連日、小雪が舞う寒い日が続いていましたが
きょうは、朝から晴れ渡り、センター試験当日にしては暖かい一日でした。
末娘を、試験に送り出したあと、正月からこちらの食べては寝る繰り返しにより
腹回りが、見た目にも、ちょっと大変なことになってきているので
陽光にも誘われて、久々に広島市内を散歩することにしました。
楠木の大雁木の一部が、今も残されています。
場所は、三篠橋と横川橋のちょうど真ん中あたりで、差し渡し20メートルくらいでしょうか。
昔、太田川上流から筏や船で運ばれてきた材木などの荷揚げが、この場所で行われていました。
戦前は、横川駅に続く、引込線(貨物用)まで引かれていたそうで、当時の賑わいが目に浮かぶようです。
雁木の前を流れる川は、本川(太田川)で、江戸時代には、対岸に広島藩の運上場(御材木場)があったそうなのですが、こちらは跡形もなくなっています。
寺町のど真ん中から、南方面を望んでいます。
文字通りお寺が建ち並ぶ町で、お墓だらけの場所です。
他人の墓所を訪問することは、ほとんどないawakinですが、「がんす横町」などを読むと、江戸期の関取や学者の墓が残っているそうなので、機会があれば、お参りさせていただきたいと思います。
寺と寺に挟まれている舗装道路は、中世の時代からの幹線道路で、昔は雲石街道(雲は出雲大社、石は石州浜田)と呼ばれていました。
雲石路は、写真を撮影したところから、約1キロ南の場所を、東西に横切っていた西国街道(山陽道)から分岐した幹線道路(往還)で、江戸期には、萩に移封された毛利の殿様が、吉田(安芸高田市)にある元就の墓参に利用していたといわれています。
こちらは、写真がちっちゃくなってしまいましたが、本川町は空鞘神社の境内の片隅に立っている、出雲大社道と彫り込まれた、江戸末期(文久元年銘)の石灯籠です。
この石灯籠は、以前は西国街道と雲石街道の分岐点(今の堺町1丁目界隈)に据えてあったそうですが、道路拡幅という理由で、こちらの神社に移設されたそうです。
それにしても、写真に収めるのもちょっと憚るような、隅のすみに移されています。この石灯籠が元あった場所の近所には、本川公園があり、本川河岸緑地もあります。
いつ移設されたのかわかりませんが、もうちょっと何とかならなかったのでしょうか?
2時間の散策(約12,000歩)の後の楽しみは、ホテルの上階から景色を楽しみながら食するランチです。
きょうは、大手町のホテルサンルート広島15階にある『トラットリア・ヴィアーレ』で、パスタランチをよばれました。
きょう歩いてきた、本川から元安川の河畔がよく見えました。
冬なので、雪とかまくらをイメージしたデザート(ティラミス)です。
awakinには、このデザートはすこし甘過ぎでしたが、満足感たっぷりの、楽しい時間を過ごすことができました。