20年前のきょう可部線の非電化区間を最終列車が走りました。
儲からないものはいらないと切り捨てられていくのは世の習いで、先日のおろち号の最終運行日同様、撮り鉄乗り鉄が集合して駅構内がごった返している映像をテレビニュースで観た記憶が残っています。
その可部線の廃線区間を今、沿線を歩いてみるとその様子は様々です。
路盤が削られアスファルトが敷かれ道路になっているところ、レールが剝がされた後放置され山に還っているところ、雑木の伐採や草刈りがきちんとされていて元々鉄路だったことがひと目でわかるところなど…、本当いろいろです。
怪我をする前でまだピンピンしていた今月16日、ほんの少しですが廃線跡を歩いてまいりました。
移転してきた人気の鯛焼き屋の裏手にあり、誰も一顧だもしませんが、碑文を読んでみると、かつて鉄道誘致にこの地の住民が長い時間を掛けて情熱を持って取り組んできたことが伝わってきます。
明治29年に始めた誘致が実を結んだのが昭和29年でした。苦節58年の努力がやっと実ったのに、その49年後にはすべてが無に帰すことになり、世の無常を感じざるを得ません。
旧加計駅構内に沿線で唯一残る動態展示のキハ58
この11月には4年ぶりにイベントでこのキハ58の動く姿が見られたようです。
国鉄2万キロ記念碑(坪野~田之尻)
旧可部線の路盤は今は削られて道路になっています。
記念碑の左に見えている部分で、以前は3mほど高いちょうど民家の屋根くらいのところに線路が敷かれ、記念碑も線路のすぐそばに据えられておりました。この先約1㎞ほど鉄路だったところは悉く道路化され、途中の坪野駅があった場所も跡形もなくなっており、沿線で最もかつての雰囲気が残っていない場所と言ってよいでしょうか。
レールが外されて間がないのでは?と見紛う路盤(毛木~安芸飯室)
旧可部線の廃線区間(約46㎞)の中でも最もきれいに残されている場所でしょうか。地元の方々の鉄路に対する愛を感じる場所であります。
駅でも跡形もなくなっているところ、残っていても放置されてボロボロになっているところがほとんどですが、中には旧今井田駅やここ旧毛木駅、あと旧田之尻駅などのように、ホームや駅周辺がいつもきれいに清掃されていて、訪れるたびに気分がよくなる場所もあるのです。ただ、そういうきれいなところには駅名票がなく、逆に跡形もなくなった旧戸河内駅や旧津浪駅、旧香草駅には駅名票だけが掛けられているのは皮肉なことだと思ってしまいます。
最近路盤に生えていた雑木を伐採したと思われる場所(安芸亀山~毛木)
つい先だってまでは雑木林然となっていた路盤が皆伐されて見通しがよくなっている場所がそこここに見られます。この場所もそうで、すぐ近くまで道路化されているのでもしかすると今ごろになってサイクリングコースか何かで整備されるのかもしれませんが、伐られた木を跨ごうとした瞬間に目に入ったのは赤色のキノコ…。
もしかしてカエンタケ???、だとしたら食べたら即死?触れてもただでは済まない毒キノコです。くわばらくわばら、飛んでに逃げ帰ったのは言うまでもありません。