小学生のころ春と秋二回あった遠足は、楽しかった小学生時代の中でもとりわけ楽しい行事でありました。

 

春は学校から歩いて行ける近場へ、秋はバスに乗って遠くの場所へ行ったものですが、前日に親から上限として決められていた50円を貰って、遠足に持っていくお菓子を駄菓子屋へ買いに行くのが楽しみでした。

 

何しろ子供のバス代が5円、食パンが1斤35円だったころの話ですから、こどもにとっての50円は大金なのです。チョコレートやキャラメルなど何品かを買いリュックに詰めて、その晩は翌日野外で食べるのを想像してなかなか寝つけなかったものです。

 

何度も行って印象深いのは三滝の観音さん。参道に橋がふたつあって、二重の塔(多宝塔)があって、写生をしたりずっと上の山の上の見晴らしによいところでお弁当を食べたりと、今思い出しても楽しいことばかり、可部にあった太田川遊園、黄金山のふもとにあった半兵衛の遊園地、宇品の水族館と今ではみんななくなってしまいましたが、同級生の皆と一緒に遊んだ記憶は今でも頭の中にはっきりと浮かんで来る「こころの風景」と言ってよいでしょうか。

 

当時は町内会(こども会)も夏休みにバスを仕立てて遠足を行っていて、これも楽しい行事でありました。行先は1年次は不参加で場所不明ですが、2年:二河峡(呉市)、3年:南原峡(広島市)、4年:野呂山(呉)、5年:宇賀(広島市)、6年:妹背の滝(廿日市市)でした。

 


宇賀大橋と宇賀を流れる太田川(撮影日:2024.5.22)

 

小学5年生の夏休みに町内会の遠足でやって来たまさにその場所で、むこうに見えている太田川左岸が当時はキャンプ場だったのです。

 

松がいっぱい生えた砂州が広がる河岸で、風が吹き渡る松林の日陰でバーベキュー、そのときみんなと一緒に食べた焼肉の美味しかったこと!

 

頭の片隅にずっと残る楽しいおもいでです。

 

食事のあとこの宇賀大橋をみんなでゾロゾロ歩いて渡り、500mほど山側にある宇賀ダムまで歩いて行ったのは、どちらかというとしんどかった想い出でしょうか。

 

それは西暦1969年のことですから55年前の夏の話です。その後大人になってから宇賀ダムの奥にある宇賀峡へは、花鳥を愛でに来たり、こども達と夏に泳ぎに来たりしたもので、今日はこの宇賀大橋を勇気を出して軽4で渡ってみました。

 

ゆっくりとだけ書いてあり、制限時速の定めはないようですが、路盤は板敷でガタガタ揺れるうえ、ところどころ板が老朽化して折れたのか補修がしてあり怖いのなんの、渡り始める前は途中でクルマを停めて景色でも撮ってやろうと考えていましたが、とんでもない話、這う這うの体で対岸にたどり着いたというのが本当のところです。(20年位前に亡父が乗っていた日産マーチで渡ったことがあり、そのときは窓を閉めて渡ったのでガタゴトいう音が聞えなくて怖くなかったのです。今回は写真を撮ろうとして窓を開けていたので、板が折れそうな音が大きく響いてとても怖かったのです。もう二度とクルマに乗って宇賀大橋は渡らないと誓いました。)