awakinが住んでいる広島市西区の三篠界隈は、路地を探して歩いても徒労に終わるのではないかと思われるほど、きれいに区画整理されています。(実際にはほんのわずかですが残っています)
昭和30年代後半の、区画が整理される前の界隈の様子を知っているawakinは、当時の様子を、父親がとってくれた写真で眺めて懐かしむほかないのですが、その父の生まれ故郷である、安芸区の矢野は、21世紀の今でも、路地がたくさん残り、卯建の上がった町屋がいくつも残っている土地であります。
(この町に卯建のある古い民家がある理由をawakinは知りません。戦火に遭わなかったのが一番大きい理由だとは思いますが、古くから筆づくりの盛んな熊野への街道筋で栄えた名残なのかもしれません。)
矢野には幼いころから毎年お盆にはお墓参りに訪れていて、小学生時分には従兄弟たちと自転車で町中を走り回ったり、路地でキャッチボールなどして遊んでいました。
当時は路地が多いのは、元漁師町だから?と思っていましたが、本当に漁師がいたかどうかは当てずっぽうでした。
でも、亡父からは昔は海がすぐ近くにあって、牡蠣の養殖が盛んだったことを聞いた記憶があります。
矢野を流れている矢野川に沿って歩くと、空中にせり出した、木造の民家を見ることができます。
ここ矢野の町は髢(かもじ=かつら)の一大生産地であり、今でも川辺には、かつて髪を流水で洗った場所が名残とともに残されています。
しばらく前までは、尾崎神社から山方向へ進んだ、かつて焼き場があった場所(現在は墓地)へ行く道の曲がり角には、○○髢製造所と書かれた看板がかかった木造の建家がありましたが、現在は取り壊されて普通の民家に建変わってしまいました。
このような路地が、縦横に、数え切れないくらいあって、中にはコンクリートなどで舗装されていない、昔ながらの土道の路地もいくつかあります。
それにしても、昔はこんなところでキャッチボールをしていたのです。
むこうに見えている煉瓦造りの煙突は湯屋のもので、現役かどうかは確かめておりませんが、なかなか味のある風景であります。
そして、左の蔵の雨樋受けに使われているのは土管であります。
これも懐かしい形をした物品で、昔父が手製の池を掘ったときに、このような土管をつなぎ合わせて排水路を造ったのを手伝ったことが思い出されます。
(近所にまだドブがあり、土管を伝ってドンビキ(ヒキガエル)が姿を見せていたころのことであります。)
熊野へ上がる現在の幹線道路は、いつも車が混んでいて、風情といったものは感じることができません。
ですが、熊野への旧道を歩くと車はほとんどやって来ず、道の両側には古い町屋が建て込んでいるのを眺めながら、まったりとした時間を過ごすことができるのです。
空き屋のようでしたが、いつごろ建てられたお宅なのでしょう。
車の進入を妨げる大石が、唯一新しいもののように思えました。
先般、大崎下島で見たミカン畑は、『耕して天に至る』を地でいっていましたが、こちらのサボテンも天を目指してまっすぐに、2階の屋根を凌ぐ勢いで、幹を延ばしておりました。



