今回は本筋のコトタマの学びはお休みして
日本人で知らない人はいない「浦島太郎」に込められた意味について書きます。
流行りの都市伝説と思われるかもしれませんが、こんな言い伝えもあるのかと思って頂ければと思います。
確実な物証は存在しないですが、コトタマの学びの中で伝えられるのは以下のような事です。
(小笠原孝次先生の所説)
浦島太郎のあらすじはよくご存知と思うので省きます。
時は紀元前ニ百二一年、秦の始皇帝が天下(中国)を統一し、秦の皇統を2世より万世に伝えようと計画しました。
始皇帝はお気に入りの家臣の徐福(方士)に童男童女大勢を与え、沢山の船を用意し、何年かかっても東方の国にあると伝えられる「不老不死の仙薬」の薬を見つけてくるようにと命令しました。
中国の古書には、東方の国には仙人がおり、死なず、老いず、飛んで往来するとあります。
徐福伝説じゃないかと思われるでしょうが、実は始皇帝と徐福が求めた「不老不死の仙薬」とは アイウエオ50音の言霊の原理 のことなのです。
仙人とは聖人、ひじり(霊知り)のことです。
古書古伝(竹内文献など)によれば、50音の言霊の理によって日本が建国されて以来、霊知りによる政治の世が続いた。
この間、ニニギ皇朝、日子穂穂出見(ひこほほでみ)皇朝と続き、精神文化は日子穂穂出見皇朝の時代に極みに達した。
日 精神
子 生まれた文化
穂穂 豊かな実り
出見 現れた
次に興った鵜草葺不合皇朝(うがやふきあえず)は精神文化が爛熟した時代であり、同時に物質文化の芽が吹き出した時代であった。
鵜草(ウ神谷) 物質文明
葺不合 未発達
この皇朝の末期、政治方針を大きく変える決定がされた。
物質文化のの発展を第一の目標とし、精神文明の基礎である言霊の理を物質科学文明が完成されるまでの間、世の人々の意識から完全に隠してしまう事にした。
この方針の実行のために新しく興されたのが、神武天皇に始まる神倭皇朝である。
実行に移したのは第十代崇神天皇であった。
始皇帝の命を受けて徐福が来朝したのは言霊の理を隠す計画を実行に移す寸前の第七代孝霊天皇の時でで会った。
これらを踏まえて『浦島太郎』を考えていきます。
古代日本は言霊の幸倍国、霊の国、日の本の国でした。
言い換えると表で
外国は夜見国、常夜の国、月夜見国で裏の国でした。
(現代の我々からしたら差別的な表現じゃないか、となると思いますが、単に東から夜が明けるのでこういう表現と理解した方がよいかと思います。)
という事で裏の国からやって来た太郎、中国の思想の本筋を受け継いでいる人という意味になります。
思想の本筋とは易経の事で、その元は日本から中国に言霊の先天と後天の構造を数に置き換えて教えたものです。
易を持って吉凶を占うことを亀卜といいます。
易経の原理を体得した徐福がを求めて、亀(亀卜)に乗って海(人類社会の文化を産んだ)の底にある竜宮(50音の言霊の原理)を求めてやってきたとなります。
乙姫は音秘めで、古代の霊知り天皇です。
徐福は言霊の原理を日本の皇室に請求したという事です。
これは当時の外交上の大問題でした。
日子穂穂出見、鵜草萱不合の時代は請求されたら、言霊の原理を世界各地の神話、哲学、宗教の形に鋳直して教伝するのが仕事でした。
けれども言霊の原理を隠す方針が神武天皇の時に決定され、その方針が実行されようとする時でしたから徐福の要求に応じるわけにはいきません。
さりとて始皇帝が統一に成功した当時の強国の秦を相手に無碍に断るわけにもいきません。
そこで浦島太郎を迎えた竜宮は連日連夜の宴会をし、答えを延ばしに延ばしました。
色々なところに徐福伝説が残っているのはあちらこちらでおもてなしをしたのかもしれませんね。
宴会ぜめの三年を過ごした浦島太郎は玉手箱を乙姫にもらい帰郷することになりました。
玉は言霊です、決して開けてはならないとは物質文明が完成に近づくまでは封印しておかなければならないということです。
乙姫が渡し玉手箱は、中に入る麻邇(言霊)を抜いた空でした。
徐福が帰りついた時には始皇帝は既にこの世になく、秦の数十年の政治も終わっており、土産物の中からは言霊の実体を見つける事はできなかったという話しになります。
この昔々のお話しが微妙に現代とリンクしているのが面白いです。
このところざわざわしている日中関係ですが、その騒ぎのおかげといってはなんですが、国(政治家)の特徴やキャラがよく見えます。
もしかすると2千年前の徐福さんも大国秦を後ろ盾にした強気の戦狼外交だったのかもしれません。
習近平さんの出身が秦の都のあった陜西省であるというのも歴史は繰り返すの諺が思い出されます。
強気の徐福さんをなんとか宴会ぜめの三年間でもてなし、空の玉手箱をお渡しして、ご先祖もやれやれとホッとしたのかもしれません。
最後に言霊の学びの話しもしておきましょう。
文中にも出てきたニニギ皇朝、日子穂穂出見皇朝の時代は第一文明は言霊の原理による精神文明
鵜草萱不合皇朝から第二文明 の物質文明が芽が出て約2千年間は物質文明の時期でした。
現代は物質文明が爛熟し、精神文明と物質文明のバランスのとれた第三の新しい文明が誕生しようとする時です。
言霊の理の復活も移行期である証左という事になります。
今回は長文になってしまいました。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
*画像は龍体文字で乙姫
参考
コトタマ学 上巻 島田正路
中国を見破る 陽 海英

