお前は、お前らしくない。俺がずっと感じてた違和感の正体がやっとわかったよ。言いたいことを言わないお前のその、思わず『どっちなんだよ!?』ってツッコミ入れたくなるような態度、それが原因だったんだな」
「じゅりいぬ、ボク・・・・」
「お前はいつもワガママで、マイペースでいないと調子狂うんだよな。まぁそもそも俺には、お前みたいなクルクル気分の変わるやつの面倒なんて見れねーけどww」
「なんだよそれー。それじゃまるでボクがお天気屋みたいじゃないか!」
え、違うのかなどと言ってからかっているうちに、いぶねこの顔に笑顔が戻った。
泣き笑いしてるみたいないぶねこの肩をポンと叩いて、俺は立ち上がった。そして墨を流したように真っ暗な空を見上げながら言った。
「お前のおかげで俺、自分の気持の整理も出来たよ。ありがとな、いぶねこ」
「えっ・・・・なんだよじゅりいぬwwありがとだなんて・・・クスクスッww」
「おっ・・・お前そこ、笑うとこじゃねーし( *`ω´)=3」
「あはっww何照れてんのー?じゅりいぬ、大好きだよー♪」
そう言いながらいぶねこは弾けるように立ち上がり、背中から俺の首っ玉にぶら下がった。俺は軽く首を締められた形になり、思わずぐええっとなった。
「何すんだよアブネー!下手したら落ちんぞバーカ!ww」
俺の反応を見て、いかにも面白そうにいぶねこは笑った。
「だって、思ったことをちゃんと言えって言ったの、じゅりいぬでしょ?バカバカ言わないでよバカっww」
「バーカ!俺のバーカって言うのはな、ある意味愛情表現なんだよ!・・・・・って言わせんなバーカ!」
「あ、言ったね!認めたね!じゅりいぬもボクのこと好きなんだね!きーちゃったきーちゃったぁー♪」
「こらっ!・・・まぢアブネーから・・・ほら降りんぞ。足元気をつけろよ・・・ったく、もう」
さっきまでとは打って変わってはしゃぐいぶねこを支えて屋根を下りながら、俺は思った。
言葉だけでは思いは伝わらない。足りない分を補うために、態度がある。
言葉も態度も上手く使いこなせない俺の場合は、思いを伝えるのが苦手だ。
だがそれはそれでいいんじゃねーかと思う。
たまには思ってるだけでも、いいんじゃねーのかと。
ものすごい自己欺瞞なのかも知れないけど、たとえ相手に思いが伝わらなくても、相手を思うという行為はそれだけで、すでに完結しているのではないかと、そんな気がするんだ。
『仲間』を思うこと。たとえ離れていても、方法は違っても、目指す場所が一緒であれば、きっと『仲間』で在り続けることができる、そんな気がする。
ムラネコは俺たちを『裏切った』と言った。あいつのしていることは確かに、表面的には裏切りだ。よりによって敵方の大将に惚れてここから逃げ出すなんて、とんだ昼ドラじゃねーかと思う。
ただ、あいつが『裏切った』と言ったってことは、あいつが俺たちを『仲間』とみなしているという理由にもなるんじゃないだろうか。
俺たちの目的は、生類食いを止めること。その点については、あいつも俺たちも一緒だ。
そしてムラネコはかつて俺に、『あいつを止められるかも知れない』と言った。
離れていても、あいつの『思い』はわかる。生類食いを止めたい。ただそれだけなんだ。
俺はようやく理解した。
離れていても、『思い』はつながっている。
きっと離れているからこそ、見えることもあるんだろう。
ずっと胸に詰まっていた大きな塊が、すーっと消えていくような気がして、俺は大きく深呼吸した。
解決の糸口が見えてきた。次はしっかりとそれをこの手に、掴む番だ。
俺たちはアワレンジャー。世界平和を目指して戦う者たち。
それだけがきっと、ただひとつの真実。
迷わず進め。信じる路を往け。
そうすればきっと、俺達の前に道は開ける。
いつかきっと。
