認知症の妻とウォーキングする高齢者の夫 | さなじゅんオフィス

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小説「売春婦を愛した男」や「運は学歴に勝る」他


老夫婦がテキトーなそぞろ歩きをしている

ウォーキングと言うより

相手を叱りながらあっち行ったりこっち行ったりしながら高齢者の夫はやる気がない


不思議な老夫婦だと思っていたのだが

妻の方はどうも「認知症」みたいだ

夫は「最早、愛情は使い果たした」態度でベンチの椅子に仰向けに寝て雨☔を眺めている


妻は杖を片手にコンクリートの隅々を虫でも叩くように同じ仕草を繰り返し許容範囲を彷徨っている 


私の母を兄が面倒を見限った後、私が母を受け入れたのだが「認知症の苦しさ」は誰より良く分かるのだ


自分の母に向かって「お母さんがいない時はずっと幸せだったのに何で家庭を壊すのか」と怒鳴り付けては毎回、反省したモノだ


何故、こんな病気になるのだろうかと天に向かって涙した

不思議に自分の息子にだけは汚い言葉は発しなかったのだが周囲には迷惑を掛けた


病院通院日には倒れ掛けながら歩く母を助ける気持ちにもならず

周りの待合室の患者たちには「何て酷い息子だ!」と思われたのだと思う


認知症は「他人と話す機会がなくなり心が一人ぼっち」になった結果のように思う

父親が早く亡くなった影響だと思うのだが

「夫の死に怖いと毎日呟いていた」から

愛情を疑ったモノだ


一部は賢く覚えていて

新しい事は翌日忘れてしまうから

「認知症は怖い」


前述の老夫婦が気の毒に思いながら

私はマイペースでウォーキングしていたが

「諦めに近い将来の楽しみを失くした夫の心中」が痛い程分かる


夫婦の責任感と言うべきか

腐れ縁は背負いながら生きる人生だったのか分からないが何とも言いようが無い


もっと語り合う夫婦生活が必要だったのかも知れないし、私のようにお笑い顔負けのユーモアが必要だったのかは誰も分からない


今さら姥捨山に連れていくような薄情は出来ないが認知症や鬱病は「愛情が特効薬」のような気がしている


この老夫婦も今さらなのだが

「健康管理」の為にこうして出掛けて来たのだろうが夫は心が折れている

後は愛情の問題だ


認知症は学校の先生や議員に多いと言う

確かに私の母はバリバリの「学校の先生一筋」だった人生だった

寄り添う力関係の将来を分析するには

やはり「お互いの愛の力」なくしてこの病気は語れない