16年お世話になったホールが閉店する件 | ハヤログ

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今から遡る事16年前

埼玉県 大宮駅東口でパチスロに熱中していた大学生は、友達からこう聞いた。

「西口にやばいラインナップなお店がある、見に行ってみな」

早速その足で見に行ったお店の名前は「どんじゃら」

中に入ると初めに迎えてくれたのは1島まるまるの南国姉妹

その奥にはサンダーVスペシャルが並んでいた、5号機初期の暗黒時代筆頭な機種達が島ではまっていたのである。色々なことを察してその日はそのまま退店した。



そこから月日が経ったある日、友達にイベントへ行こうと誘われた。どこのお店か聞くと、何と「どんじゃら」だと言うのだ。

おいおい冗談だろ?と言うと、何やら機種が大分変り設定も使っているらしいとの事だった。

当時は大宮東口にあった楽園、ユーコーラッキーの設定状況が良くそこへ入り浸っていたのだが噂が広まりイベント時の抽選人数が増えすぎてしまい立ち回りづらくなっている時だった。

動きやすく設定が期待できるならと思い抽選時間を聞くと、何と並び順だった。

当時抽選のお店にしか行った事が無かったのでびっくりしたのを覚えている、入口がある地下フロアに併設する交換所で使い終わった景品入れを椅子代わりにして座りながら並んでいた。

 

(当時埼玉はボールペンで交換しており、5,000枚とか出すと束のボールペンを入れるプラスチックの箱とかがあった)

当時行きだしたイベントは「桜木萌子の憂鬱」という萌スロ対象のイベント

(涼宮ハルヒの憂鬱のパクリですね、分かります)

 

 

左:最初期の萌子

右:最近の萌子

 

こう見ると進化が凄いですね。



入店時にお店の来店ポイントを貯める機械に会員カードをかざすと、ポイント付与の画面に機種が表示されていた。その台が当たり・・ではなく、その両隣どちらかが当たりというものだった。表示される機種は2機種で、その両隣の4台が対象となるイベント

正直これ、今思えば得する人が極めて限られるものではあったなと。ただそれくらい並び人数は少ないお店だったので、僕らはそれに並び対象機種を判別して勝った負けたなどをやっていた。

そこから桜木萌子の〇〇としてイベントが変わる様になり、その時によって入れ方が変わっていった。札系イベントの時もあれば設定1,2が封印されるイベントなどもあった。当時2段階設定のサクラ大戦などは6確定、格闘美神ウーロンなどは6orFが確定などしていた。
 



その頃にはすっかり、どんじゃら萌の店

という認知が広まっており、朝の並びも5人→30人ほどまですぐさま増えていった記憶がある。

それ以外にも平日の金曜日がノーマルタイプのエヴァが対象なイベントの時は必ず1台6があり、専業などに混ざりながら判別して打っていた。気づけば東口で打つ回数よりも西口で打つ回数が多くなっていった時代もあった。

 

そこまで台数が多くはないお店でも入れ方や煽りの工夫で、こんなにもお客さんを集められるのだなと思っていた。

 

今思えば僕の仕掛けるスタイルの根底はここにあるのかもしれない。


そこから少し時は流れ、僕がパチンコ業界へと転職をした。

そのほぼ同タイミングで大宮どんじゃらがグランドリニューアルとして、島配置や設備、内装などの大改装を行っていた。その際に当時主任だった方に挨拶をし、「僕もこの業界に入りました!何かうちの会社とやりませんか?」ダメ元で言ってみると、すんなりOKを貰えた。学生時代に通ったお店が人生初のクライアントとなったのである。

遊技しに行っていた頃から認知はされていたみたいで、常連さんとして覚えられパチンコ・スロットが好きな人という事が信頼を勝ち取りすぐに繋がった要因だと思われる。


そこからは月日が経つのがすこぶる早かった

あっという間の12年間

僕の方もコンサルタントへの道を進めていく中で、本格的にお店へのアドバイザーとなったのは約3年前。お店の数字をあげていくために色々な事を試行し実施。もちろん言えないことは多いが、ようやく2023年の夏に新体制となり風通しも良くアクティブに動けるようになった。

コロナ明けから落ちていた数字なども凄い勢いで回復させ、業績は右肩上がりとなった。これもそれらのアクションンに反応し来店し遊技してくれたお客様のお陰です、本当にありがとうございました。


ただ、そんな中でも終わりは突然やってきました。



僕が知らされたのは昨年の11月、正直・・色々な感情が混ざりすぎてどうしていいのか分からなかった。

ここからかかる莫大な設備費、入れ替えなければいけない機械代などを考えれば中小店舗として圧縮するのはセオリーになりつつある今の時代。それももちろん分かる、納得しなければいけない事ではある。


だけど、これからだったじゃないか。。という思いが強く、凄く悔しいし勿体ないと嘆きました。

世代交代した店長、スロット担当の方は本当に行動が早く提案も飲んでくれたため仕事がやりやすかったです。その中でも逆に提案もしてくれるのでそれを揉んで良い方向へと導いていく過程が仕事をしているうえで非常に楽しく、やりがいがありました。

でもそれも終わります。

この文章を書いている今でも過去に戻ってどうにか出来なかったのかなと思ってしまいます。僕のコンサルタントとしての能力不足な面が多くあり、例えを挙げると人事体制に問題があったとして店舗より上の上層部へかけあって見直させることもコンサルタントの仕事なはずなのに足りていなかった、半人前である僕の責任でもあります。


16年関わってきたお店が無くなるという事は本当しんどいものですね、思い入れが強かっただけに。


以前にも似たような事を書きましたが、本当に今の時代中小店舗が生き残るのが大変な時代となっています。買いたいものも買えない、買うのに無駄なオマケがたくさんついてくる、大手と同じ買い方を要求される、設備費がぼったくられるなどくだらない事だらけです。

そんな中でも営業し、来てくれるお客様、中小店を選んで来てくれるお客様に喜んで貰える様な店作りを今生きている店舗は努力されている所も少なくはないと思います。

皆様どうか、自分が少しでも気にしている中小店舗などがありましたら、顔出しにや打ちに行ってあげてください。

手遅れになるまえに



最後に、僕はどんじゃらで色々なものを学ばせて貰いました。芯を通した企画であればお客様も中小店だろうと挑戦しに来てくれるという事を証明できる瞬間も多くあったかなと思います。

16年間、本当にお世話になりました。

ありがとう、どんじゃら