ハシバッド・・・・それが奴の名だ。あの黒い男  ハシバッドを倒すこと。俺たちの目的は同じだ。一つも違うことなどない。

「判ってる。それは判ってるさ。だがお前、一番大切なことを忘れてる」

判りきったことを聞きたかったんじゃない。俺が聞きたいのは、ムラネコ、お前の本当の気持ちだ。

「ニクショークを倒せるのか?お前にあの女を殺すことができるのか?」

俺は敢えてストレートに訊いた。ねこおうじは俺に睨み上げるような視線を送った。むらいぬは心配そうにムラネコと俺を見比べている。ひろねこはうつむいたまま拳を握りしめている。

「どうなんだ。ちゃんと答えろ」

俺はムラネコに詰め寄った。精神的な逃げ場を作らないように。ムラネコが自分の気持ちとちゃんと向き合えるように。

「・・・・・・・・・・殺したくはない。あいつには・・・ハシバッドを遠ざけて欲しい。生類食いをやめて欲しい・・・・・」

「・・・・・・よく言った」

頭を抱えてうなだれるムラネコの肩を、俺はポンと一つ叩き、隣に座った。俺の言葉が意外だったのか、むらいぬとひろねことねこおうじは、一斉に奇妙な声を上げた。

「聞いたろ?今のがムラネコの正直な気持ちだ。嘘偽りのない今のこいつの思いだよ」

俺は笑ってそう言った。

「要するに、俺たちは生類食いをやめさせたいだけだ。何がなんでもニクショークを殲滅させようと思ってるわけじゃない。そうだろ?」

俺のその言葉に、ねこおうじが椅子をひっくり返さんばかりの勢いで立ち上がった。

「何言ってるんだよじゅりいぬ!あいつは・・・・ニクショークはおれたちの仲間を何人も手にかけてきたんだぞ!大勢の仲間達があいつのせいで犠牲になったんだ。じゅりいぬの大切な相棒だった半兵衛さんだって、あいつにやられたんじゃないか!」

「ねこおうじさん、落ち着いて・・・!」

俺に掴みかかりそうになっていたねこおうじを、慌ててひろねこが止めた。

「離せよひろねこ!おれはじゅりいぬがそんなこと言うなんて信じられない!信じたくない!半兵衛さんが殺されて一番辛い思いをしてきたのはじゅりいぬじゃないか!相棒を失う辛さを一番良く知ってるのはじゅりいぬじゃないか!なのにどうしてそんなこと言うんだよ!おれは認めない!絶対に認めないからな!!」

いつの間にか泣きながら、ねこおうじはまくし立てていた。俺はそんなねこおうじの気持ちが嬉しかった。

ひろねこに羽交い絞めにされながらもがいているねこおうじの目の前に立ち、その両肩をしっかりと掴んで俺は言った。

「だからだよ。もうこれ以上、何も失いたくないんだ。だからなんだよ、ねこおうじ・・・」

ねこおうじの動きが静かになった。怪訝そうな顔になって俺を見返す。

「・・・・どういう意味だよ・・・」

俺はねこおうじの眼を覗き込むようにして、こう言った。

「大切に思っているものを、失う辛さを、もう誰にも味わって欲しくないんだ。復讐は何も生まない。みんなが幸せになるいい方法があるなら、俺は迷うことなくそれを選択したいんだ」

「じゅりいぬ・・・・・・」

ねこおうじの瞳が揺れた。顔をクシャクシャにして俺にすがりつき、こう叫んだ。

「だって・・・・じゅりいぬは半兵衛さんの仇を取るために今までやってきたんだろう?なのにそれじゃなんにもならないじゃないか!ここまで来て、目的を見失うのかよ!そんなのおれの知ってる、おれの憧れてたじゅりいぬじゃないよ!目を覚ましてくれ、お願いだよ・・・じゅりいぬがそんなんじゃ、おれは・・・・おれは一体・・・・」

身体から力が抜けてへたり込みそうになっているねこおうじを支え立たせた。そしてもう一度ねこおうじの眼を覗き込むようにして、俺は言った。

「過去に囚われることは、過去の自分に負けることだ。お前は俺と誰かを重ね比べてる。そうやって過去に縛られていたら、先に進むことなんてできない。俺は俺だ。過去の出来事にこだわることはある。だが、もう過去に囚われるのはやめたんだ。たとえニクショークを殺しても、半兵衛は戻って来ない。だから・・・」

啜り泣くねこおうじの額を肩にもたせかけ、背中を叩いてやりながら、一部始終を見守っていたむらいぬとひろねこ、それからムラネコに、俺は半ば宣言するように問いかけた。

「いぶねこを救い出そう。そしてニクショークに生類喰いをやめさせよう。それが俺たちの真の目的だ。そうだろう?」

その言葉に大きく頷きながら、むらいぬが言った。

「そうだったね。ボクたちは生類をまもるためにたたかってる。まもることができればいいんだよ。それをボクたち、わすれてたんじゃないかな」

ひろねこも頷く。

「そうでしたね。他に方法があるのなら、命を絶つことよりもベターな選択だと思いますよ。ね、ムラネコさん」

「・・・・・お前ら・・・・・・」

今にも泣き出しそうな顔で、ムラネコは俺たちを見渡した。

「ですが、どうしたら生類食いをやめさせることができるんでしょうか。抑止力になっていたムラネコさんも、今やこちらに戻ってきてしまっていますし、何かいい方法が他にあるんでしょうか」

「ああ、それが問題だ。肉を喰わなくてもいいようにするってことは、肉の代わりに何かを肉みたくしてやればいいってことだとは思うんだが、それをどうすればいいのか、全く思いつかない・・・」

「ねぇムラネコ、肉のほかにしゅりょうがたべてたものってなにかないの?」

むらいぬの問いにしばらく考えるようなそぶりを見せていたが、わりとすんなりとムラネコはこう答えた。

「ああ・・・そういえば、豆腐をよく食ってたな」

「豆腐、ですか・・・。確かに、肉と同じタンパク源ではありますね」

「豆腐か・・・・・・そういえばねこおうじ、前に豆腐食べ放題の店に行った時、なんか妙なこと口走ってなかったか?」

「妙なことって・・・?」

まだ泣き顔のままのねこおうじが、急に振られて驚いたような顔になって言った。

「大豆を肉に変える神はどこだ、とかなんとか・・・」

妙なことを言う奴だと思ったから、その時のことをよく覚えてる。俺が初めて半兵衛のことを、ねこおうじにせがまれて話した時のことだ。

「ああ・・・・そういえば言ったかも」

「それ、どういう意味ですかねこおうじさん?」

「なんか、大豆を加工して肉みたいな食感とか味にすることができる人がいるらしいんだよ。どっかでそんな話を聞いたことがあって」

「どこにいるんだ、そいつは!?」

「いや・・・・おれにもわかんない・・・」

なんだよー!と口々に言いながら、一気にテンションが下がった俺達は椅子に座り込んだ。

「つーかそんなことできる奴は、ほんとに神なんじゃねーの?あるいは未来から来たアンドロイドとかさー」

俺が投げやりに言った言葉を聞いて、ひろねこが何かひらめいたように俺を見た。

「アンドロイド・・・そういえば以前いぶねこさんから聞いたことがあるんですけど、いぶねこさんのお知り合いで、アンドロイドを作ってる方がいらっしゃるとか・・・」

「え?・・・ひろねこ、それってどういうことなの?」

「ええ、僕が以前あるお仕事で、アンドロイドの役をやらなきゃならなくなって悩んでたことがあったんです。ついそんな話をいぶねこさんにしたところ、そんなようなことを仰って。確か・・・小西さんとか」

「小西・・・・」

「はい。結局僕はスケジュールの都合もあって伺うことはできなかったんですが、スタッフがその方に連絡を取っていました。何でも、その方の作ったアンドロイドが、ある政治家の影武者として使われたことがあったとか・・・」

「それすげーな!」

「ええ。それほど精巧なアンドロイドを作る技術を持っているのなら、大豆を肉に似せて調理するものを作ることも可能かも知れません」

「ひろねこ、そのスタッフさんとれんらくとれる?すぐにその小西さんて人にあってみようよ!」

ひろねこのもたらした情報は、一気に俺たちの士気を上げた。もしもそれが本当なら、あの女の生類喰いを止めることができるかも知れない。

「わかりました。すぐに連絡してみます!」

ひろねこは目を輝かせて俺たちに頷きかけると、部屋を出て行った。

「さて・・・問題は、どうやってハシバッドを倒すか、だな」

そこが最大の難関だ。今までの戦いを思い返してみる。俺たちが束になってかかったところで、あいつに敵うはずもない。だったらどうするか。搦め手で行くしかないか。

 

 

 いぶねこが連れ去られた。

 手も足も出なかった。

  奴に指一本触れられず、ただ為す術もなく見守るしかなかった。

 

  文字通り、満身創痍だった。

  どうやって本部に戻ってきたのかすら覚えていない。

あとで聞いた話によると、綱吉司令御自ら、うさばっちと共に現場に駆けつけてくれたらしい。

 

いぶねこが連れ去られたと聞き、ボロボロになった俺達を見て、綱吉司令はたいそう悲しんでいた。

情けなかった。

でも、仕方なかった。

下手すれば俺たち全員、死んでいたかも知れない。

それほどまでに、奴の放つ氣は強く、ドス黒い何かが充満していた。

 

あれは一体、何なんだろう。

どうしたら、あんな氣を纏うことができるのか。

そしてどうしたら、あいつを倒すことができるのか。

 

今思い出しても、身体の底から震えが沸き上がってくる。

それほどの恐怖を奴に感じる。

俺たちに適う相手じゃない。

倒すことなんて、出来るわけない。

 

でも・・・・俺達はもう一度、奴と対峙しなければならない。

いぶねこを取り戻さなければならない。

 

 

 

身体じゅう包帯や絆創膏だらけのツラを突き合わせて、俺たちは軍議を開いていた。

空気がとても重い。

ムラネコは明らかにイライラしていた。

努めて平静を装っていたが、隠し切れない感情がムラネコの周囲を陽炎のように取り囲んでいて、じっと耐えるその姿がかえって痛々しかった。

「・・・・俺のせいだ。俺が・・・いぶねこのことを託されたのに・・・・守りきれなかった・・・済まない」

俺はムラネコに向かって頭を下げた。いぶねこを守り切れなかった責任を感じていた。

するとあいつは俺を一瞥して、イライラを隠さずこう言った。

「お前が悪いんじゃねぇ。俺もあの場に居たんだ。馬鹿にするな。それにお前に謝ってもらったところで、あいつが戻ってくるわけじゃねぇ」

俺は二の句が継げなかった。いぶねこを守れなかったことを最も気に病んでいるのはあいつだ。それはわかっていたが、あいつのその荷を少しでも軽くしてやりたかった。でも逆効果だったらしい。

「・・・っくそっ・・・!」

ムラネコは感情に任せてテーブルを殴った。こんなあいつを見るのは初めてだ。

いつも冷静に、少し離れたところから斜に構えて物事を見ているようなムラネコが、ここまで取り乱すなんて。

・・・俺のせいだ。俺がもっとしっかりしていれば。

辛そうなムラネコを見ていることができなくて、俺は顔を背けた。

「ムラネコさん、お気持ちはよくわかります。あなたの辛さも歯がゆさもわかりますよ。僕達だって同じ気持ちだ。だからそんな風に自分を責めないでください」

ひろねこが声をかけるが、ムラネコは答えない。

「お前がいなくなってた間だって、おれたち心配したんだ。今は誰が悪いとか、そんなこと言ってる場合じゃないだろ」

ねこおうじが見かねて言った。

「そうだよ。今はどうやっていぶねこをとりもどすか、それを考えなくちゃだろ!」

むらいぬがねこおうじに同意する。

そうだ。全くそのとおりだ。そんなことはわかってる。わかってるんだ。

「ねぇムラネコ、あの黒い男のいばしょを知ってるの?」

むらいぬは軍議を進めるべくそう質問した。

俯いたままムラネコは答えた。

「ああ。奴はおそらくニクショークのアジトだろう」

ほんの昨日までムラネコが居た場所だ。信じられないが本当に、ムラネコといぶねこは入れ替わりになってしまったらしい。

「ニクショークのアジト・・・・。ムラネコさんなら侵入経路はご存知ですよね。ただ、敵もさるものです。簡単に入れてもらえるとは思えない」

「そうだな・・・。逆に罠かも知れないし」

「うん。どっちにしろしんちょうにしなきゃならないってことだよね」

俺は黙ってメンバーの言葉を聞きながら考えていた。そもそも、あの黒い男が何故いぶねこを連れ去ったのか、その理由を。

奴はいぶねこを、ニクショークへの土産にすると言っていた。その言葉を額面通りに受け取れば、いぶねこは喰われる運命にあるということだ。

だが、奴はそんなに単純ではないはずだ。他のメンバーの誰でもない、いぶねこを連れ去ったということに、何か意味があるのではないか。

いや、考え過ぎか・・・。メンバーの誰を連れ去ろうが、奪還のため俺たちがアジトに踏み込むことはわかりきったことだ。アジトに踏み込んだところを狙って、俺たちを一網打尽にするという魂胆か。いや、それにも違和感を覚える。何も人質を取らなくても、あの男ならあの場で俺たちを皆殺しにすることができたはずだ。

・・・悔しいが、あいつは、俺たちをからかっているだけなのかも知れない。

「ムラネコ、あの男のことをどのくらい知ってる?」

俺は努めて冷静を装い、ムラネコに尋ねた。

ムラネコは俺をちらりと見上げ、軽く一つ息をついて答えた。

「たいして知ってるわけじゃない。あいつは天下を取るために、ニクショークを利用しようとしている。あいつはいつも俺を見下してた。俺を挑発して笑ってた。・・・そんなところだ」

淡々と答えるムラネコの表情の裏に、悔しさが見え隠れする。きっとニクショークのアジトにいる間、屈辱に耐えてきたに違いない。

「挑発・・・・・か。お前が挑発されてたってことは・・・・」

ムラネコは表情を変えなかった。だが眼の奥で何かが動いた。俺はムラネコが出て行った理由を思い出していた。あの女首領のことだ。

一度は俺たちを裏切ってまであの女のもとへ行ったんだ。ムラネコが屈辱に耐えていたとしたら、それはあの女のためだろう。

「今から訊きにくいことを訊くが、いいか」

俺はそう前置きしてムラネコに向き直った。ムラネコは俺の言葉に、まっすぐに顔を上げることで応えた。

大きく一つ息をついてから、俺はこう尋ねた。

「あの女のことは、もういいのか」

一瞬その場の空気が凍りついた。ねこおうじが咎めるような顔で俺を見た。

「じゅりいぬ・・・!」

何かを言おうとしているねこおうじを片手で制して、ムラネコは言った。

「いや、いい。俺がみんなに迷惑をかけたことは確かだ。だから話す義務がある」

そこに集まったメンバー一人ひとりに順番に視線を送りながら、ムラネコは話し始めた。

「正直、ギリギリまで迷ってた。俺があそこにいることで、ニクショークの動きを止めるだけの効果は少なくともあった。俺がいる間あいつは、ほとんど肉を喰わなかったしな」

確かに、この夏の間はニクショークの動きがほとんどなかった。ムラネコが裏で食い止めてくれているであろうことは想像に難くなかった。

「あの男がやってきてから、少し状況は変わった。だが俺の存在価値はまだあった。だから俺は離れなかった。あいつの生類食いを止めさせることができれば、それだけでもいいと思ってた」

それだけ言うと、ムラネコはしばし沈黙した。何か考え込んでいるようだった。

「ムラネコさん・・・本当にそれだけで、良かったんですか?」

沈黙を破るように、だが静かにひろねこが尋ねた。

ムラネコはほんの少し身じろぎをしただけで、さらに沈黙を続けた。

俺は待った。ムラネコの気持ちが整理できるのを。

むらいぬも、ねこおうじも、じっとムラネコが先を続けるのを待った。

そしてやがて、ゆっくりとムラネコは口を開いた。

「それだけで、いいと思った。思おうとした。あいつが生類を喰わないようになれば、それでいいと・・・」

搾り出すような声だった。

たぶんムラネコは、常に二者択一のジレンマに悩まされてきたんだろう。あの女を取るか、俺たちを、いぶねこを取るか。あの女を救いたいのか、それとも殺したいのか。

そしてあの黒い男の挑発をかわし続けるのか、それとも報いるのか。

しかもそれは過去形ではない。今も奴は揺れ動いている。ニクショークのアジトを抜け、戻ってきたことに対する是非を問い続けている。

「お前が迷ってるのはわかる。だがな、俺は単純だから、簡単なことしか聞かねーぜ。お前が本当に大事なのは何だ?お前は本当はどうしたいんだ?それだけ答えろ」

いぶねこがさらわれたことで混乱しているムラネコの思考を整理させなきゃならない。いや、あいつは混乱してなどいないんだろう。あいつはいつも冷静で、俺なんかよりよっぽど頭が良くて、物事の大局を知っている。だからあいつが混乱してるはずなんてないんだ。混乱しているムラネコなんて見ていたくない。

だから頼む、はっきり言ってくれ・・・・頼むから。

俺は祈るような気持ちでムラネコを見つめた。若干のためらいののち、ムラネコは再びまっすぐ俺の目を見てこう言った。

「俺は・・・・いぶねこを救いたい。お前たちと一緒に戦いたい。そしてあの男・・・ハシバッドを倒したい」


夏の終わりの嵐が来ていた。もう2日も雨が降り続いている。俺は何もする気がしなくて、家にも帰らず、本部の一室に篭っていた。空模様と一緒で、気分が塞いで仕方がない。ただ鬱々と、考えたって答えの出ない色々について、つらつらと考え続けた。

 そんな俺の様子を心配してか、時折むらいぬやいぶねこが訪ねてきたが、俺が相手をしなかったのでそのうち誰も来なくなった。窓の外に見えるのは鈍色の曇天だけで、そこから絶えず空の流す涙がしとどに落ちてくる。何が悲しくてこんなに泣きじゃくるんだろうな。俺もこんな風に思いきり泣いてみたいもんだ。

 夏の間は不気味なくらい街が静かで、ニクショークやその手下が暴れることは殆どなかった。ムラネコがニクショーク側で牽制してくれていたせいもあるんだろうが、それにしても静かすぎた。

 だからなのか、最近、妙な噂を耳にする。

 自殺として処理された事件のうちのいくつかに、あの黒い男が関与しているらしいという噂だ。

 充分に捜査され裏付けされ自殺として処理された事件であるにも関わらず、まことしやかに囁かれている都市伝説の中に、黒い男と思しき人影がちらりちらりと現れるのだ。

 あいつは、天下を手に入れたいと言っていた。

 天下を手に入れるということは、すべてを手に入れるということだ。そのために自分にとって邪魔な奴ら、あるいは利用価値のなくなった奴らを消して回っているのだとしたら。

 自殺者の顔ぶれには一見何の脈絡も無いが、あの男なりの理論で繋がっているのではないかとも思えてくる。俺には詳しいことはわからないが、ひろねこが仕事で行ったとある現場のスタッフから聞いたという報道関係者からの裏情報を知るにつけ、俺たちは不安になった。

 あの男は、妙な力を使う。

 あれはもしかしたら、人を洗脳することも可能なのかも知れない。

 自分の思うように人を操り、自分に不都合な人物を自殺と見せかけて殺す。

 そんなことは朝飯前なのかも知れない。

 天下を手に入れる―――――。

 もしもあの男がその野望を叶えたとしたら・・・・・

 被害が及ぶのは、生類だけにとどまらない。

 ・・・・まずい。

 胸騒ぎがして仕方がない。

 俺たちの手に負えるのか?

 果たして俺たちみたいな寄せ集めの集団に、そんな大それたことができるのか?

 世界の平和を・・・・・・守ることなんてできるのか・・・・・?

 ただでさえピースの欠けた、寄せ集めの俺たちなんかに。

 

  

 

 また何かを失った。

 いや、それには語弊がある。失った「かも知れない」というべきか。

 失うのはもう嫌だ。

 もう充分だ。

 ここにたどり着くまでの俺は、失うことが怖くて、最初からすべてを遠ざけていた。

 他者を拒絶していた。

 喪失感や虚無感でからっぽになるのはごめんだった。

 辛い思いをすることが判っているならば、最初から出会いなど求めなければいい。

 そんなつまらない奴だった頃の弱い自分が、時々むくむくと頭をもたげる。

 打ち負かし根絶やしにしたかと思っていたのに、まだ奴は俺の中にひっそりと棲んでいたのだ。

 仲間など持つもんじゃない、お前には不相応だ。ガラにもなく他者との共存を望むなど、所詮無理だったんだよ。

 俺の中の弱い部分が、俺にそう囁く。

 そのたびに俺はそいつを必死で否定し、抑えつける。

 だけど、何度でも奴は起き上がってくるんだ。

 そして俺を苦しめる。

 

 お前になど何もできやしない。子犬一匹、うさぎ一匹守れなかったじゃないか。

  離れていった仲間を呼びすことすらできない。

  一体何んだ?

  世界平和だと?聞いて呆れるよ。

  どのツラ下げて、今ここにいる?

  お前の力なんて、所詮何の役にも立ちやしないんだよ・・・・

 

 その内なる声に耳を傾けていると、やり切れない思いに囚われる。

 俺の腕は、俺の声は、一体どこまで届くのか。

 俺のできることは、一体何なのか。

 傷ついた仲間を癒すことすらできないのか。

 俺の存在価値なんて、本当はどこにもないんだろう。

 そうやって、過去のつまらない自分に引き戻されそうになる。

 激しい雨が窓を叩く狭い部屋の中で、俺は堂々巡りを繰り返すことしかできなかった。

 

 

 

 3日目の朝、雨が止んだ。

 俺は一度、家に戻った。

 飼い主はとても心配していたようで、俺の顔を見るなり泣きながら抱きついてきた。

 俺は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 でも仕方がない。俺は彼女に何もしてやれない。

 そしてソファにひっくり返って、そのまましばらく眠った。

 

 夢を見た。

 秋の空に秋の雲が浮かぶ、爽やかな朝だった。

 一面に広がるコスモス畑の真ん中に、俺は立っていた。

 遠くに蝉の鳴き声が聞こえる。真夏のそれとは違う音色の、夏の終わりを悲しげに告げるひぐらしの声だ。

 秋の足音にも似たその鳴き声を、乾いた風が運んできて、そっとここに置いていく。コスモス畑の向こう側に見える川は、嵐のために水かさが増し、濁流となって海に注いでいる。

 季節は、ちゃんと準備を始めてるんだな。

 暑くて長い夏に比べ、秋はあっという間に行ってしまう。

 夏の間に秋はせっせと支度を整え、こんなにたくさんのコスモスを咲かせた。

 次に気づいたときにはきっと、地面は茶色い落ち葉で覆われているのだろう。

 秋は駆け足で過ぎ去ってゆく。

 だからちゃんと向き合って、迎えてあげなければいけない。

 通り過ぎたあとで振り返っても、きっともうそこにはいないから。

 今年の秋は、もう二度とやってこないのだから。

 ちゃんと準備して、向き合って、迎えなければいけない。

そうしなければ、向き合えなかったことを後悔するあまり、きっと自分が潰れてしまう。

 もう戻れない過去を悔いて、やりきれない思いに心を乱され、死ぬほどの胸の痛みを味わいながら。

 地上で風に揺れるコスモスと、いわし雲の浮かぶ高い空の狭間で、俺は思う。

 俺にできることは、この両手を使って、祈ることだけなのだと。

 声も、腕も、何も、届かないなら、せめて思いが伝わるように、祈るしかない。

 そんな無力な俺でも、今は居場所がある。

 お前にだって、居場所があるんだ。

 だから戻って来いと、俺に昔みたいな辛い思いをさせないでくれと。

 見渡す限りの秋桜の中で、俺の心は叫ぶ。

 相棒を失うのは、もうたくさんだ。

 帰ってきてくれ。頼むから。

 そしたら俺がまた、豆腐たらふく食わせてやるからさ・・・。

 

 窓からそよぎ込む涼しい風を頬に受けて目が覚めた。

 すっかり嵐は過ぎ去って、微かに西日の残りが家々の屋根を照らしていた。

 うっすらとかかる雲がオレンジ色に焼けている。自然の醸し出すグラデーションが秋の訪れを告げている。

 もし何も無ければ、明日は本部に顔を出さずに一日中家にいよう。

 俺のことをいつも考えてくれている、あの人と過ごすために。

 俺は俺。今を生きよう。

 精一杯、できることをして。

 身近にいる大切なものたちが、できるだけ笑って過ごせるように。