3.11が近くなると、当時被災した場所へ行くことにしています。
11日は朝から忙しく時間がないので、前倒しで行ってきました。
これより先は少し刺激のある写真かもしれませんのでご注意下さい。
夜明け前で暗いと、さすがに怖い^^;
創設者(理事長、今もバリバリ現役)のご意向で、
震災遺構として当時のままで残しておくようです。
思い出したくない、何とかしてくれという意見もあるかもしれませんが、
私は残してくれる事に賛同します。
被災した私ですら、記憶の風化、危機感の低下はあるからです。
いつか息子を連れてきて、ここであったことを伝えたいです。
が、刺激も強すぎるので、いつの事になるやら^^;
生存者が推測する津波から逃げきれなかった理由。 複数回答。 最も多かったのは「避難経路に渋滞やがけ崩れなど障害があった」という回答で、亡くなった方全体の18%にのぼりました。 自由記述していただいた中にも「渋滞で身動きが取れず車ごと流された」という回答がいくつか見られました。
実際に私も数100m先の中学校まで
お客さんを乗せて車で避難しようとしましたが、
当路は渋滞で殆ど動かず。
その間に轟音が聞こえ、見ると家々が横一列に崩れていきました。
その前にラジオで「7mの津波が来る」と聞いていても、
全く現実味が湧かず、信じられませんでした。
明日せっかく休みなのに定時で帰れない、とマジで思っていました。
ご自身の生活圏域(仕事、家庭等)の、避難場所や経路だけでも
把握しておくのがよろしいかと思います。
また、電気もガスも使えない中での食事をどうするか。
1、2日ならまだしも、それが数日以上に及んだ時。
避難先から50時間後くらいに自宅(実家)に帰った時に、
このタイプのストーブがあったので、
これで暖がとれたし、たまご粥を作っていてくれました。
その旨かったこと旨かったこと。
もっとも両親は私が生きているか死んでいるか分からなかったので
帰宅してびっくりされましたが笑
まぁこの私の職場がこうなっているのを朝に見たらそう思うわ^^;
私は趣味でキャンプごっこをするのですが、
こういうのがあるだけでまともな食事がとれると思います。
お湯も沸かせるし。うちにはいつでもガス缶3本はストックしています。
11日近くになると、夜中に水に溺れて死にそうになる夢を毎年見てしまいます。
(花粉症もあるかと思いますが)
それもあって、ご供養の意味で、今後も通いたいと思います。
線香をあげて合掌させていただくだけですが、
来る度に、濃く生きなきゃと思います。