「・・・・・俺が行く」

 扉の前に背を向けて立っていたひろねこの肩に手をかけ、そっと力を込める。ひろねこは肩越しに俺を見上げると、静かに道を空けた。その眼からはすでに、怒りは消えていた。

 俺はドアを開け廊下に出た。いぶねこが行きそうなところを探して歩く。司令のところかと思い司令室を覗いたが、そこはもぬけの殻だった。まさか帰っちまったわけじゃないだろうと、御囲の中を探して回った。

  どのくらい時間が経っただろうか。やがて夜の帳がすっかり降りて、夜風が少し寒く感じられるような時間になった。ふと耳を澄ますと、どこからか啜り泣くよ うな声が聞こえてきた。しかもそれは、どこか上の方から聞こえてくるようだった。俺はもしやと思い、少し距離を取ってから声のするあたりを見上げた。

 すると案の定、俺がいつも何かに行き詰まった時に登る屋根の上で、いぶねこが膝を抱え顔を腕にうずめて泣いているのを見つけた。

 「・・・ったくあいつ、俺の指定席を勝手に・・・」

 内心ホッとしながら、俺は本心ではない毒を吐きつつあの場所へと雨樋を登り始めた。

 

 まるで叱られた子供のように、いぶねこは膝に額を押し付けて泣いていた。

 よく見ると、膝小僧から血が流れているのがわかった。

 俺はやれやれと思いながら肩の力を抜いた。大きく息を一つつき、いぶねこの隣に座りながら言った。

 「ずいぶん頑張って登ったんだな。それ、登る最中にやっちまったのか?その・・・膝小僧」

 いぶねこは俺の声を聞いて一瞬動きを止めたが、顔を上げず答えることもしなかった。

 「結構切れてんじゃねーの。手当てしなくていいのか」

 俺はさっきひろねこに手当てしてもらったばかりの右手を見て、これはさすがに大げさすぎるだろーひろねこも心配性だよななどとつぶやきつつ、ぐるぐる巻かれた包帯をほどいた。そして俺の血液で汚れていない部分をいぶねこの傷口に当て、適当に巻いて縛って留めた。

 お世辞にも上手いとは言えない俺の応急処置が不安だったのか、徐々にいぶねこが顔を上げた。俺のあぶなっかしい手つきを見ながらも、特に拒否することもなく、ただされるがままになっていた。

 あー、なんか、緩かったかなー、もしかしたらすぐ取れちまうかもな。まぁそんときは、ひろねこにやってもらえ、あいつ大げさだけど上手いからさ。俺がそう言っていぶねこを見ると、何かに思いを巡らすかのように膝の包帯あたりを見つめていた。

 俺は何て言っていいかわからず、そのまま屋根の上に寝そべった。自然といぶねこの背中を眺める格好になった。いぶねこはしばらく黙っていたが、やがてポツポツと話し始めた。

  「ボク・・・・・ほんとうはとても不安なんだ。ムラネコがそばにいないっての、あの時から今までなかったから。あのペットショップから逃げ出して、死にそ うになってるところをムラネコに助けられてからずっと、ボクはムラネコと一緒だった。こんなに長いこと離れてたことなんて、今までなかったんだ。だか ら・・・」

 静かに話すいぶねこの後ろ姿を眺めつつ、俺は黙って聞いていた。

 いぶねこは続けた。

  「ほんとうは一緒にいて欲しいよ。ムラネコにそばに居て欲しいよ。そんでもっていっぱいワガママいって、またあのぶっきらぼうな態度で文句いいながらも叶 えてくれるムラネコをみたいって思うよ。そんでもって大好きーって、大好きだよーーって、そう言ってムラネコの首にじゃれつきたいよ。ボク・・・・ほんと うは・・・ほんとうは・・・」

 小さな肩を震わせながら、搾り出すようにいぶねこは言った。俺はやっぱり、何も言わずにただ聞いていた。

  いぶねこはきっと、精一杯自分に強がりを言っていたんだろう。以前俺に、他者との付き合い方について聞かれた時、『言いたいことはちゃんと言うようにして る』と言っていたあのいぶねこが、自分の気持を封じ込めようと必死になっていたんだと思うと、そのいじらしさに胸が傷んだ。

 「お前らしくもねーな。言いたいことを言わないなんて、一体どうした?」

 いぶねこは肩越しに俺を振り返りながら、うっすらと涙の浮かんだ目で俺を見て言った。

  「ボクね、オトナにならなきゃいけないと思ったんだよ。いつまでもムラネコに頼ってちゃいけないと思ったの。だっていなくなっちゃったんだもん。頼りたく たって頼れないんだもん。もしかしてムラネコがいなくなっちゃったのは、ボクのせいなのかとも思った。ボクがいつまでもこんなだから、もうボクのこと嫌に なっちゃったのかなって。だからボクが頑張ってオトナになったら、ムラネコが帰ってきてくれるんじゃないかって・・・・」

 「・・・・・んなはずねーだろ。あいつがお前を嫌いになるなんてありえねぇ」

 「どうしてわかるの?いくら仲がいいからって、ずっとずっとおんなじ気持ちでいられるわけじゃないでしょ?」

 俺は腕で反動をつけて上体を起こした。そして見上げるいぶねこの目をまっすぐに見て言った。

 「おんなじ気持ちでいるってことはあり得ない。10年後、20年後に今と全く同じ気持ちでいられるかって聞かれたら、それは確実に、ノーだ」

 いぶねこの瞳が揺れた。俺は構わず続けた。

  「ただな、気持ちの種類が変わっても、ムラネコがお前を大事に思う気持ちは変わらないはずだ。歳を取れば考え方も徐々に変わってくる。それと共に、気持ち も変化するもんだ。それは仕方がない。お前が言うように、ずっとおんなじってことはあり得ないからな。・・・・ただ、好きだと思ったり、大事だと思ったり する気持ちは、形は変わってもずっと続いていくもんなんじゃねーかと、俺は思うぜ・・・」

 何かを探るように、いぶねこは目を伏せた。俺はさらに続けた。

  「お前がやせ我慢したところで、一体何が変わると思う?よっぽど帰ってきて欲しいって叫び続けた方が、あいつの心を動かすためには効果的だと思うぜ。お前 が気持ちを誤魔化して辛いのに笑ってるふりをし続けたら、あいつは自分がもうお前にとっては必要ないと考えるだろう。自分の役目は終わったと思うだろう。 そして静かに、お前の元を去る。あいつはそういう奴だ」

 ムラネコの涙の意味を、俺は考えていた。いぶねこを頼むと俺に告げた時の、あの涙の意味を・・・。

 「今のお前は、お前らしくない。俺がずっと感じてた違和感の正体がやっとわかったよ。言いたいことを言わないお前のその、思わず『どっちなんだよ!?』ってツッコミ入れたくなるような態度、それが原因だったんだな」

 「じゅりいぬ、ボク・・・・」

 「お前はいつもワガママで、マイペースでいないと調子狂うんだよな。まぁそもそも俺には、お前みたいなクルクル気分の変わるやつの面倒なんて見れねーけどww」

 「なんだよそれー。それじゃまるでボクがお天気屋みたいじゃないか!」

 え、違うのかなどと言ってからかっているうちに、いぶねこの顔に笑顔が戻った。

 泣き笑いしてるみたいないぶねこの肩をポンと叩いて、俺は立ち上がった。そして墨を流したように真っ暗な空を見上げながら言った。

 「お前のおかげで俺、自分の気持の整理も出来たよ。ありがとな、いぶねこ」

 「えっ・・・・なんだよじゅりいぬwwありがとだなんて・・・クスクスッww」

 「おっ・・・お前そこ、笑うとこじゃねーし( *`ω´)=3

 「あはっww何照れてんのー?じゅりいぬ、大好きだよー♪」

 そう言いながらいぶねこは弾けるように立ち上がり、背中から俺の首っ玉にぶら下がった。俺は軽く首を締められた形になり、思わずぐええっとなった。

 「何すんだよアブネー!下手したら落ちんぞバーカ!ww」

 俺の反応を見て、いかにも面白そうにいぶねこは笑った。

 「だって、思ったことをちゃんと言えって言ったの、じゅりいぬでしょ?バカバカ言わないでよバカっww」

 「バーカ!俺のバーカって言うのはな、ある意味愛情表現なんだよ!・・・・・って言わせんなバーカ!」

 「あ、言ったね!認めたね!じゅりいぬもボクのこと好きなんだね!きーちゃったきーちゃったぁー♪」

 「こらっ!・・・まぢアブネーから・・・ほら降りんぞ。足元気をつけろよ・・・ったく、もう」

 さっきまでとは打って変わってはしゃぐいぶねこを支えて屋根を下りながら、俺は思った。

 言葉だけでは思いは伝わらない。足りない分を補うために、態度がある。

 言葉も態度も上手く使いこなせない俺の場合は、思いを伝えるのが苦手だ。

 だがそれはそれでいいんじゃねーかと思う。

 たまには思ってるだけでも、いいんじゃねーのかと。

 ものすごい自己欺瞞なのかも知れないけど、たとえ相手に思いが伝わらなくても、相手を思うという行為はそれだけで、すでに完結しているのではないかと、そんな気がするんだ。

 『仲間』を思うこと。たとえ離れていても、方法は違っても、目指す場所が一緒であれば、きっと『仲間』で在り続けることができる、そんな気がする。

 ムラネコは俺たちを『裏切った』と言った。あいつのしていることは確かに、表面的には裏切りだ。よりによって敵方の大将に惚れてここから逃げ出すなんて、とんだ昼ドラじゃねーかと思う。

 ただ、あいつが『裏切った』と言ったってことは、あいつが俺たちを『仲間』とみなしているという理由にもなるんじゃないだろうか。

 俺たちの目的は、生類食いを止めること。その点については、あいつも俺たちも一緒だ。

 そしてムラネコはかつて俺に、『あいつを止められるかも知れない』と言った。

 『本当の敵は他にいる』とも。

 離れていても、あいつの『思い』はわかる。生類食いを止めたい。ただそれだけなんだ。

 俺はようやく理解した。

 離れていても、『思い』はつながっている。

 きっと離れているからこそ、見えることもあるんだろう。

 ずっと胸に詰まっていた大きな塊が、すーっと消えていくような気がして、俺は大きく深呼吸した。

 解決の糸口が見えてきた。次はしっかりとそれをこの手に、掴む番だ。

 俺たちはアワレンジャー。世界平和を目指して戦う者たち。

 それだけがきっと、ただひとつの真実。

 迷わず進め。信じる路を往け。

 そうすればきっと、俺達の前に道は開ける。

 いつかきっと。

再び、あいつが消えた。
俺たちが止めるのも聞かずに。

言葉少なに去る理由を告げ、背を向けたあいつを俺は、追うことさえできなかった。

目の前で閉じられた扉の前で、ただ茫然と立ち尽くすことしかできない。

悔しかった。
不甲斐なかった。
願い、思い、ぐるぐると渦巻く感情。
何故届かない?
何故伝わらない?
一体何がいけなかったのか。
何を、何処で、間違えてしまったのか。
誰か教えてくれ。
 
ねこおうじが言った。
じゅりいぬが悪いんじゃない。

誰も悪くない。
じゃあ何が悪かったんだ?
どうしてこうなった?
いっくら考えても判りゃしねぇ。
 

力が抜けてへたり込んでいた俺を、ねこおうじが支え立ち上がらせようとしたが、俺はその手を振り払いそのまま部屋を出た。

こんな風に混乱する自分の姿を見られたくなかった。

だって可笑しいだろ?

あのいぶねこですら、ムラネコはきっと戻ってくるって、裏切ってなんかいないって、そう言うのに、俺が、この俺が奴の離反を受け入れられずにいる。

俺が、俺だけが、異常なまでに取り乱している。
俺にはその意味が判らない。
だから気持ちを持て余し、思考をまとめることができない。

軍師なのに。
冷静でいなければならないはずなのに。

可笑しいだろ・・・・・・どう考えたって。

俺は一体どうしちまったんだ。

どうしてこんなに心が乱れるんだ。

誰か教えてくれ。

気持ちを切り替えるために、顔を洗った。

思い切り水を流して、あたりに雫が飛び散るのも構わずに。

水と一緒に色んなものを流してしまいたかった。

排水口に濁々と音を立てて流れ落ちていく水の帯を、祈るような気持ちで見つめた。

だがやはり胸の中に何かが詰まっているような感覚は変わらなかった。大きく吐息をついても何しても一向に取れる気配がない。

いっそのことこの胸を掻っ捌いて、詰まった妙な塊を取り出して投げ捨てたい気分だ。

冷たい水が皮膚を刺激し、同時に心も刺激する。

水浸しになった顔を上げると、鏡の向こう側から酷い顔をした自分が覗き込んだ。

とにかく無性に腹が立ってきて、俺は鏡の中の自分を殴った。

鏡に幾筋かひびが入り、めり込んだ拳からうっすらと血が滲んでも、俺は痛みすら感じなかった。

以前の俺なら、出ていくというわからず屋の行く先の心配は愚か、引き止めることすらしなかっただろう。

すべてが他人事だったあの頃。俺は他者にも、自分にも、興味がなかった。

それが今じゃこのザマだ。

仲間なんて持つもんじゃない。
結局は煩わしい妙な感情に振り回されるだけじゃねぇか。

なんにもいいことなんてねーんだよ。
 

ふらふらと洗面所から出て、髪から雫を垂らしながら歩いていた俺を、ねこおうじとひろねこが迎えに来た。

俺の右の拳に滲む血を見て、手当しましょうとひろねこが言った。

さっきまでムラネコを吊るし上げていた部屋に戻ると、まだみんなそこに居た。

俺は誰とも目線を合わせることなく、ひろねこに導かれるまま腰掛けた。

部屋の中ではこれからどうするかについて話し合われていたが、俺にとってはどこか遠くの方から聞こえてくるノイズのようで、妙に現実感がなかった。応急処置用の医薬品や衛生材料が詰められた携帯用の救急バッグを運んできたひろねこが、細かい破片がめり込んだ俺の右手の傷を生理食塩水で洗い流し、手際よく手当をしてくれている。俺はぼんやりとその様子を眺めるともなしに眺めていた。

「じゅりいぬさん、無茶しないでください。この上あなたにまで何かあったら、ぼくたちはどうすればいいんですか」

優しく咎めるような口調でひろねこが言う。

「そうだよじゅりいぬ。きっと何か手があるはずだよ。おれも本腰入れて占ってみる。だいじょうぶ、きっとうまくいくよ」

ねこおうじが励ます。

「私も、そんなじゅりいぬさん見ていられません。これは私たち全体の問題です。ムラネコさんを止められなかったことは、私たちみんなで直視しなければならないことでしょう?」

うさばっちが心配そうに覗き込む。
「・・・じゅりいぬ、ごめんね。ボクがムラネコを引き止められなかったから・・・。ムラネコに言いたいことた

くさんあったのに、言葉にならなかった。やっぱり、伝えられなかったよ・・・」

むらいぬがしょぼくれる。

「きっとムラネコは帰ってくるよ。ボクはそう信じてる」
いぶねこがつぶやく。

俺はその言葉に強い違和感を覚えた。いぶねこの言うことはさっきから矛盾している。

それまでずっとだんまりを決め込んでいた俺は、肩越しにいぶねこを一瞥しつつ、殆ど反射的に口を開いた。

「お前がそう思う根拠は何だ?」

突然の俺の言葉に、あたりは一瞬静まり返った。
そしてみんなが一斉にいぶねこを見た。
その場の視線が急に自分に注がれたことに戸惑っているのか、いぶねこは口ごもりながら答えた。

「根拠とか……そんなのないよ。ただボクはムラネコを信じてる。絶対ボクのこと置いて行ったりしないって。だ

からだよ」

「ふーん……」
手当ての終わった右手をさすりながら、俺はいぶねこの方に向き直った。

「随分な変わりようだな。さっきはあいつに帰ってきて欲しいって懇願してたクセに」

ムラネコがいなくなって一番凹んでたのはあいつだ。ニクショークとの戦いの後、ムラネコがあの女首領と消えて

戻ってこなくなった時は、朝から晩まで泣いていた。泣き止んだかと思えば周囲に当たり散らし、ふと拗ねたように黙りこくっては眠ってしまうということの繰り返しだった。俺たちはいぶねこの気持ちがよくわかったから、なんとかしてムラネコを連れ戻さなきゃならないとそればかり考えてきた。

 いぶねこが今生きてここに居るのは、ムラネコの存在があったからこそだ。

 だからいぶねこにとっては、ムラネコの居ない生活なんて考えられなかったはずだ。

 だからこそムラネコに帰ってきてくれと懇願していたんじゃないか。

 それが何だ?まるで手のひらを返すように、『ムラネコにはムラネコの考えがあるんだよ』『ムラネコはきっと戻ってくる。だからボクは大丈夫だよ』・・・・だと。

 どっちなんだ。

 どっちなんだよ。

 「現にあいつはお前を置いて行ったじゃないか。奴の言葉を聞いただろう?あいつはあの女を殺せないって、そう言ったんだ。俺たちの仲間の仇、俺達が倒すべき相手、それをあいつは、殺せないって言ったんだ。お前よりもあの女を取ったってことなんだよ。いいのかそれで・・・・お前、本当にそれでもあいつを信じられるって言うのか?!」

 去り際のムラネコの眼。俺はあの鈍色に沈むあいつの眼の色を、きっと忘れることはないだろう。

 あいつはもう、憑かれちまったんだ。

 「・・・ボクはそうは思わない。きっとムラネコにはムラネコの考えがあるんだ。ボクたちが思いもつかないようなことを、ムラネコは考えてるんだよきっと。ボクにはそれが何かわからない。でも、ムラネコがいろんなこと考えてるっていうのはわかるよ。だからきっといつか帰ってくる。いつかきっと・・・!」

 自分に言い聞かせるように宣言するいぶねこに、俺は容赦なく言葉を浴びせかけた。

 「いつかっていつだよ?5年後か?10年後か?それとも俺たちがニクショークに滅ぼされた後か?そんな確証のないもの、誰が待っていられるよ?しかもその前にムラネコが・・・あいつに喰われちまうかも知れないんだぞ?いぶねこ、お前本当にそれで・・・・それでいいのか?!」

 「・・・・・大丈夫。ムラネコはニクショークになんて負けないよ。あんなに強いんだから・・・」

 「バカ言ってんじゃねぇ!俺たちが束になっても叶わない、あの黒い男はどうするよ?!ムラネコはあいつに、たった一人で、立ち向かおうとしてるのかも知れないんだぞ?あの男・・・・あいつはマジでやべぇ・・・一人でなんとか出来るなんて、ムラネコだって本気で考えてるわけじゃないはずだ・・・それほどあの男は・・・」

 あの昏い眼を思い出しただけで身震いする。あいつは、あの黒い男は、近づいただけで肌を刺すような強烈な気を放っている。あいつがニクショークと組んでいる以上、俺たちに勝ち目はない。

 「おいいぶねこ、本心を言え。お前はムラネコがいなくなっても平気なのか?こんな状況でもいつか帰ってくるなんて悠長に構えていられるのか?どうなんだ?え?どうなんだよ・・・!?」

 俺は知らず知らずのうちにいぶねこに詰め寄っていた。文字通り追い詰められた子猫の表情になったいぶねこは、苦し紛れに叫んだ。

 「・・・・ボクは!・・・・ボクだってムラネコと一緒にいたいよ。でも、仕方ないじゃないか!ボクが待っててあげなかったら、誰がムラネコを待っていてあげるんだよ!? ボクが信じてあげなかったら、誰がムラネコを信じてあげられるっていうの?だから・・!だからボクは、信じてるよ!!ムラネコがボクを見捨てるわけないって、いつかきっとボクのところに戻ってくるって、信じてる・・・・信じてるよ!!!」

 それだけ投げつけるように吐き出すと、いぶねこは脱兎の如く駆け出して部屋を出ていった。みんなが息を呑む。するとひろねこがつかつかと俺の前まで歩み寄り、俺の頬に平手打ちを食らわせた。

 パチン、と音がして、俺は左頬にピリピリとした痛みを感じた。ひろねこが、今まで見たことのないような怖い顔で俺を睨んでいた。

 「いい加減にしてください!彼が・・・いぶねこさんがどれだけ辛い思いをしてるか、じゅりいぬさん、あなたわからないんですか?!どれだけ彼が我慢してきたか、ムラネコさんがそばにいない不安を、どうやって乗り越えてきたのか、じゅりいぬさんにはわからないんですか?!あんまりです、あんな言い方・・・どうしてあなたはそうやって、人を傷つけたがるんですか?あんまり・・・非道いですよ!」

 ひろねこらしからぬ感情的な言葉を残し、いぶねこの後を追おうとドアに駆け寄った後ろ姿に、むらいぬが声をかけた。

 「ひろねこ待って」

 そしてひろねこと俺の顔を交互に見ながら言った。

 「今ひろねこが行っても、たぶんなんの解決にもならないよ。うまくいえないけど、いぶねこは今きっと、すごく迷ってるんだと思う。だからいうことが正反対になっちゃったりするんじゃないかな。ひろねこの気持ちもすごくよくわかる。じゅりいぬは確かにいいすぎたかもしれない。でも、でもね」

 むらいぬは俺の前に立ち、まっすぐに俺の目を見上げて言った。

 「じゅりいぬだから言えたんだよ。ぼくだったらきっと、ダメだった。いぶねこががまんしてこらえてるもの、ちゃんと見せてあげて、どうしたらいいかかんがえさせてあげなきゃいけないとおもう。ぼく、よくわかんないしうまくいえないけど、でも、いぶねこがいちばんムラネコのことわかるはずだもん。だからじゅりいぬ、いぶねこのこと、たすけてあげてくれないかな・・・」

 思いがけない言葉だった。俺が、いぶねこを、助ける・・・?

 「ちゃんと話をきいてあげてほしい。じゅりいぬにしかできないとおもう。だから・・・・ね?」

 やっぱりこいつはリーダーだ。言葉は相変わらず上手くないが、不思議と従わなきゃって気にさせるものを持っている。

 そして俺は思い出した。あの時・・・・うつけバーでムラネコに出くわした時、あいつが俺に言った言葉を。

頼むじゅりいぬ、あいつの面倒を見てやってくれ。俺の代わりに・・・

 ムラネコは目尻から一筋涙を流しながら、俺にそう懇願した。

 そうだった・・・・・俺はあいつに、いぶねこのことを頼まれたんだ。だからこそこんな不安定な状態のまま何もできずにいることに、焦りにも似た感情を抱いていたのかも知れない。


蝉が鳴き、青い空には入道雲が浮かび、焼け付くように暑い太陽の陽射しが降り注ぐ。そんな季節。毎年この時期になると、私は妙な胸騒ぎをおぼえる。
まるで封印したはずの記憶が甦りかけるような。あるいは、悪夢から覚めてその内容を反芻する時のような。そんな不思議な感覚を持て余し、私はここ数日少々ナーバスになっていた。
昨日の軍議中、さすがにそんな私を見かねたのか、じゅりいぬさんが声をかけてきた。

「おい、うさばっち」
「え、はい?」
「顔色悪ぃぞ? どうかしたのか?」

心配そうに顔を覗きこまれ、私は慌てて首を振った。

「いえ、別になにも…」
「あ、もしかしてあのこと?」

今度はねこおうじさん。

「あのこと?」
「ほら、このあいだ言ってたでしょ? 自分も戦いの前線に出たいって。そのことで悩んでる?」
「そんなことないですし、そもそも本当に私、何でもありませんから」

それ以上追及されることはなく、皆さんは首を傾げながらも軍議に戻った。



いつもより早く目覚めた私は、ふらりと指令室へ向かった。誰もいないがらんとした指令室は妙に心が落ち着いて、いつしか私のお気に入りの場所になっていた。けれど、今朝は先客がいた。

「…しょまはむ、さん…」

いつの間にかこの建物に入り込み、私たちの仲間になると申し出た軍師のハムスター。彼は常にクールで沈着冷静で、頭の回転も速い。まるで心の奥底まで見透かされそうで、正直私は彼が、苦手だ。

「おはよう。今日は早いんだね」
「あ…はい…。目が覚めちゃって…」

すると、しょまはむさんはぴくりと片方の眉を動かして、私の顔をじっと見た。

「それはもしかして、君の後ろに憑いているもののせい、かな?」
「ついている、もの?」
「そう」

何を言いたいのかさっぱり分からない。いや、私の中に違う人格があるかもしれないというのは、昔から感じていたことだ。じゅりいぬさんも私にはっきりと、そう問いかけた。

「それって…半兵衛さん、って…」
「いや、半兵衛じゃない」

即座に否定され、私は返す言葉もない。

「福島正則。西の方の国を治めていたことのある人だね。きっと死後も、その国のことが気にかかってたんだろう。だから多分、66年前の今日、彼はあの光景を目にした」

あ、俺の憶測だけどね。しょまはむさんはそう付け加えて言葉を続ける。

「たった一発の爆弾で彼の愛した街は跡形もなく破壊され、10万人もの人が一瞬で命を奪われたんだ。もちろん、たくさんの生類たちも。地獄のような光景だったんだろうね」
「……そんな、ことが、」
「君の様子が最近おかしかったのは、その人が君に記憶を伝えたかったからじゃないかな?」

しょまはむさんの言葉は簡潔だったけれど、私にはとても重く響いた。理不尽に奪われる命、そんなものは幾度となく目にしてきたはずだし、そのために私たちは戦っている。けれど私の中の『彼』が伝えたがっている惨劇を、私には受け止め切れる自信がない。

「私は…どうすればいいんでしょうか?」

縋るような思いで、私はしょまはむさんに尋ねた。もちろん、自分で考えろと冷たく突き放されることも覚悟して。けれど帰ってきた言葉は、以外にも優しいものだった。

「祈ればいいんじゃないかな?」
「祈る…?」
「いつも戦いの時には、彼らの無事を祈るでしょ? 失われた命にも祈りを捧げるでしょ? それと一緒だよ。もう二度と悲劇が繰り返されないように、祈るんだ」

それだけ告げると、しょまはむさんはさっさと指令室を去って行った。
ぽつりと一人だけ残された部屋の中。目を閉じて、『彼』の記憶に同調しようと試みる。瞼の裏に浮かんだのは、果たして『彼』の見た景色なのか、私の想像なのか、よく分からなくて目を開いた。

「あっ、そうだ…」

思い出したのは、七夕の短冊に使った折り紙。残りがまだ指令室のどこかにあるはずだ。おそらく、と目星を付けた棚をごそごそしていると、やがて数枚の折り紙が見つかった。
私はその折り紙に祈りを込めて、一羽の折り鶴を折った。



fin.
生類戦隊アワレンジャー