事故から10年 | ピンクコーラ

事故から10年

なんて言うんでしょうね 悔しさのような胸が苦しい気持ち



1999年5月9日の母の日、私は首都高で事故に合いました。


私は助手席。運転手の自爆によりトンネルの中で壁に激突〔消火器置いてあるようなへっこんでる所〕

しかも左側。


助手席にエアバックなし。運転席には」あったので 運転手は骨折4箇所のみ




早朝の4:20だか5:20 脳挫傷と脳内出血を負って日大駿河台に運ばれたそうです。



脳低温療法 っていうのかな あれやって脳も開けずに元気に生きてます。


生きていることにビックリされたらしいよ



なんで生きてるかって??体力があったからなんだって


前の年の98年に個人競技のインターハイ選手だったからね私。


意識がない中でも酸素の管引っこ抜いたり〔喉に気管切開をして管を入れていた〕尿管引っこ抜いたり



傷ついて膀胱炎になったり




でもね後遺症はやっぱり辛い。


理解なんてされないでしょ。目に見えない後遺症。


手がない 足がない それは目に見えるけど 脳の異常って目に見えない



よっぽどおかしければわかるけど、見た目は普通だしたまにおかしなことやるとね 駄目みたい


苦しかったこの10年。




一生完治しないんだろう。


脳に損傷負った人は性格が変わってしまう


意識の中では昔の自分をね覚えているんだけど、昔できたことが出来ない。

それが年齢による能力低下ではなく、性格の変化により


例えば忍耐力がなくなったことにより、耐えることを必要とするものは出来なくなった。


その一つが医学部中退だろうか・・



元々法学部のもろ文系。物理とかやったことないし(´っェ・。`)



全然駄目だったなぁ。せっかく入学したのに



チャンスはいっぱいあるのにそれを生かせなくなってしまった。


昔は普通の人以上に忍耐力あったし好きだったから・・ それが一番辛いです。



記憶力などの記銘もそうだけどね・・





ながくなるんでこの話しもまた今度。



ランキングにアクセスいっぱいくれたら話します(*∞>∀0艸)∮+’*。





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