ちょい感激!
昔、手伝いをしていた財団法人の恒例行事、夏の富士登山で、ずいぶんずいぶんと
お世話になった、富士宮口の元祖七合目山口山荘のオヤジさんとLINEでつながった!
もう20年のごぶさた!!
私の携帯に電話番号が残っていたので、LINEが勝手に友達扱いしてた。私は誰か
わからなくて(オヤジさんの個人名は知らんし!)、ほったらかしにしていた。
先日、知らない人からLINEゲームの誘い。ゲームは何気なくやってると、人に参加
するようにアクセスしてしまう。だから、オヤジさんも私を誘っただけではなく、何気に
ゲームをしてただけ、って感じだろう。
ゲームに参加しろって誰これは?と携帯をチェックしてみたら、それが小屋のオヤジ
さんと判明!あまりの懐かしさに、さっそくメッセージを送ると、懐かしいペースの
返事が返ってきた。
先代のオヤジさんにはずいぶん可愛がってもらい、胸もだいぶ揉まれた(苦笑)!今の
オヤジさんはその頃は専務さんだった。どっしり構える先代をちゃきちゃきとサポート
なさってて、この方で山荘はもってるんだなぁ、とひと目で分かるストライクゾーン広そうな
感じの人だった。
毎年、多いときは150人が一気にお世話になっていた。高山病になる方や、トイレに
行ったら寝る場所がなくなったと夏の富士山らしい苦情などで、私たちはほぼ徹夜で
対応する。そんな私たちに付き合って、一晩中、火鉢の横で起きていてくれた先代と
現オヤジさん。
遊びにおいで!って返ってきて、無性に行きたくなってきた。杖に焼き印押してた
じいちゃんはもう亡くなっただろな。先代もいないしな。今年の夏は小屋で特別に
93年7月
当時専務だったオヤジさんは、今、一番えらいさん!
先代のオヤジさんにはとても可愛がってもらった。これ何気に胸揉んでる???
懐かしいお客さんの顔~~♬
左の方とはあちこちいっぱい歩きに行ったけど、ある時は化粧箱入りのどぶろく持参で
来て「これ小屋まで持って」とか、ある時は「孫の面倒頼むわ」と小学生の聞かん子を
残して先に登って行ったり、ある時はカナダで買ったとやらのファンファ~ンと音がする
機関車のキーホルダー持参で夜行バスに乗り込み、一晩中うるさかったり・・・、毎回
社会に体育を広め健康的な生活をしましょう!と発足した財団法人、夏恒例の
富士登山も、安心安全がキャッチフレーズで、大阪府医師会からドクターにも
参加していただき、7合目まで登ってもらっていたという・・・。今でもなかなか
今でこそ、大人数での登山は否定されているけれど、昔は当たり前だった。五合目で
解散し、翌日お昼に会いましょう!ってホッタラカシ・アンビリーバボーの「富士登山」
バスツアーだって普通にあった。遭難という言葉がまだまだ薄かったというか、登山は
自己責任というのが当然の世の中だった。というか、登山と旅行の線引きが旅行業界に
まだ明確に考えられていなかったのかもしれない・・・。
そんななか、私が手伝っていた財団法人は、ドクター付き、10名に1人の指導員付き、
人数点呼は各所で欠かさず、というのがウリだった。多い時はバス3台分150名の
ご参加者がいて、皆さんの所在が把握できるよう、指導員は皆、無線で連絡を取り合い、
コース中なんヶ所かに置くチェックポストでゼッケン番号のチェックをし、全番号が下山
したことを確認するまで、上部のチェックポストの指導員は下山しない、という方法を
とっていた。
私は指導員の中でも若かったので、先頭で山頂へ先導し、着後は、番号のチェック係が
あてられた。チェックするだけ、簡単やん!と思ったあなた!!登山歴、浅いですね!
夏とはいえ、富士山の山頂、しかも夜明け前の冷え込みと言ったら恐ろしく寒い。
最初に登ってきた登山者と、最後に下山する登山者の時間差が数時間あり、その間は
動くことなく、ず~~っと写真のようにうずくまり、ひたすら数字をチェックする。
全員が山頂を下りても、私は下山できない。下の9合目くらいだったか、のチェックで
全員の通過が確認できなければ、その間で何か起こってる可能性もあるので、私は
山頂待機となってしまう・・・。そうなると、若い男性スタッフは行方不明者を見つけるべく、
登ったり下ったり、小屋のトイレで大声で呼んでみたり・・・。
ゼッケンも、これまた難儀なのである。
皆、寒い暑いで服を脱いだり着たり・・・。カッパに安全ピンはイヤ(=ごもっとも)と、
中の服につけてる人が大半だし、しんどくて自分の番号なんて覚えてないし・・・。
聞いた番号が間違ってたら、また誰がおらん、と大騒ぎになったりするので、チェッカーが
自分の目で確認するのが原則・・・。
また、真っ暗な中歩くので、どの人が私たちのお客さんというのも分かりにくい・・・。
何年も続ける中で、失敗を重ね、何度も何度もミーティングをし、様々な知恵と工夫を
してきた、夏の富士登山。思い出すだけでも涙が出てきそうなくらい懐かしい。
毎年毎年通っていたので、オヤジさんがハッピをくれた💛 当然、今も家にある!
私の隣のおじいちゃんは、財団法人が作った「山の会」の最年長さんにして、富士登山の
常連さん。富士山には高齢者番付表というのがあって、山頂の浅間神社で自筆登録した
高齢者から、その一年間(実質7,8月の2カ月)の横綱、大関と番付が決まる。この方は
西の大関まで上り詰めた方。奥さんともども、何度かご一緒させていただいた。
指導員の面々
無理な日程の安いバスツアー登山ではなく、新幹線を使って、身体のダメージを極力
ないように企画されたツアー。もちろん、財団法人が募集するが、旅行会社に手配を
委託する形で、業法もきちんと守られていた。世の中がどんどん、安くて無茶な山行を
する傾向にあったあの頃においては、非常に節度ある会社だったと思う。
財団法人の理事長(=トップ)は、岳界では知る人ぞ知るクライマー、福島博憲さん。
69年にはマッターホルン北壁単独登攀日本人初(世界第3登)、71年キナバルローズ
ガリー登攀、73年エベレスト遠征南西壁隊隊員など、山も社会活動もどちらもすごい
人なのである・・・。
が、私にはただの高ピーなガマガエルにしか思えなかったというから、私も若かった(笑)!
この会での仕事が私のガイドの仕事の原点。