こんにちは。。。6月に入り、雨が降って暑くて、少し過ごしにくい日々が続いていきますが、頑張っていきましょう。

 

 6月に入り、夏になってくると、そろそろ長い休みにいろいろやりたいことが出てくると思います。

 

 当院も夏休みは二重の手術や眼瞼下垂の手術、シミの相談、美肌の相談など、普段はダウンタイム(人に見られるのが嫌な期間)が必要な施術が増えてきます。

 

 たまに「夏は汗をかくから、手術やシミ取りは冬の方がいいですか。」

 

という質問を受けますが、夏に傷の治りが悪くなることも、シムの取れ方が変わることもありませんし、シャワーなどは大概の手術は当日から浴びれるため、そういうことで手術を冬にする必要は全くないです。

 

 ですから、ほくろがとりたいとか二重にしたいとかがあれば、夏休みを利用して施術を受けてください。

 

 当院はそろそろ予約が入ってきています。直前に来て予約が取れないとか、当日やってくれないの…といわれても、対応できないことがありますから、早めに受診してください。

 

 さて、ここからは何回かに分けて、僕が学生時代にどう過ごしてきたかなどを思いのままに書いていこうと思います。題して

 

「書道家の息子が医師になるまで。」

 

 私は1971年4月25日に静岡市の安倍川にほとりで、父は2代目の書道家(習字の先生)、母は専業主婦、6歳年上の兄、(次男は1歳で心臓病でなくなり)、2歳年上の姉、父方の母親(おばあちゃん)と暮らす裕福でもないごくごく普通の家庭に生まれました。

 

 末っ子ということもあって、当時はとても甘えん坊だったそうです。

 

 2歳くらいからとても目立ちたがり屋で、みんなの前で踊ったりするのが好きな子だったそうです。

 

 幼稚園に入ると、結構威張っていて、近所の同級生のひでちゃんを引き連れ、いつも番長風をふかしていました。けんかもしょっちゅうしていて、いつも先生に怒られていました。

 

 小学校に入ると、うちが書道家のため、週末は書道を生徒さんと一緒に習わされるのですが、私の性格上、じっと座って何かをするということがとても苦手だったので、それから逃れるため、スポーツに目覚めました。

 

 当時は町内対抗で男子はソフトボール、女子はキックベースが行われていて、春から夏にかけて安倍川の河川敷で試合が行われていました。

 

 その練習や試合に行くと書道をしなくていいため、ソフトボールに行くのがとても楽しかったのを覚えています。

 

 4年生の時に、「3丁目の水野は野球がうまい。」という評判がほかの町内でもちょっと広がり、田町にはソフトボールとは別に、軟式野球チームがあったのですが、その先輩から「軟式野球に入らないか。」という誘いがあり、野球に熱中する日々が始まりました。

 

 今日はこの辺まで。。。それではまたね。