どうでもいい事での群集心理のコントロール | さなじゅんオフィス

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宇宙人物語・じいじとばあば・恋愛・時事評論のブログ


大谷翔平が飼っている犬がどうだとか、藤井聡太が何を食ったとか

国のトップの外訪服装がどうだとか

ポリシーのない人間が何事も真似をする

真似はブームを巻き起こし「経済効果」をもたらす

有名人の仕草の一挙手一投足に「憧れる層」が群れる

私に取って見れば「どうでもいい話し」なのだが、まるで新興宗教のようだ

それは力となって「流行を生む」から、カネの循環になって行く
ひょんな事で「食べ物屋」が儲かり
その服が「流行になる」のだ

自分ファーストでありながら「他人に流される」ミーハー的国民が執拗に騒いでくれる
重ねてメディアが一斉に煽って、ブームに拍車を掛けてくれる

地名人や有名人や象徴になる人間の経済への相乗効果は大きいと言える

後になって我に返ると、うまく踊らされた自分が情けないと思っても「枯れ木も山の賑わい」要員になっている


同じ人間でも結局、「格差」が有るのだ

自分の顔やスタイルに

あるいは専門的芸術に遠く及ばないと自分を過小評価して生きている「他人憧れ主義者」たちだ


私は、芸能人と思えば「きゃあきゃあ」言って「もう死んでもいい」と言う人の気が知れない

拝金主義でなく拝スター主義者たち


人間の構図が節分の豆まきと似て、高い場所から「投げる人」と

競い合って「拾う人」の人間の差って何だ!


裏を返せば、豆まきする側は得意げに「カネが稼げる身分が存在しているかのよう」になっていて、階級制度の再現のように映る


対等で有るべき権利が、崇めてペンライトを振り「あの人は別格」だと叫ぶ
「魅了される芸術」にカネを払うのに喜びを感じて、感謝感動するのだと「自己否定」して「尊敬」と叫ぶ

私は芸能人から「一般人と結婚」すると得意げに言われれば、「一般人と特別人」がいるのかとさえ思ってしまう


まるで「魔法か催眠術」に掛かっている下層平民のようだ

人間は皆、平等と言うのなら
「コレはこれアレはあれ」で有ろう

私は別に「顔かたちや年収や知名度」が負けたからって、別のモノで「勝ってる」から、何とも思わない

ステージの上に立ち、音響で醸し出す圧倒的誘惑の仕掛けなら「誰でもスター」になれる


敢えて言うなら、ちょっと背が高くて歌やダンスが上手いだけの話し

見渡せば「美人はあちこちにいる」し、行き交うそこら辺の子供を「子役で商品化」する事など容易だ

私はビジネスとして物事を捉える事が出来るから、スポンサー側の思惑など見破れるし、田舎にいる「学歴のないイケメン風」をスターにする事など簡単に出来る


我が子や親戚の子や

あるいは「愛人」を華やかなスポットライトに誕生させ、スターに変える事も出来る


良く考えれば分かるのだが、往々にして「もっと美人やイケメンはいなかったのかと嘆く」ようなテレビコマーシャルが多い


それは、取りも直さず「芸能人発掘のプロの目」の欠如であり、

センスの無い奴が、業界を占拠して権力を振るっているからに他ならない


テイラー・アリソン・スウィフトでなく、

マリリン・モンローが王道なり


歌舞伎役者やお笑い芸人が俳優と肩を並べてドラマに共演しているのも違和感が有る

そうは言っても世の中のカネ儲けは「多数決」だ
誰を使おうが、顔と歌唱力のギャップが有ろうが、国民が味方になる「芸術の世界観」は、今や崩れない

これこそ「民主主義下」の平等だと「私の王道は却下」される羽目になる

マリリン・モンローでなく、渡辺直美が国民の心を掴む現代観には逆らえないのだ

ネットが世界を仕切り、国民なんていとも簡単に操る事が出来るフォロワー時代に

私の斬新な正論が入り込む余地など、確かに何処にもない