まだ遠いその気配を少しでも身近に感じようと、木々は痩せた枝々を無数の腕のように空にかざしている。ほんの小さな蕾がほころび始めるのはまだずっとずっと先で、この凍てついた土の下に眠る草の芽たちも今は息を潜めている。見上げる空の青さは一つも変わってはいない。記憶の中にあるあの日の空も、こんな風に青く澄んでいた。
風は冷たく、太陽の光もまだ弱い。北の大地は果てなく厳しく、この季節が永遠に続くのではないかという錯覚に陥る。しかし俺はこの足を踏みしめ、遠くとも確実に近づくその気配に耳を澄ませている。この空の青さを、あの日の「あの色」に重ねながら。
俺達は勝利した。あの黒い男、ハシバッドを倒したのだ。ひろねこがあたりをつけた小西とかいうアンドロイドを作る男がいい仕事をしてくれて、大豆を肉に変える神を作り上げ、今や世論を騒がせている謎の不審死の原因と思われるブレインウォッシュの根源を断つべく、綱吉司令が国防大臣の柳沢某に直談判して国家予算並みの対ハシバッド決戦兵器をちょっぱやで作り上げた。あれよあれよと俺達の描いていた計画は実現し、ねこおうじの占いにより弾き出された決行に最適と思われたある寒い日に、俺達はニクショークのアジトへと攻撃をしかけたのだった。
ハシバッドのリミッターを外すためには、低温であることが不可欠だった。しょまはむの提案どおり、元がカエルのハシバッドに対し、俺達は決戦兵器となった巨大ロボを使い、奴の術の及ばない距離から冷風を噴射し、奴を眠らせカエルの姿に変えることに成功した。
小さく情けない様子に変貌したかつて「黒い男」と呼ばれ恐れられていたそれを、何の感情も込もらない眼をしてムラネコが踏みつぶした。プチッ、というあっけない音と共に、奴は息絶えた。
その様子を愕然とした様子で見ていたニクショーク首領の目の前に、小西が作ったアンドロイドを置き、ムラネコは言葉をかけることもせず、囚われていたいぶねこを救い出しその場を去った。きっと彼女は一生あのアンドロイドと共に、肉のような大豆を食べて暮らすことになるのだろう。
俺達の待ち望んでいた、平和な日々が訪れた。
多くの生命が奪われ、たくさんの涙が流された。だがもうこれからは、ニクショークの脅威に怯える必要はないのだ。
見事本懐を遂げた俺達は、司令室に集合した。むらいぬがハシバッド殲滅とニクショーク鎮静化の成功を、綱吉司令に報告した。司令は涙を流して喜んだ。もうこれからは、俺達を危険な目に合わせることもなくなると言って泣いた。俺達一人ひとりの手を取り、頭を撫で労ってくれた。そして高らかに、生類戦隊アワレンジャーの解散を宣言した。
こうして、すべてが終わったのだ。
願い続けた結末なのに、何故だか喜びよりも虚しさが先に立った。きっと俺にとっては、ニクショークを殲滅することが生涯の目標になっていたのだろう。その目標を失った今、俺にはもう生きる目的がない。
わかっていた。わかっていた筈だった。この戦いが終わったらと、何度も頭の中でシミュレーションしてきた筈だった。なのにやっぱり現実になるのと、想像するのとは違った。俺は空っぽになっちまったんだ。
アワレンジャーのメンバーたちはそれぞれ、思い思いの方向に進んだ。ひろねこは仕事に戻った。春からドラマのレギュラーが決まったらしく、これからいよいよ忙しくなりそうだと張り切っていた。そこにはもう、誰かのために「いい子」で在り続けようとするひろねこの姿はなかった。何かに縋らなくても輝いていられる、自信に満ちた一人の男の貌(かお)だった。この戦いは間違いなく、あいつを一回りも二回りも成長させた。
いぶねことムラネコは飼い主の元に戻った。もう二度と離れないでと、どこにも行かないでと、揃って家に帰ったその日、飼い主に抱きすくめられ懇願されたらしい。それまで淡々とした風を装い続けていた飼い主のそんな姿を目の当たりにして、いぶねことムラネコはたいそう反省したようだ。でも逆に、飼い主がちゃんと自分の気持ちを口にできるようになったのは、怪我の功名ってやつなんじゃないかと思う。あいつらはきっとずっと、寄り添って行きていけるだろう。
むらいぬは子供の頃育った里に行くと言った。ニクショークに攻撃され、逃げ出したあの里だ。勝山が好きで特別な何かがあるとよく呑んでいたという、むらいぬを育ててくれたおじいさんに会いに行くのだと。ボクに漢字を教えてくれるって約束したんだもん、おじいさんが死ぬわけないよ、ボクが戻らないと、おじいさんがここに来ることはできないからねと笑った。そうだな、きっとまた逢えるさ。お前のその強さと信じる気持ちは、きっと神にも通じるだろう。
ねこおうじとうさばっちは、ねこおうじの生き別れた兄弟に会いに行った。一時はニクショークに囚われていたが、助け出され今は港の見える街の神社に身を寄せていることがわかったそうだ。祈祷やお祓い、口寄せなどの時に、何やら手伝いをしているらしい。ねこおうじは、おれがそういうの信じないの知ってるくせにとブツブツ文句を言いながらも、再会できることを喜んでいた。うさばっちの前世の呪縛ももしかしたら、その神社で解いてもらうことができるかも知れない。あの二人には本当に、仕合せになって欲しいと思う。誰かに照らされなければ輝けない月でなく、これからはねこおうじ自身が、うさばっちを照らす太陽になる番だ。司令室の壁にかけられた、みんなで祈りを込めながら折った千羽鶴を眺め、俺は思った。
しょまはむは・・・・伊達ママのところへ戻った。大事な人が死んでから、不安定になってしまったママを支えることができるのは自分だけだと、そう言っていた。確かにそうだ。あのひねくれ者のママを支え救えるのは、きっとあいつしかいない。白百合のような伊達ママの微笑む姿を思い浮かべながら、俺はいまだ胸の奥に残るしこりのようなものを感じていた。
そうして、俺は独りになった。俺には戻るべき場所がない。共に生きるべき者がいない。彼らのように、平和になったこの世の中を、共に肩を並べ歩いていく誰かを持たない。軍議を開く時に使っていたテーブルに目をやる。いつも誰かしらそこにいて、何やら言い合いをしたり無駄話に花を咲かせたり、賑やかだったはずのそのスペースが、今はひどくガランとしているように感じる。この部屋って、こんなに広かったっけ。ずれていた椅子を動かすと、ギギギという音が部屋の中に響いた。こんなに静かだったっけ。こんなに、からっぽだったっけ。
俺はそのままその椅子に腰掛け、部屋の中を見渡した。壁のしみ、天井の模様、欠けた床のタイルの一つひとつに、思い出が詰まっている。綱吉指令に拾われ、ここに来て、アワレンジャーのみんなと出会い、戦い、苦楽を共にした。俺を俺にしてくれた場所。俺に俺でいさせてくれた場所。俺の存在価値が詰まったこの部屋とみんなとの出会いがなければ、今の俺はなかったし、あまつさえ生きていたかどうかも判らない。感謝してもしきれない。
俺は静かに立ち上がると、なるべく音を立てないように椅子をテーブルに戻した。身の回りの荷物を詰めた、小さなバッグをそっと持ち上げる。独りと虚しさを自覚したくなかったから、反響する音を聞かなくてすむように、ゆっくりドアに向かって歩いた。そこで踵を返し、部屋に向かって一礼した。
さようなら。ありがとう。俺を育ててくれた場所。アワレンジャーのふるさと。