最近、また強烈なナルシストの正体を見るという経験をした。
なので、ふりかえってちとまとめておこうと思う。

毒親&ナルシスト


私の母はナルシスト、自己愛マザーだった。

その事に自分が50歳になるまで気づかなかった。
その頃は「毒になる親」という言葉を聞きはじめる時期だった。
(私が育った時代は親を悪く言うのは許されない雰囲気があった。)

父が亡くなり、しばらくぶりに一緒に暮らしたが、
時々会うくらいの時と違い、家の中での傍若無人ぶりが激しかった。
他人の悪口三昧、責任感ゼロ、思いやりゼロ、共感ゼロ、悪い事は全て私のせい、と言った具合だ。

けれど、他人(特に男性)の前ではしおらしく、善人の顔をして気の利いた事を言ったりしていた。

もう既に親の価値観から離れて別の価値観で生き始めていた私は、そんな母の二面性や感謝も謝罪もしない態度、私のいう事は全て否定する態度など、理解に苦しんだ。
早い時点で母を変えることは不可能と思った。
また、母は老いてこうなったのではなく、以前からこうだったと理解した。
同時に自分の子ども時代のトラウマの数々に向き合う事になった。


母に対しては、何故そうなのか、何故そういう態度、行動、心理なのか知りたいとは思い、
観察する態度でいようと心がけた。

それでも、日々ネガティブな言動をぶつけられるのにはまいった。
無防備な時に背後から近づいてネガティブな言葉を投げつけられたりした。

前から行くと警戒され、時には言い返されるからだと思うけど。

今は笑って書いているけど、その時はほんとうに苦しかったわーニコニコ

その後、段階を踏んで距離を取り、現在は家族代行業者に任せている。


境界知能?&ナルシスト

母は共感ゼロと書いたが、同じ感情を感じていないわけではないと思う。

ただそれを言葉にして表現する事ができない、或いはしない。

自己愛マザー&ナルシストあるあるで、子どもを自分の所有物のように思っているから、何も言わないでもいい、自分の考えは全部わかっているはずと思い込んでいる。

だから自分のニーズを子どもが満たさないと激怒する。
子どもを保護者にしてしまう。

精神的には赤ちゃんor幼児が老婆の姿をしている
と考えると納得する。

そんな具合で老人向けのデイサービスに私に一緒に行こうと言ったくらいだから、
慣らし保育に行かせるのもやっと、みたいな感じ笑い泣き

住民票やら、介護保険やら、行政サービスに関する事柄は理解不能
マイナンバーはいつの間にか作って紛失🤣
父存命の時は父が全部やっていから、丸投げしとけば良かったのだろうけど。
母の場合は認知症になって理解不能になったのではなく、以前から理解していなかった。

子どもに限らず、自分と他者は違う考えを持ち、それぞれが主体性と個性を持って生きているという事を理解していない。

戦争と共にあった子ども時代

母は昭和4年生まれ
母の父、私にとっての祖父は軍人だった。

その頃、日本だった朝鮮の釜山で母は生まれた。
朝鮮人の子守がいたらしい。

日本語を母語としない子守と時間を過ごした事はどのような影響を母に与えたかはわからない。

昭和24年の終戦までの20年間、つまり成人するまでずっと戦争だった事になる。
日常が常にサバイバルモードだった事はなんとなく想像できる。

母は戦争時代の記憶を一切語らない。
父もそうだった。

語らない という事は、何もなかったということではないだろう。

語るという事は、客観視できてはじめて出来ることである

自分に起きた現実を客観視して語ったり、書いたりすると、
それらは心の中で、過去のモノと認識され、
今の現実からは切り離される。

私の両親は、そうすることができなかった人間の類だろう。
父は同僚と南方に慰霊の旅に行ったりはしていたから、少しはできたのかもしれない。
(父も軍人だった)

戦争は多くの人々に心理的にサバイバルモードでいる事を要求する。

戦争という背景が、心理的、精神的に日本人の親子関係、家族関係になんらかな影響を与えている事は否定できないだろう。

逆もまた然りで、

人々の無意識下の集合意識が戦争を引き起こしたとも言えるかもしれない。


最近、出会ったナルシスト

深い関わりはないのだが、ナルシストを観察する機会に恵まれたので書いておこう。

母の世代よりは若く、団塊の世代だろうか。

母は愛想よく振る舞い、共感する振りをして,他人に近づくタイプだが、

その人はマウントしていくタイプ
母よりはわかりやすい。

細かな事、そんな事でと思う事まで出してマウントを取ろうとする。

それがダメなら、身体の具合を持ち出して同情を買おうとする。


世間話し一般に聞こえなくもないが、
自己愛母に長く対応してきたせいか

その奥にある心の動きがわかってしまう😆

その証拠にはそんなに親しくもないのに、境界を一気に超えるような事をちらつかせる。
暗に要求で、自分のニーズだ。

引いても引いても押してくるのは、
それで成功体験を多く積み重ねてきたからだろう。

ある日、他の人に近づこうとしている時の顔を見てしまった。

獲物を捕まえる前の捕食者の顔 と感じた。


内なる自己と向き合う事を拒否した人

精神の成長には、内省は欠かせないと思う。

あるうまくいかない事があり、それらを解決しようとする時、

どこに原因があり、何を変えるべきかを考える。

一般に試行錯誤というものだ。

料理や掃除といった身近なことも、
事務や営業、企画、建築、
保育、教育、勉強、

好きか、嫌いかはともかく、
試行錯誤は全てにあるだろう。

外の仕事をやりながら、
内面の心も常に動いている。

うまくいかない時、それらを全て他人のせいにしたらどうなるか。
全て外側の出来事のせいにしたらどうなるか。

自分は全く悪いところはなく、誰かや外側の要因であると考えるとどうなるか。

その時、人は成長しなくなるのだと思う。

赤ん坊は,全能だと思い生まれてくる。
泣き声で全てを支配する。
それはサバイバル本能でもある。

やがて人間の生き方を覚えていく。
様々な体験を積む。
思い通りにならない事がいろいろある。
だからこそ、学びが深まる。
成長する。


自己愛の強い人を見ていると

スーパーの床で寝転がり、叫ぶ幼児を見ている気分になる。

子ども時代にはあるあるの体験で可愛らしくさえ思うが、大人、老境に入って尚、

自分の欲しいもの、
賞賛、同情、親しみ(見せかけ)をくれくれ
という姿には哀れみを感じる。

哀れみを感じているうちなら良いが、

こちらの領分に侵入してくると
拒否を発動せざるを得なくなる。

ナルシストは内省と努力を放棄して、
人の成果を横取りしようとする。

人との境界線がないので、
ズカズカと入り込み、
まるで自分で成し遂げた事のように振る舞う。

それでも根底には劣等感と嫉妬があるので、
その成果のアラを探して刺すのも抜かりない。
そういう事は他者が居る時にはしない。
精神的に幼児なのに、作戦は完璧。
特化したサバイバル能力なのかもしれない。


彼ら、彼女らは外側、外面が全てなのだ


内なる自分やら、心やら、魂やら、
意識したり、考えたりはないのだろうと思う。

避けているとも言える。

自分の欠点、未熟な部分、過去の心の傷

向き合うだけの心の強さが育っていない

ということなのだろう。