PC前に座るヒマもなく時はながれて
綴りたいことがまた一つづつ(頭から)消えてゆく😅
 
といことで、うろ覚えネタバレ投稿
本日は移動中に不慣れなスマホからでございます。
 
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「花の色は移りにけりないたづらに
わが身世にふるながめせしまに」
 
ひときわ長いテロップが
舞台上の電光掲示板を横切る。
 
上田秋成の雨月物語を
モチーフにした夜会
 
虫の音が秋の到来を告げる。
 
おかめのお面を首に提げ、
出店で買った綿菓子を片手に
祭半纏の女がやけに陽気に現れ、
 
2客のティーカップの置かれた
丸テーブルに座り
楽しそうに会話をはじめる。
 
しかし、
その視線の先に人は、 いない。
 
楽しい祭のいでたちで
中村中が歌ったのは、

「舟を出すのなら九月」
 
人を捨てるなら九月
          舟を出すのなら九月
 
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歌い出しのメロディは
「小さな木の実」にとてもよく似ている。
物悲しい旋律、哀しい歌である。
 
なぜ9月に人を捨てるのか?
 
和歌などではよく同じ音に別の意味を掛ける。
モチーフとなった上田秋成 雨月物語 浅茅が宿でも、
宮木の夫、勝四郎は秋には戻ると言ったきり、
もどってはこなかった。
 
そう、秋には「飽き」が掛けられ、
つまりもう戻らないことが暗示されている。※
 
故に、秋(飽き)のはじまりの9月は
人を捨てる月なのかもしれない。
 
タイトルの花の色は移りにけりな…は、
古今和歌集に納められている。みゆきさんの
最新アルバムのタイトル「相聞」は、
万葉集の相聞歌からきている。更に、
上田秋成には国学者という一面もある。※
 
みゆきさんを知れば知るほど、
万葉集や古今和歌集など日本の古典に
相当造形が深いのではないかと感じている。
 
この祭の場面は、本編DVDでは
色とりどりのおびただしい祭花や風車が
風に揺れ、また回る。
しかし、そこに愛する人はいない。
 
華やかな祭の様相を
眼前に見せられてしまっているから
愛する人がそこにいない喪失感が際立つ。
 
さながら新古今集 藤原定家の
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮
のようだ。
 
華やかな花と紅葉が
脳裏に浮かんでしまっているのに、
それが〝ない〟という落差に、
よりいっそうの喪失感をおぼえてしまう。
 
挽歌のごとく、亡き人を悼んでいる。
 
自称ファザコン引きこもりの
みゆきさんを陰に日向に
理解して導いてくれたお父様か倒れたのは
1975年9月16日であった。
そして、その日以降、もう二度と父と
ことばを交わすことはなかった。
 
そしてその9日後の9月25日
みゆきさんはアザミ嬢のララバイでデビュー
ひとり大海へと、舟を出した。
 
どちらも9月の出来事
 
 
 
つづく
かもしれない。
 
※引用情報 
放送大学「上田秋成の文学」講師長島弘明
 

〈編集後記〉

すみません。

不慣れなスマホからの投稿なので、

ここまでとさせていただきます。
 
続きを書くかわかりませんので、
とりあえず会場で撮影した
ポスターだけつけておきますね😅
 
手抜きネタバレですみませ〜ん🙏
 
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