街の新陳代謝というと聞こえはよいですが、商売には栄枯盛衰があり、景気がよくて大儲けすることがあれば、一転不況になって大損し店を畳んでしまうということが往古から繰り返されてきました。

 

それは広島の片隅でずっと暮らして来たawakinの近所も例外でなく、物心がついて周りが見えるようななった昭和40年代には、近所に個人経営のお店がたくさんあったのです。それが50年経った今では面影すらなくなってしまい、買い物かごを提げて近所へ買物に行くおばさんの姿や、「サザエさん」に出てくる三河屋さん(三平)のような御用聞きが家々を回るといった光景はまったく見られなくなりました。

 

今思うとこどもの頃、近所には本当にたくさんのお店がありました。同級生の家に遊びに行くと商売屋のことが多々ありましたが、隣に住んでいて小学校に6年一緒に通った友達んちも岸本牛乳の販売店でした。そして自宅の斜向いには酒屋があり、バス通り沿いにその隣が米屋で、八百屋が並び、道路の対面には焼き芋屋、食堂、散髪屋、薬屋がありました。

 

そのうちに焼き芋屋が洋服屋に変わり、食堂は喫茶店になったりお好み焼き屋になったりしていましたが、世の中の流れが変わりスーパーマーケットなど大型店が近くに進出してくると、個人経営の店はひとつ消え、ふたつ消えしていき、とうとう最後まで営業していた酒屋が数年前に店を閉め、近所から個人商店はまったく駆逐されてしまいました。

 

店じまいする時、たいていは店前に『閉店のお知らせ』が貼りだされます。

 

それが馴染みの店とかお気に入りの店だったり、広島にひとつしかない会社の支店(例・Canonの広島支店)だったりすると、この後どうしようかと途方に暮れてしまう『悲しいお知らせ』ということになります。

これまでそんな閉店を告げる貼り紙を前にして立ち尽くし、やり切れない思いを何度してきたでしょう。数えきれませんが、ここ数日の間に二度そんな悲しいお知らせを目にしてショックを受けてしまいました。

 

 

 

そば入りスペシャルねぎかけ(撮影日:2024.7.31)

 

横川・得、創業37年の老舗で、今は週1ペースですが、昔近くで働いていたころには週4回(火、水、木、金)昼に食べに来ていたお店です。

 

最近は、いつも家内殿とふたり仲良く食べに来させてもらっていたのですが…。

 

今月末で閉店!

 

この貼り紙だけは見たくなかった!というのが本当のところです。

 

日曜日(7/28)に山陰の帰りに立ち寄ったのですが、そのときは19時を過ぎでいて、準備中の札が掛かっていたのです。窓に小さな貼り紙が貼ってあるのに気がついていたのですが、いつもの旅行で休む告知くらいしか思わず気にもしなかったのです。

 

やれやれ残念なことであと一か月しかありませんが、食べられるだけ食べさせてもらうつもりです。そしてもう一つの閉店の知らせを聞いてしまった、自宅から歩いて2分のGS(家内殿の軽4のタイヤ交換に訪ねたところ告知されてしまった)と同様、やがては想い出話の中に出てくる懐かしいお店のひとつに変わることになるのでしょう。