観音峰 | 森中あゆみの「山と薬膳で、ココロとカラダをまるごと養生♩」

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「世界の国の人と自然」を愛するヨメが
「岩と雪と氷」を愛したダンナと
日々のつれづれを発信します。

観音峰に行ってきました。

もちろんこの時期のお楽しみ、紅花山芍薬に会うためです。保護のお陰もあって、ここ

に来れば絶滅危惧種に毎年会えることに感謝です。

 

雨霧の予報で山頂ピストンも想定内でしたが、雲は多いながらも雨にはあわず、洞川

温泉まで快適に縦走できました。下山後は、ステキ空間でチャイを頂いたあと、天女の

花オオヤマレンゲが咲く露天風呂でサッパリしてから帰阪しました。


霊峰に抱かれた修験と名水の里、洞川温泉は一般的な温泉地とは一線を画した、

心地よくもキリっとした空気が流れています。何度でも再訪したい場所です。


今年は開花期が遅れているようで、これまできた中で一番たくさんの花数でした。
バリゴヤの頭をバックに・・・。


弥山、八経方面は今日は雲の中・・・。

展望台。雲多め。とりあえず山頂へ行くことに…。
山頂で雨の気配なく、とりあえず三ツ塚へ行くことに…。
三ツ塚で、雨霧の気配なく、縦走することに~~(笑)


新緑が美しい緩やかな傾斜の尾根です。新旧交代なのか?災害なのか?根っこごと

ひっくり返った樹がありました。

山頂到着。前回来た時にあった、よく存じている山の会が20周年記念に取り付けた

山頂板がなくなっていました。どうしたかな???

三ツ塚にその看板はありました♬ 今年はこの看板設置から10年、つまり会創立30

周年にあたります。そして今秋、ネパールへの記念山行の話が進んでいます。はい、

私、TLで御一緒させていただく予定です!

展望台か山頂で引き返す人が多いため、縦走路に入ると一気に雰囲気が変わります。

大峰らしい尾根を歩いて法力峠を越えて洞川温泉へ。

稲村への縦走路に合流したら、コアジサイの大群生が広がっていました。

母公堂(ははこどう)に無事下山。

その昔の話…。大峰で修業をしている息子、役小角(=役行者)を心配して、葛城の麓
からやってきた小角のお母さん、この先の清浄大橋で蛇に行く手を阻まれます。

何度も突破を試みるお母さんを心配し、役行者は山麓に庵を建ててそこに住まわせ、
入山を辞めさせます、そして、身の回りの世話をするよう、子分の後鬼に頼みます。

そして、再び追っかけてこないよう、結界を敷きます。これが大峰の女人結界の始まり。
女性が不浄だとか来るなとかではなく、ケガのないよう母を思う子の気持ちからなのです。

男尊女卑だとか差別だとか、いろいろ言われる女人禁制ですが、地の人たちが今なお
守り続けている女人禁制の理由は、母を思う子の心を汲み取ってのことではないかなぁ
と思うと、権利の主張より大事なものが見えてきます…。



チャイと葛プリンをいただきました。

よどみのない空間です。店主さんはシンギングボールを使ったヒーリングセラピーを

なさいます。以前から来たかった場所に、今回、訪ねることが出来てよかったです。



観音峰は、母のアルバムに白黒写真が貼ってあって、その時の話を聞いたことを今も

よく覚えている、私にとってはちょっと特別な山。まだまだ人が入ることも少なかった

ようで、特別な山行をしたような、そんな雰囲気の写真でした。


観音峰もそうですが、やはり大峰という土地に、関西の、特に古い岳人は特別な思いを

持つ人が多いのではないでしょうか。近代登山聡明期、時間を見つけては新しいルートを

開拓しに足を運んだクライマーも多かったであろうし、修験道発祥地ということで、もともと

人を寄せ付けないような、厳しい雰囲気も感じる山域です。


前にも書いたのだけれど、母の昔の山行記があるので、転記しておきます。ルートは

違うけれど、その時の、心浮きたちながらも、緊張や自然への畏敬の念や、達成感、

喜びなど、様々な心の変化が見てとれます。母がそうであったように、私も大峰に入る

時は、同じように、様々な心の変化があって、結果的に充実した気持ちになれる、特別な

山域なのです。



神童寺谷班に参加して(1961/12/18の日記より)


大峰に入りたい! 


このささやかな願いは、もう長い間私の胸に蓄積されていた。

にも拘らず例会ある毎にその機会を逸してきただけに、今度の大峰は非常に

期待する山行きであった。

そのためか神童寺谷を申込むに至っては、まるで飢えた狼が手当り次第飛び

つく様に似ていたし、第二室戸台風以来、久方振りの山行きで、歩く行為

自体に渇望していたせいもあり、どのコースよりも日程の長い事に魅力が

あった。


しかして何の懸念もなく、初めての大峰に神童寺谷を選んで揚々と出発した

のであるから知る人から見れば赤面この上ない思いである。


元来、私はのどかな山行きに慣れてきたせいか案外山の苦しさを知らないで

いた。だからあるベテランの“この谷における遺書・・・”と聞いた時には

今日の好条件如何に依らず、もっと謙虚な気持ちで考えねばならなかった

ことを結果から見て痛切に感じたものである。


はたして駆出者にとって、神童寺谷は安易な訳ではなかった。

最初からショッパイ谷歩きが始まったかと思うと、たった一本の指先に全身

の力を懸けて壁へつりを強いられたり、細いつるにそってずり落ちて行く

草付の斜面を、遥か眼下に急流を見下ろしながらトラバースさせられたりした。


またある時は水苔で止ったり、不安定な岩でバランスを失って流れを枕寝

しかけたのも一変や二変の事ではなかった。おまけに悪条件よろしく雨の

お客様までが終始馬鹿丁寧にお共してくれる。気がつけば掌の中に青い

内出血の跡を見て驚いたりもしたものだ。


そうした慎重極まる行動に神経をすりへる思いをしながら体の全機能を

一投足、一投足の移行に集中させていた。その間には全く何の思考も俗念も

伴わぬ、いわば緊張した、時の世界がない充実した遡行意識に支配されて

一日が暮れていったようである。


翌日もやはり雨は小止みなく降り続いていた。

後悔とも反省とも、そして不安ともつかぬ感情が重苦しく交錯し、ともすれば

次の動作が億劫で滅入って行くような気持に襲われた。何処迄行っても自然は

あくまでも凛然として妥協の様子を見せないし、冷えた体は徐々にその疲労

困憊の度合を深めて行くようでもあった。仄暗い谷筋を通してトップの

ヘッツイサンを知らせる声が伝わってきた時、何の躊躇もなく思いきりよく

ズボンを濡らして水流に足を没しその事実に向って息をはずませた喜びも、

そうした次々立ち塞がる悪場の前には自然と影を薄めてしまうのだった。


こうして踏込んだ大峰は、実に悪戦苦闘の一言に尽きる山行きであったが、

それは又、黙々とした自己との戦いに打勝ってきた信頼に基づく経験であり

記録でもあって、今後の自分に何等かの形で大きくプラスされたのでは

ないかと思う。

そして、小屋が見えたあの瞬間、万感こめて押上げてきた感慨が、今も

神童寺谷の苦闘と相まみえ、熱っぽい重圧感でゆっくりと心の底に浮かび

上ってくるのである。


そうした忘れ難い山行きにおいて、例会700回記念登山は、末員ながら

私にとっても貴重な意義ある山行きであったと思う。最後にパーティーの

皆様に心から厚く感謝申し上げます。