こんにちは。。。今は夏真っ盛り。毎日暑いですが、体調に注意して毎日過ごしていきましょう。

 

 さて、世間では学生は夏休み、一般の人はもうすぐお盆休みですね。そういう時期はうちのクリニックでも、普段できない手術の予約が入ってきます。

 

 特に、逆さまつげは学生の方が、また眼瞼下垂の手術は腫れる期間が若干長いため、こういう機会に手術される方が多く、今年はさらに多くの方が希望されて来院されています。

 

 まだ夏休み中で若干手術の枠が空いているため、もし手術したいと考えているのなら、早めに受診をお願いします。

 

 さて、当院は先週の7/25~8/1まで夏休みを頂いていました。

 

 今年は円安だなんだといわれていたので、どうしようかと思いましたが、うちの奥さんが一生のうちに絶対に行っておきたいといっていたグランドキャニオンに行くことにしました。

 

 成田からバンクーバー経由でラスベガスに行き、ラスベガスでホテルを取りながら、1泊2日で車でグランドキャニオンに向かいました。

 

 ラスベガスからグランドキャニオンまでは車で6時間くらいかかるため、出発は早く、ずっと車に乗っている感じでした。(今回は現地のガイドさんの車で行ったため、実際は乗っているだけでしたが…。)アメリカの高速は無料でひたすら走るだけなので、単調で眠くなります。ガイドさんが寝ないように話しかけながら15時ごろにその日に泊まるホテルにつきました。

 

 少し休憩して、16時ごろから現地まで出発。30分くらいで到着しました。つくまではあまり景色が見えなかったのですが、現地について駐車場から少し歩くと広大な景色が見えてきました。

 

 

 

 

この景色を見ると、普段のちっぽけな悩みなんて吹っ飛びました。広大すぎて地球を感じました。写真では広大さが全く感じ取れませんが、現地に行くと何とも表現しがたい感情になります。みんなが来たくなる理由がわかりました。

 

 

 

 最後にサンセットまで見ることができ最高な気分で帰ってきました。(でもサンセットを待っている時にすぐ近くに雨雲があり、雷が鳴っていてとても怖かったです。感電しなくてよかった…。)

 

 最終日にラスベガスを散策しました。みんなに「ベガスと言ったら、ギャンブルでしょ。」って言われて少しスロットをやってみましたが、もともとギャンブルが嫌いで博才はないので、すぐに数ドル負けておもろくもないと思ってギャンブルは早々に切り上げました。

 

 

 

 ラスベガスは世界中からギャンブラーが集まるだけあって、さすがに欲望が渦巻くとこうもギラギラした感じになるのかというくらい活気がひしひしと伝わってきて、日本もこういう活気を感じて、少しは危機感を持たないといけないのではないかと思いました。頑張れ日本。。。

 

 それではまたね。。。

 

 

 

 

 

 

 こんにちは。。。約1か月空いてしまいましたね。その間に季節はすっかり真夏になり、今年は静岡市が全国一の暑さとなっています。異常ですね。体調を崩しやすい日々が続きましたが、頑張って乗り超えましょう。

 

 さて、ボトックスと聞くと、眉間や額、目じりのしわを取るというような感じで覚えていると思いますが、

 

本来の目的は「筋肉を動きにくくする。」です。

 

 ということは、いろんな方向に動かすためにある筋肉を調整することができます。

 

 例えば、もともと歯茎が見えてしまうような方は、その周辺の筋肉の動きを止めることによって、歯茎を見えにくくしたり、口がへの字になって怖い印象に見られがちな方は、その筋肉を止めることにより、口角が上がって明るい印象にできたりと様々な使い方ができます。

 

 ですから、しわ以外でお悩みな方でも顔の印象を変えたいと思っている方は、一度当院に来ていただき、どういうことができるか聞いていただきたいと思います。

 

 美容は完全予約制です。興味がある方は054-260-7568まで。

 

 さて、当院は7/25~8/1まで夏季休暇になります。その話はまた後日書きたいと思います。書道家の息子の話ももう少しお待ちください。それではまたね。。。

 

 

 こんにちは。。。梅雨に入りましたが、あるあるで梅雨に入ると雨が降らない…。笑。しかし気温は今日も静岡は35度近くまで上昇し、着々となつが近づいてきています。夏バテしないように頑張っていきましょう。

 

 当院は、静岡市でも皮膚腫瘍の手術を結構しているところだと思うのですが、手術をしたあとに、結構な確率で言われること。それは

 

「こんな簡単に取れるなら早くやっておけばよかった。」という言葉。

 

 皆さん手術と聞くとすごく大事(おおごと)と思われますが、手術もピンキリ。

 

 ほくろや粉瘤などの皮膚腫瘍は決して自然に良くなることはなく、むしろ大きくなります。

 

 よく「大きくなったら取る。」や「これくらいなら放っておいていい?」という方がいらっしゃいますが、大きくなってから手術すると傷跡も大きくなり、麻酔で注射する回数も増えるので、手術される側にいいことは一つもありません。

 

 ですから、気になる皮膚腫瘍があるときはまず形成外科と書いてあるクリニックに受診することをお勧めします。皮膚科では必ずしも手術はしません。

 

 また、手術に季節は関係ありません。夏でも汗をかいても治りが悪くなることはないし、シャワーは原則毎日浴びることが可能です。

 

 ですから夏でも小さいうちに手術をすることをお勧めします。

 

 さて書道家の息子が医師になるまで…第2弾です。

 

 小学校4年生になって、軟式野球に目覚めて野球ばかりしていると、運動神経もよくなり、当時昼休みにやっていたドッジボールはいつも目立っていました。

 

 小学生はドッジボールがうまい人がモテるので、その年のバレンタインデーは15個いただき、クラスでトップ(自慢です。)でした。当時のK山先生にも終わりの時間に言われて、かなり天狗になったのを覚えています。

 

 一方勉強の成績は体育と図工は5段階で5。音楽が4。それ以外は全く勉強をしていなかったので国語、算数、理科、社会はオール3で全く優秀ではなかったです。

 

 5年生になると、頑張っていた軟式野球に成果が出てきて、たまに6年生に交じってファーストなどで試合に出れるようになってきました。(当時5年生で試合に出ていたのは僕だけだった気がします。)

 

 そのチームには6年生にA野さんがいて、野球が抜群にうまく、5年生から完全レギュラーでみんなのあこがれの的でした。(A野さんはのちに静岡高校でも野球部のキャプテンになり、現在は静岡県内の某ノンプロの野球部監督をしています。)

 

 たまに5年生同士の試合も組まれ、その時はキャプテンでピッチャーで4番というA野さんほどではなかったですが、エースになっていました。

 

 しかし、そうすべてがうまくいっている期間は続きませんでした。

 

 5年生の途中からO田君が入団してきました。O田君は僕よりも背が高く(それまでは僕が5年生の中では一番背が高かった。)、球も速くピッチャー向きで、バッティングもよい、まさにエースでした。

 

 6年になると当然O田君がピッチャーで4番。それに当時の少年野球団のキャプテンは、父親が試合や練習の時に必ず来ていろんな世話をしてくれる人が選ばれるのが暗黙の了解で、うちの父親は書道教室をしているので、土曜日や日曜日に野球団の手伝いをすることができないため、キャプテンにもなれなくなってしまいました。(キャプテンはショートを守っていたT永君になりました。)

 

 1年でキャプテン、ピッチャー、4番のすべてを奪われ、当時は父親の仕事のことなどわからず、父親に「お父さんのせいでキャプテンもピッチャーも4番もなれなくなった。」と泣いて困らせたことをよく覚えています。

 

 それでも野球が好きだったので、腐らず野球の練習はまじめにやり、サードで3番か5番。たまにO田君が調子が悪いと4番やピッチャーをやらせてもらうこともありました。

 

 だから小学校時代は将来はプロ野球選手になることしか考えてませんでした。

 

 今日はこの辺で…。それではまたね。。。