昭和38年10月当時、三瀧の山々がハゲ山だったころ(戦時中には、大砲の発射訓練の着弾地だったそうですから当然?でしょうか)ですが、通称三瀧丘とか、三瀧段地と呼ばれたその丘は、見晴らしがよいことから、お弁当持参の家族連れなどで賑わっていました。



それは現在の竜王町、善光寺から標高で50メートルくらい上がったところ、風化した花崗岩がむきだしの、ちょうど黒沢映画の『隠し砦の三悪人』の砦のような地形の場所でした。



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昭和38年(1963年)の三瀧丘からの眺めです。



手前の川は太田川放水路ですが、堤防は完成しているものの、高水敷(洪水敷)はまだ未整備のようです。(河岸のどこでも川舟で接岸できそうな様子です)

鉄橋は新設された可部線のもので、汽車が走るようになってから1年くらい経ったころです。旧線は、左端に写っている三篠小学校(3階建ての鉄筋校舎の背が高く見えるのは、周りの家屋が全て2階以下のためでしょうか)の手前側に敷かれていました。
町中のため、線路はさっさと撤去されて、道路に姿を変えてしまったことでしょう。
でも、当時の記憶の断片さえ残っていないawakinは、旧線が敷かれている様子を想像しながら、この写真を眺めていると、幼年時にタイムスリップしたような感覚を覚えます。



  
それにしても、高い建物がありません。
(本川沿いの並木がやけに黒々として目立っているような気がします。)



右下に見える倉庫のような建物は、錆び付いた記憶を呼び覚ますと「くみあい配合飼料」と建物の横に書いてあったような気がします。
倉庫の右上には、戦後に再建されたコンクリート造りの広島別院が、威風堂々聳えています。別院のむこうには本川が流れ、そのまたむこうには、広島市民球場があるはずですが、特定できませんでした。



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昨年(2009年)6月に、三滝山(宗箇山)の頂上から撮影した写真です。



広島は、ビルだらけになってしまいました。



    
左下に、46年前と同じように別院が写っていますが、威風堂々としていた昔と違い、ビルの狭間で何となく恥ずかしそうにしているように見えます。



唯一の救いは、中央公園と平和公園(ともにその場所の住人と家屋を強制排除して作った公園ですが)の緑に囲まれた広島市民球場でしょうか?



でも、その広島市民球場は今月いっぱいで閉鎖され(あと7日あまりの命です)、取り壊される運命であります。

   
広島市民球場ほど広島のシンボルにふさわしい建造物はないのではないでしょうか。



    
お金(維持費がかさむ? or 一等地の有効利用?)のために、自分たちのシンボルでさえ捨ててしまう?
   
   
お金より大事なものがあるのではないでしょうか。



人心の荒み、ここに極まれりと言ったら、言い過ぎでしょうか。