干支の山・猪子山と山歩巡礼・観音正寺 | 森中あゆみの「山と薬膳で、ココロとカラダをまるごと養生♩」

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「世界の国の人と自然」を愛するヨメが
「岩と雪と氷」を愛したダンナと
日々のつれづれを発信します。

繖山(きぬがさやま)へ27年ぶりの再訪。

 

若かりし頃の山行は何と薄っぺらいことか…。桜がきれいだったこと程度の記憶しか

ないという情けなさ…。今回歩いた、猪子山から繖山~観音正寺~桑実寺、そして

近江風土記の丘は記憶の数倍も素晴らしいコースだった。


干支の山、猪子山に無事登頂!手がイノシシ笑!
山頂直下には北向岩屋観音がある。周囲に巨岩多し。

こちらは本峰、繖山。

歩きだし早々、迫力の岩船が現れる。突拍子なさ過ぎて、腰を抜かす。。。

参道を地元の参拝者の方と前後しながら登ると、猪子山直下にある北向岩屋観音さんに

到着。本堂には自由に出入り可能で、私たちも中に入らせていただく。奥の壁は巨岩が

そのまま建物と合体していて、磐座に観音さんがまつられている。


次々と在所の方々がお参りに登ってこられ、日参している方もある。時にはお茶を飲んで

お話しをしてから帰ることもあるそうで、皆さんの憩いの場でもある、愛されてる感、満載

の観音さん。

境内からの景色が素晴らしい。東側には伊吹山や霊仙が見えて、手前に新幹線が。

西側は近江平野の中に在来線が走り、西の湖がぽっかり口を開けている。その向こうに

長命寺の山脈が見え、さらには琵琶湖が広がる。日本の水がめの向こうには、湖西の

比良の山々が。蓬莱山や武奈ヶ岳はまだ雪を抱いている。

すぐ先の猪子山で記念写真を撮って、南向きに稜線歩き。

細かいアップダウンを繰り返しながら、繖山へ登ってゆくのだが、途中の雨宮龍神社に
立ち寄ると、見事な飾り龍が出迎えてくれた。

びわ湖バレーのスキー場とロープウェーがある打見山がよく見えた!

安土城址のあった安土山が見えてきた

観音正寺

 

天空の寺院、観音正寺は最寄りのバス停から徒歩40分という、西国観音寺きっての

難所だけあって、何をも寄せ付けないような凛とした空気に包まれている。

 

千体地蔵のように石が積み上げられているが意味はあるのか・・・。お寺のHPには特に
記載はなかった。立派な
仁王像(写真撮らず・・・)だな、多少の違和感を感じたので、
帰宅後調べたら、そうか!山門がなく像が露天で立っているから、不思議な感覚を覚え

たんだと分かった。

白檀?のお香が入口に置かれ、それで手を清めるように書かれている。これも私は
初めての経験だった。そもそも人魚の哀願で建立されたというのが珍しい。ご本尊の

千手観音さんはとても大きく新しい・・・。火災で焼失し、新しく作られたとのこと。


ご朱印をくださった方のお話しでは、このお寺、26年前に焼けてしまったそう。水がない

山中のこと、ご住職はもうもうと上がる炎をただただ見るしかできなかっただろうと・・・。

昔はお寺で火を出したら切腹、というような話があるほど、焼失させるというのは一大事。
当時、京都で暮らしていた息子さんがご住職の身を案じ、慌てて帰省したとのこと・・・。

そんなお話しを聞きながら、ふと、27年前に来たときの写真を思い出した。その一年後

には、もうその時の本堂もご本尊も焼失してしまっていたんだ。。。 その火災では、
人魚のミイラと言われるものも失われた・・・。そんなこともきちんと調べていれば、
焼ける前のその人魚ミイラを見れたかもしれない・・・。何を言っても後の祭りだけれど。

https://nirc.nanzan-u.ac.jp/ja/publications/photo-archive/nc-image/295/



苔むした階段を登って、観音寺城跡に立ち寄り、そこから桑実寺へ。

桑実寺とは、藤原鎌足の長男、定恵和尚が開山されたのだが、和尚が中国より桑の木

を持ち帰り、この地で最初に養蚕技術を広めたことからついた名前だそう。山号の繖山

も絹と関係がありそうな名前だ・・・。

こちらのお寺では内陣に入らせていただくこともできた。薬師如来さんを中心に、十二
神将さんたちが脇固めしておられる。彼らは7000人の家来を率いるので、この堂内には
7000人×12大将で、84000人の軍勢がいるも同然なのだと・・・。そう考えると、ここに
人々がお参りする意味が少し見えてくる・・・。

長い歴史の中で、この地の人たちが紡いできた生活や思いや願いなどに少し触れた
ような気がした。歩くことや山頂だけを目的にする大人数での山歩きでは、なかなか

そこまでの思いに至る時空間は作りづらい・・・。今回は同行者にもお天気にも恵まれた

よい山旅となった。