年末に金沢に遊園の事を調べに行きました。 
今回は主に石川県立図書館と金沢市立玉川図書館にて遊園関連を「観光の金澤」と言う戦前の観光雑誌と北陸鉄道の資料を中心に資料を閲覧(ほとんどが閉架資料)していきました。 
 
今回調べた中で一番気になったのは、戦後昭和30年に白山市の手取川沿いに北陸鉄道が開設したという手取遊園です(現在もある手取フィッシュランドとは別の施設)。粟崎遊園が閉園してすでに10年以上経ってから、新たに作られた遊園。翌年の昭和31年には「もはや戦後ではない」と言われるほど戦後復興を果たしつつある中で、石川県内で遊園の復活もなされたようです。しかし、場所は白山市で金沢市からは北陸鉄道石川線(金名線)に乗って行ける場所とはいえ粟崎、濤々園のあった金石よりも遠い。手取遊園の鳥瞰図を見ると大型遊具が中心で野外ステージやキャンプ場があり、屋外レジャー中心の施設になっています。近くには手取温泉もありました。
 
 その後、卯辰山にヘルスセンターができると手取遊園への客足は遠のき、昭和45年には営業停止となったようです。跡地には平成4年に鳥越村経営のバードハミング鳥越が作られて現在も残っています。
戦中には多くの遊園地が閉園・休園しましたが、戦後昭和30年代以降から全国各地で新しい遊園地が作られました。
 
それにしてもなぜ金沢市周辺ではなく白山市に北陸鉄道が遊園をつくったのか、不思議に思えます。より景色の豊かな場所で、金名線の乗客も増やそうという意図だったのでしょうか。