JR山陽本線の新井口駅裏から、山の手へ斜めに入っていく細道は、かつて西国街道とよばれた当時のメイン道路でありました。



駅裏から500㍍ほど民家の連なる道を歩くと、小高い山(丘)が左手に見え、かつての街道は、今は龍神山と呼ばれているその山を越える長崎峠へ向かう急坂の道となって続いておりました。



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江戸時代後半の龍神山界隈の絵図であります。
(龍神山登山口にある地蔵堂横に設置された立看板より引用)



絵図を拡大してみると、龍神山の頂上部分に小さく『小己斐山』と書かれていて、山越えの道は、頂上を通る道と、すぐ下の海側を巻く道の二つがあったようです。



そして、頂上の少し左と右上にそれぞれ『一里塚』と書いてあるのが見えています。



もうひとつ、麓の小己斐明神と陸地の間にも道のしるし(点線)が描かれていて、こちらは岡岷山が旅路で利用した、干潮時に現れる浜の道でありましょう。



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江戸時代の絵図には『道場』と書かれている龍口山正順寺であります。



境内には樹齢とか、説明は一切ないのでわかりませんが、立派な松の木が植わっていて驚きました。



きょうび、広島市内で大きな松の木を見かけることがなくなり、久方ぶりに松の大木を見た気がしました。



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周囲を住宅街に取り囲まれておりますが、山道を少し上がるとこの風景と出会えます。



江戸時代の街道の姿がそのまま残っていると思ってもよいでしょうか?
  



ただ、この場所は藪蚊がワンワンうるさいのと、踏切のカンカンと響く音、電車がレールを踏んで起てるガタンガタンという通過音、その他もろもろの生活音が満ちていて、歴史のロマンを感じるのには、ちっくし邪魔でありました。



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街道に沿って、麓近くには古い野面積みの石垣があって、もしかして茶屋があったのでは? と思わせる風情が残っておりますが、もう少し上がったところには整然と、比較的新しい石垣(谷積みで19世紀後半のものでしょうか?)が姿を現しました。



こちらは斜面が崩れないようにと、のり面の補強用の石垣だと思いますが、降り積もった落ち葉の下には、もしかしたら江戸時代に敷かれた石畳が残っているかもしれません。



(浜田までの石州街道沿いには、可部峠や広島・島根県境の三坂峠に、かつての石畳道が一部残っているそうで、いつか歩いてみたいと思っています。ここ長崎峠にも少しは残っているかもと歩いてみましたが、落ち葉の下に埋もれているのか、見つけることはできませんでした。)

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頂上へ通じる道は、街道といっても急坂で、山道そのものでありました。



さすがは道中一二の難所といわれたところと頷けます。





『やい! やい! やい!』 と追い剥ぎが飛び出してきそうな気がするところでした。