こんにちは、ひじままさきです。

 

痛快なストーリーというと

勧善懲悪”ものだなぁと思うのは

昭和な感覚でしょうか(笑)

 

よくよく考えれば

ドラマや映画でしたら

見た目的にも縁起的にも

 分かりやすい“悪役”と

 分かりやすい“正義の味方”とで

 分かりやすく描かれている

はず。

 

もし、

人気の俳優やアイドルが

 “悪役”の黒幕で

見た目が“悪そうな”俳優さんが

 “正義の味方”

だったとしたら

そのストーリーが痛快になるとしたら

 

その両方が“名優”、“名演技”という

評価がされるのかもしれないですね。

 

何のことかというと

勧めているっていっても

懲らしめているっていっても

立場によって

その見え方は違うわけで。

 

昨今は

 互いの“価値観”を認め合う

ことが大事だ

といわれているものの、

 

それぞれが

 「こっちの価値観を認めろ」

といいあっているような

 

特に、千代田区永田町の

知名度では

日本で一、二を争うあの建物。

 

自分には、自分の価値観

相手には、相手の価値観

もしかすると、

その両方が存在するために

新たに創りあげる必要のある

 別の価値観

ってものがあるんじゃないかと。

 

「多様な価値観を認める」価値観

っていうのは、

自分の価値観を押しつけること

ではなく、

 

自分には、自分の価値観があって

相手には、相手の価値観ある。

で、その両方があっていい

 

それだけのこと。

 

それが、一見

「私達の大事にしている価値への偏見だ」

と思ってしまうこともある

 

でも、コミュニケーションの視点で捉えれば

自分が

「自分の大事にしている価値」を

相手に伝わるように伝えてない

とも言えなくない。

 

場合によっては

相容れないこともあるのかもしれない。

 

だとしたら、

相容れない価値観が存在すること

も受け入れる価値観が必要かと。

 

ただし、その価値観を守る行動が

他人に、

物理的に危害を加えない範囲でデスけどね。

 

自分の軽率な行動そのものが

他人の生命を脅かすことに

成り得る昨今

 

価値観は価値観として

多様なまま存在しても

行動については、

社会の価値観に反しない形で

行動したいとおもってます・・・

 

何しろ戦う相手は

論理や感情が通用しない

ウイルスですからね。

こちらの価値観なんか

 知ったこっちゃない

でしょうからねw