昨年の8月でしたか、広島東洋カープの公式サイトに、2011年度に新しい選手寮を南区大州に建設するという記事が載り、併せてawakinの自宅の近く、三篠合宿所が3月で閉鎖されることになりました。
三篠の合宿所は昭和33(1958)年に開所した施設で、正面には『三省寮』の看板が掛かり、地元住民であるawakinにとっては、併設の室内練習場とともに一軍選手の独身寮と認識していました。
過去の報道を拾ってみると、3年前の2008年2月には篠田、松山、前田健太が大野寮から移り、篠田は新井の部屋であった6号室に入所したというものがありましたし、昨年の2月28日にはやはり、川口、会沢、丸、今村の4人が入所したというのがありました。
また、先月放映されたRCCの『元就』では、最後の寮生として齊藤悠葵投手の名前が紹介されていました。
三篠に住む者として、選手の皆さんと普段接点があるわけではありませんが、やはりおらがチームのおらが選手、彼らが地元に住んでいることは、少しですが誇らしく感じていたものであります。
awakin自身の記憶としては、小学生時分に近接の「陵北公園」で遊んでいると、ポロシャツ姿の山本浩司(当時背番号27)と衣笠(当時背番号28、その後awakin家にほど近い新庄橋東詰の当地で初のエレベーター設置建物である大井マンションに引っ越しました)が一緒に遊びに行っているのを見かけていましたし、春先のオープン戦時などには当時の広島では珍しかったパリーグの選手が室内練習場で打撃練習をしていると聞いて見に行ったりしていました。
中央に見える消防署の火の見櫓の手前、2階建ての白っぽい建物が三省寮で、この広場は陵北公園として現在も同じ場所にあり、地元ではプリン山公園と呼ばれています。
驚いたことに26年までの予定で下水道工事による壁が構築されており、景観がだいなしです。
小学生のときに、職場見学で上がったことのある火の見櫓はすでになく、すっかり変わってしまった家並みの上にかすかに覗く武田山と火山のシルエットから、わずかに上の写真と同じ場所であることがわかります。
50年前にカープの選手が柔軟体操をしていた広場では、近々試合でもあるのでしょう、小学生がフットベースボールの練習を一所懸命やっておりました。

