三滝山(宗箇山)の山中には、水晶谷がありますが



江戸時代末期に描かれた『都志見往来日記』の風景画の中には



『地獄谷』の絵があり、その昔、牛鬼が住んでいたという伝説が残っているそうです。



牛鬼といえば、ゲゲゲの鬼太郎で描かれた牛鬼=佐脇嵩之「百怪図巻」のうし鬼のイメージですが、どんなところなのでしょう?
行ってみたくなりました。
それと、ここ数年、太田川本流の中流域は、平成14年の台風による水害を起点にして、大規模な護岸工事が各地で行われており、数年後にはまったく風景が変わってしまいそうな危惧を、awakinは持っているのです。



Jigoku001 『都志見往来日記』の「久地村・地獄谷」の図です。(画像は広島市立図書館のWEBギャラリーより拝借しました)



Jigoku002 地獄谷の少し下流の、間野平(まなびら)発電所前の河原に降りて、上流の地獄谷(左側の斜面)を撮影しました。



Jigoku003 その名も地獄橋、谷が地獄谷なら、側にある祠も地獄堂と呼ばれているそうです。



Jigoku004 地獄橋からみた、直下の大岩と川面です。
この場所の流れは緩やかで、所謂「淵」になっています。
地獄谷を描く前に岡岷山は、「久留見」「狼瀬」「鹿巣」「野風吹」と、谷の上流にある、川船の難所(早瀬)を4か所も描いています。



awakinが想像するに、その昔、増水した太田川の難所で遭難し、犠牲になった人々が最期に流れ着いた場所が、地獄谷がある淵であったのではないでしょうか?



    
牛鬼は、日本各地に伝説が残っている妖怪ですが、祟りがきつい妖怪なのだそうです。



その牛鬼が、昔住んでいたという太田川河畔の地獄谷の今はどうかというと
谷がある太田川右岸は断層剥き出しの絶壁のため、その姿を江戸時代からほとんど変えていません。
でも、対岸の河岸には、大きな鋳物工場が稼働しており、awakinが訪れた土曜日の昼下がりにも、『ウォーン、ウォーン』と、不気味な作業音が響き渡っていました。

牛鬼の霊も、さぞかし難儀をしていることでしょう。