正月二日、朝わが家の豆庭で何するともなく過ごしていると、ブォーン・ガチャ・ガチャ、耳慣れた音が聞こえてきました。
  



自宅の前に郵便配達のカブが止まったのです。



『書留?』 と思う間もなく、ポストに郵便物を放り込むと、そそくさとバイクに飛び乗り行ってしまいました。



『きょうは休みのはず??』と見てみると、年賀状とダイレクトメールなどの通常郵便物の束が入っています。



awakinが配達のアルバイトをしていた頃(40年近く前ですが)は、正月二日は配達はもちろん集配もやってなく、まちがいなくお休みでありました。



正月早々驚きでありました。



  
そういえば、今年から広島そごうも元旦から営業すると宣伝しておりました。



世の中が世知がなくなり、正月が、正月らしくなくなっていくように感じているのですが、それは年々進化(退化?)しているようです。



  
私の脳内時計が止まっているせいかもしれませんが、古風?なawakinは、あいかわらず、元旦は寝正月、初詣と年始回りは二日からと決めているのです。
  



               *       *       *
  



古風と言えば、宮本常一さんの文章が思い浮かびます。



  
彼は著名な民俗学者で、日本全国をくまなく歩いたことで有名な先生ですが、広島県は故郷の山口県の隣だからでしょうか、何度も何度も訪れておられます。



中でも、今はダム湖の底に沈んでいる芸北・樽床集落を、先生が昭和14年11月に歩かれたときのことは、紀行文が「土と共に」として宮本常一著作集25に、民俗採訪録が同23に所収されていて、それぞれたいへんに興味深く、awakinはそれこそ何度も何度も読み込んで、いつかは同じような紀行文を書いてみたいとささやかな夢を持っているのです。



Tarutoko001
亡父が遺してくれた地図の、樽床の部分を切り取ってみました。



旧道にある道戦峠の特徴的なヘアピンカーブ(昔バイクで転倒したところ)から少し先、樽床へ降りていく道の一部(ダム湖へ出るまでの狭い部分)は、60年近く経過した今も使われている道路ではないでしょうか。



昭和32年に完成した樽床ダムの姿はなく、広い盆地全体に田んぼが広がっているのがわかります。



あと高嶽の登山道にあたる谷筋にも水田の地図記号があり、ここにあった人家が最後まで樽床の地に残られたというお宅でしょうか。

Tarutoko194702
1947年に、樽床上空から撮影された航空写真です。



当然ながらダムはなく、右上に道戦峠のヘアピンが、左下には今もある三ツ滝の滝壺が見えています。



ダム湖がない代わりに、山に囲まれた盆地状の平地の中を柴木川上流にあたる八幡川の蛇行した川筋が見えています。



川の両側には田んぼが広がり、点々と見えている(密集していない)家屋が樽床の集落です。



昭和14年に宮本常一さんは、大朝から八幡までバスに乗ってきた後、蓬屋(四茂義旅館)という宿屋の女性に勧められた樽床集落へ、約30㎝積もった雪の中を歩いていったそうです。



  
先日雪見ドライブの途中で立ち寄った、豊平どんぐり庵でいただいた蕎麦定食についていた冷や奴が冷たくて歯にしみたawakinは、同じ体験を八幡の蓬屋でしたことを文章にされた、宮本さんに思いを馳せたのでありました。