日常生活での瞑想の意味 | 瞑想してみる

瞑想してみる

瞑想を続けてみようと思うが、すぐに三日坊主になってしまう。そこで、日々の瞑想への動機付けになるかもしれないと思い、瞑想体験や心の流れなどを日記に書いてみることにしました。これで瞑想三日坊主に終止符が打てるか?!駄目だろうなきっと。

短い時間ながらほぼ毎日瞑想している。


でもいつもながら、瞬間にサティが入っていない。

やっぱり、短時間の瞑想を続けても集中力が高まるわけでもなし、

きちんとしたサティが出来るわけないか。

と思ってしまう。


やはり最低でも数週間、できれば数ヶ月から数年間、ミャンマーなどの瞑想センターなどに籠もって

しっかり瞑想しないと、瞬間にサティが入るようなことは少ないのだ

とも思ってしまう。


日常生活で毎日瞑想してる意味ってなんだろうと思う。


(1)サティの習慣を忘れないように、癖をつけるために続ける意味がある。

(2)それがサティもどきであっても、サティしてるときは妄想してない、または妄想が少ないわけだし、

   漫然と妄想生活してるよりは、心の汚れを防いでいるというメリットはある。

(3)集中する瞬間は、合宿瞑想中など長期瞑想中だけとは限らない。

   よって、日々の短時間瞑想でもサティが入る可能性はある。


(4)少なくとも、何も瞑想しないよりはマシ。


ということだろうか。


特に(3)は要注意。

わたしがはじめてサティとはこういうものかと実感したのは、11月26日にも書いたとおり、

自宅での座禅瞑想中だった。

集中は一瞬にしてやってくるということでもある。


以前にも書いたように、いろいろと体感異常を感じてるときも、ある種、集中している状態でもあるわけだし。


長期間の瞑想にはかなわないかも知れないけど、

でも、日々の短時間瞑想も、サティの習慣を持続する意味以上に、

あなどれない部分があることも確かだと思う。