可部線は、広島市内に始発駅と終着駅ーの両方がある、唯一のローカル鉄道です。
もっとも、昔は遠く三段峡まで通じていましたし、最近まで、新球場前に究極の赤字線であった宇品線の痕跡が残っていましたが、利益を上げられねば、生き残れないという、世知がない今の世では、あっという間に痕跡さえも消えさってしまいます。
その可部線ですが、awakinの記憶がかすかに残る昭和37年までは、太田川放水路(当時は山手川という名の小川)の左岸を走っていました。
その頃はもちろん蒸気機関車で、暑い夏には蚊帳を吊って、鍵もかけずに開け放っていましたから、自宅から30メートルくらい離れた線路から聞こえてくる汽笛などの音が、今も耳に残っているような気がします。
何の変哲もない写真ですが、昔はこの道の場所を可部線が走っていました。(日本で最初に路線バスが走った旧国道の1本西寄りの道です)
そして、わかりにくいですが、家並みの左の木立は、地元で「飛行機公園」と呼ばれている公園なのですが、ここに旧三滝駅がありました。
「飛行機公園」北側入口の側に残る記念碑です。
この公園には新庄神社ほどではないですが、結構な大木が残っています。
これらの木々は、昔の駅前広場に植えられていたものなのでしょうか?