す昨日2/29に閉館した新所沢パルコのこと
個人的思い出なのでご興味のある方のみどうぞ
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毎日の仕事帰り、
アーチ状の入口が口を開けて
いつも中を通って、家路に向った。
下から見上げると凹凸が分かる凝った作りのロゴ
かつてあった西武王国の一翼
堤清二氏により創設されたパルコ
氏は辻井喬の名で詩集や小説も執筆しており、
芸術全般への造詣も深かった。
リヒテルと武満徹がアドバイザーとなり
建設された八ヶ岳高原音楽堂も手掛けた。
その影響か、ポスターも芸術の香り高く
斬新で凝ったものが多かった。
フィナーレの催しのひとつ
モリタクのミニミュージアムB級のお宝たち
池袋パルコ40周年記念の2009年のCANペーン
4000円以上の買い物でもらえるコインを店内の自販機に入れて非売品のデザイン缶が
崎陽軒の醤油入れや非売品の貯金箱
そして、グリコのおもちゃ
「財務真理教」の著者でもあるモリタクさん
日本の未来のためにも
ステージ4のがんが寛解しますように❣️
パルコ館地下の食品売り場
カルディでは、パエリアの元や
好物のリースリング種のドイツワイン
イタリア産の変わったパスタなどを購入した。
いつもはエコバックだが、
最後なので紙袋をつけてもらった。
フレッシュダイドーでは、いちごやトマト
葉物野菜が新鮮で、なめこも
近隣スーパーよりリーズナブルだった。
奥の魚耕では味付の鱈や鮭のほか、
ホヤや小ぶりのカニが時に驚くほど安くて
急遽、夕食のメニューを変更したっけ。
国産の良質なお肉はこちら!
お祝いごとのある時はローストビーフを求めた。
閉店前、別店舗に運ぶための箱
なんだか切ない
お菓子のまちおかは、仕事帰りの通り道。
美味しいぬれせんが10枚178円の時は
まとめ買いして職場の皆にも配った。
最終日はもうほとんどものがなくなっていた。
コクミン薬局さんは、消毒剤不足のおり、
イソプロピルアルコール入りのものを
結構おいてくれていた。
ワゴンセールでDHCクレンジングオイルの
キャラものを見つけたこともあったなぁ。
母の日のプレゼントの定番は
ここ井戸端園の狭山茶だった。
パルコ店でしか使えないポイントカードがあり、
せっかくなのであと6千円分買うかなと
思っていたところスタンプひとつにつき
50円割り引いてくれるというので、
いつもより高級なお茶を購入した。
何年か前にお正月の福袋販売で
1万円のギターを夫が買ったが、
ホコリをかぶっている。
壁に思い思いの落書き
音楽教室も併設されていた。
街から文化の香りが失われていく~
きくやさんは新婚のころに
食器を買いにいったり
息子のお弁当箱を買ったり、
最後にお湯呑を2つ求めた。
帰りが遅くなったとき、
夕食を作るのがめんど〜なとき
一口ヒレカツと三元豚のロースカツに
千切りキャベツをつけて買って帰った。
デルフィーノさんで話し込んで、
話が終わらない時の2次会はココ!
ファミリー席で終わらない話に
花を咲かせたこともあったなぁ
4階、百均のキャンドゥ
最後の日に行ってみたら
7割引になっていたが
ほとんど売り切れていた。
かろうじて残っていた東京リベンジャーズと
柴犬の付箋を買ってみた。
4階にはかつてポストホビーがあって
模型好きの夫はお得意さまだった。
お正月の福袋はとても豪勢だった。
スタバ脇、エレベーター前の大きな壁画
スタバには
ほとんど行かなかったけれど、いつも
学生さんたちが参考書広げて勉強していた。
ふとんの西川には今をときめく
オオタニサンのパネル
パルコ館とレッツ館を繋ぐ渡り廊下には
思い出を書くためのペンと付箋がおかれ、
みな、思い思いのパルコ愛を記していた。
リブロからパルコブックセンターへ変わり
もう数年前に出版された
みゆきさんの詩集を、詩歌・古典コーナーに
ずっとこんなふうにおいてくれていた。
ガレリア通りの壁
ずっと葉っぱと思っていたが、
よく見ると不思議な形だっことに最終日に気づく。
ここは私の通勤路
思い出はさよならしたくなくて
ガレリアでは、
さよならフェスが開催された。
2階も人で溢れていた。
最後も駆けつけてくれた。
去年の梅雨時にはアンブレラ通りとなった。
大阪からみゆき縛りカラオケに来てくれた友と
ここで写真をとったっけ。
クリスマスには大きなツリーも飾られた。
アンデルセンでは、
久々に会った友だちとお茶したなぁ
新所沢に引っ越して来たのは四半世紀前
それから、ずっと一緒に月日を重ねた。
絵を描き始めたとき、世界堂さんで
イタリア製の画帳を買ってペンを走らせた。
2020年に北陸に家族旅行したときは
パルコのJTBさんにお世話なった。
コロナ騒ぎで、観光業は青息吐息となり
2年前マスク売り場に変わって
ちょっと嫌な予感がしていた。
美容院があったり、
ミスドがあったり、
ラルフローレンがあったり、
腕時計屋があったり、
franc francがあったり、
タピオカ屋があったり、
仏壇屋があったり、
ファンシーな文具店があったり、
ユニクロがあったり、
スポーツジムやカルチャーセンター
時流につれて店舗は変わったが
パルコはきっといつまでも
残ってくれるものと思っていた。
弥生朔の朝、
私の通勤路は閉鎖された。
もう、2度とここは通れないのだ。
店舗それぞれに思い出がある。
だから、長年慣れ親しんだ街が
丸ごとひとつ
消えてしまったかのように感じてしまう。
喪失感がこれほど大きいとは思わなかった。
だからだろうか。しんとこパルコは
コロナ騒ぎなどなかった
どこかのパラレルワールドで、きっと
生き続けているような気がしてしまう。