広島県立図書館のHPで見つけた「筏流し」の写真に興味が湧き、いろいろ調べてみました。きょうはその続きです。

 

まずは筏流しの歴史を紐解いてみたいと思います。

 

友呼ばふ声もひまなし山川に くだすいかだや暮いそぐらむ 則政
はやせ川くだすいかだしいかばかり いとまも浪に袖ぬらすらん 夭爾

 

筏流しの始まりはいつなのかはっきりしないそうですが、江戸時代にはすでに存在したことは、明和5年(1768年)に加計の鑪師が著した『松落葉集』に「筏」と題する歌と絵が載っていることから確かなことだと思います。

 

その後明治後期に最盛期を迎えた頃には、各所に筏を組む浜があり、本流最上流部の吉和・八郎川や支流の柴木川から流された木材は戸河内でその他滝山川や筒賀川、水内川では本流の合流点近く、最下流の吉山川との合流点、飯室にも浜がありました。

 

ただ昭和に入ると戦時色が濃くなり、各地にダムや堰堤、発電所が作られて本流の水量が減り、年々筏を流しにくくなる状況が強まりました。

 

滝山川  王泊ダム  昭和10年

本流   立岩ダム  昭和14年

滝山川、大佐川  下山発電所  昭和9年

滝山川、大佐川  加計発電所  昭和5年

本流       間野平発電所 大正14年

本流       吉が瀬発電所 昭和19年

 

ダム便覧から拾ってみましたが、昭和の初期に次から次へと電源開発が太田川では行われていることがわかります。ダムが出来ればそれより上流からの筏流しは当然止まります。
間野平発電所(取水は津伏)の完成により、昭和初期には水量が減って加計からの筏が好天続きだと出せない日があったそうで、吉が瀬発電所の完成に至っては、取水のため上流の正地に堰堤が作られてからは、戸河内ではまったく筏流しが商売にならなくなったそうです。筒賀でも同発電所の完成で筏が流せなくなったことから、当時財政が裕福だった村が寄付をし、木材搬出用の筒賀隧道を建設しました。

 

「とごうち郷土誌考」に興味深い談話が掲載されているので引用させていただくと、『豊富な材木と水量に恵まれて活況の続いた筏流しも、昭和12年の立岩ダムの起工などで、同15年頃から減水となり筏流しに支障をきたした。土居地区に対する給水補給のため、既に昭和8年に中電によって、戸河内橋下流170~180mに設置された。この堰の貯水によって、17~8年まで筏流しは辛うじて続いた。』

 

この談話により、戸河内では戦前のうちに筏流しが止まったことがわかります。

 

でも、貴重写真コレクションの筏流しは戦後の昭和22年8~10月に撮られました。

 

 


HPに掲載されている6枚の筏流しの写真のうち2枚をお借りしました。

 

トラックの荷台から珍しそうに筏を眺めているのは駐留軍(英&豪)の兵士たちで、撮影されたのは戦後の昭和22年です。上流では戦前に止んでしまった筏が戦後に流れています。この筏、木材はどこから来たのか?当然疑問が湧いてきます。

 

あれこれ空想して楽しんでみました。

 

ダム、堰堤や発電所が相次いで作られたために、上流からの筏流しは太田川本流、柴木川、筒賀川、滝山川などの加計より上流で本流と合流する支流では戦前にすでに出来なくなっていたのですから、戦後に筏に組まれるほどの木材を出したのは、加計より下流で本流と合流する水内川(湯来)、西宗川(豊平)、高山川(宇賀)、吉山川(久地)の沿線ではないか考えられます。

 

その中でも可能性が高いのは、森林鉄道(水内林道)があった水内川沿線でしょうか。「林鉄の軌跡」によると、当時水内川沿線には水内林道本線(9.2㎞、~昭和24年)、不明支線(4.0㎞、~昭和31年)、一楽山支線(1.4㎞、~昭和26年)、恵下谷支線(4.5㎞、~昭和27年)が存在し、国有林から伐り出した木材を本流との合流点に設けられた土場まで内燃機関で動く機関車で運び出していたのです。

 

以前土場があった小原集落の住民の方でお会いした地元の方は、森林鉄道があった頃の記憶をお持ちの方でしたが、軌道で運んで来た木材は三々五々川に浮かべておいて、筏を組んでから川を下っていった。当時はこどもだったが浮かべた木材の近くで泳いだり潜ったりすると、水面に木材が密集して塞がってしまうと浮き上がれなくなってとても危険だからと、近寄ろうものならブチ怒られよったと仰っていました。

 

この方の記憶が昭和何年頃のお話しなのか聞くのを失念したのですが、今存命であれば80歳くらいの方でしたから70年位前のお話しと推定でき、時間的にもびったりで、戦後の一時期水内川沿いに敷かれた軌道を使って搬出された木材は、太田川を筏で下って原爆で壊滅した広島市の復興に供されたのだと考えるのです。

 

もちろんもっと下流の高山川でも沿線の丹原には木馬があって、トラック輸送ができる道が出来る以前に木材の搬出が行われている写真を見たことがあるので、もしかすると高山から出た木材も筏で川を下ったのかもしれません。

 

でも水内林道で山を下りた木材は確実に筏に組まれて川を下ったのですから、昭和22年に菊池俊吉さんが撮影された筏の木材のルーツは水内川にあると信じたいawakinであります。