大崎下島の御手洗を訪ねる前に、隣町の大長の港に車を止め、しばらく辺りを散策しました。
大長といえば甘くて美味しい大長みかんを連想しますが、最近では「たまゆら」とか「ももへの手紙」などの、アニメの舞台となったことで、飛躍的に知名度が上昇した土地なのです。
見えている橋は「中の瀬戸大橋」というよくわからない名前の橋で、とびしま街道の一部です。
右手には津波が来たらひとたまりもないような海岸端に建家がありますが、これは番屋でしょうか。(見たところ船でしか行きようのないところに建っているようです)
もっとも番屋といっても漁師が利用する家ではなく、小島という無人島であるこの島は、斜面を開墾してみかん畑が広がっている(いた?)ところで、大長から農船に乗って渡っていった農民のみなさんが利用した作業小屋なのかもしれません。
左端に見えている橋のむこう側は北浦という入り江で、もうひとつの南浦とともに、かつては町外にあるみかん畑へ渡るのに使用した農船であふれかえる舟だまりであったそうです。(最盛期の昭和35年には、566隻もの農船がひしめき合っていたと記録にあります)
大長港の待合室の中に入らせてもらいましたが、何か寂れた感じでありました。
それもそのはず、かつては大長港からは明石港(フェリー 1963~)、竹原港(フェリー 1965~,高速船 1972~)、今治港(フェリー 1968~)、三原港(高速船 1974~)、仁方港(高速船 1975~)などの航路があって、いちどきに大型のフェリーが複数接岸するなどの活気にあふれた港であったのですが、橋ができ陸続きとなったために、海のトラックと呼ばれた農船が廃れていったのと同様に、航路もつぎつぎと廃止され、今では竹原航路がひとつ残っているだけ(高速船が日に13便)になっているのです。
それでも壁にずらりと並んだ広告はかつての賑わいの残り香を感じさせてくれます。
左端の木村旅館(御手洗桟橋際とあります)以外はすべて今治市内のお店や病院のもので、かつての生活圏が呉や竹原ではなく、四国の今治であったのかもしれません。
南堀から少し入ったところ、映画「ももへの手紙」の中でも登場した、古い昭和の木造建築である、資誠堂薬局すぐそばの宇津神社へお参りさせていただきました。
旧くて、落ち着いた雰囲気のいいお社で、心が安らぎます。
樹齢1200年!! のホルトの木と書いてあります。
ホントですか?
広島県内で樹齢千年といえば、筒賀の大銀杏(1,100年超)と、高野の乳下り大銀杏(1,000年)くらいと思っていました。
瀬戸内海恐るべし。 といったところでしょうか。


