50年前の10月19日に映画「砂の器」は公開されました。
松本清張さん原作の小説を元に作られた映画ですが、東京で開催されたシネマコンサートに岩国から飛行機に乗って観に行ったくらいawakinお気に入りの映画です。
原作者をして『原作を超えている』と言わしめた名作、この映画の最大の見どころはやはり、業病を患った親とその子どもが放浪の旅を続ける場面でしょうか。春夏秋冬美しい景色が移り変わる日本の情景とは対照的に、放浪する親子の姿は裏ぶれていく…。
原作では簡単に『追われるように古里を出、島根県の亀嵩に現れる。その間どこに回ったかは、この親子にしか分からない。』と書かれてあるだけですが、この分からない、というところを絵にするんだと言って脚本を書いたのは脚本家の橋本忍さん、そして映画の中で最も印象的な親子が放浪するロケ地を選定したのは、橋本さんと共同で脚本を書いた山田洋次さんです。
その親子が放浪する場面の中に、梅の花が咲き乱れ茅葺の民家が建ち並ぶ山里で、村のこども達に石を投げられ、追われて逃げるシーンがあります。よく見ると苛めるこども達が一様に『ホイト!ホイト!』と叫んでいます。(音声は入っていません)
ホイトは乞児と書き、もの貰い、乞食の蔑称です。
awakinが住む広島でも、自宅周辺の舗装されていない道を馬車が走り、気をつけて歩かなければ馬糞を踏んづけたり、雨が降ると水たまりがいっぱい出来て自転車で避けて走っていた5~60年前の子供時代には、しょっちゅうではないにしろ使っていた記憶があるワードです。
何しろ21世紀の現代でも時々『かばちよ!』とつい出てしまうことがあるawakinですから、てっきりホイトは広島弁だと思っておりましたが、どうやら違っていたようです。
同じようにこどもの頃に使っていて、最近はまったく聞かなくなったワードに『ホワイン』があり、これは神社や空き地で店開きして、近隣の住民が持ってきたボロ布やくず鉄を引き取り、お金やノート鉛筆などに換える商売を成す廃品回収業の人たちのことでした。
そのころはまだ血液銀行というのがあって、近所には血を売るとか言う人とか、あとネズミ捕りで捕まえたネズミを持っていくと60円だったかのお金になった時代です。
高度成長期が始まったばかりの暗い時代の記憶ですが、世の中にコーラが出て来て、ファンタとかミリンダを見かけるようになり、近所のタバコ屋、同級生の親が経営していましたが、その店頭に瓶ジュースの自動販売機が設置されました。
当時紙バックは牛乳のテトラパックがあったかなかったかくらいで、飲み物はお酒もジュースも牛乳も全部瓶詰めのものしかなく、それらの瓶はそれぞれお金になり、先のホワインも買い取ってくれていましたが、コーラ瓶などは一本10円で店に持っていけば買い取ってくれていたのです。
こちらは昨日買い物にいったジ・アウトレット広島で見かけた瓶コーラの自販機。
コカ・コーラは赤、ペプシコーラは黄色のが、タバコ屋の前に置いてあったのが思い出されます。
左手のドアは開いても、お金を入れなければ商品(瓶)が引き抜けない仕組みになっていました。
こどもの頃、記憶していのはコーラ一本35円でした。
高くて、滅多なことでは買えなかったですが、中学生になって少しだけお小遣いを値上げしてもらってから、夏の暑いときにたまり場になっていたそのタバコ屋でコーラを買って飲んだでしょうか。
何しろ滅多に買えない貴重な品ですから、お金を入れてコーラを引き抜くときのガコッという音という心地よい感触は、今も感覚として腕と耳に残っています。
喫茶店でコーヒーを飲んだすぐあとにこの自販機の存在に気がついたので、利用はしなかったのですが、懐かしいあの感触が味わいたくて、次回は必ず利用してみようと思うところです。
見ると瓶コーラ1本160円だそうで、瓶を持っていくときにはさらに10円、昔は35円でしたが瓶を返すと10円戻してくれていたので実質25円でした。
値上げ率は170円÷25円で6.8(倍)です。
当時6枚切りの食パン1斤が同じ35円(当時の広島にはナガイパンと西林パンのふたつしかなかった)でした。
ただお店によってコーラの値段が変わるように、食パンもお店によってピンキリで値段の差がはなはだしいので、単純に値上げ率を比較することは出来なくなっています。
それにしてもアウトレットで見かけた一台の自販機から、つぎからつぎへと記憶がよみがえってくるもので、それだけ歳をとってしまったということでしょうか。