山城が面白い!! | 森中あゆみの「山と薬膳で、ココロとカラダをまるごと養生♩」

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「世界の国の人と自然」を愛するヨメが
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日々のつれづれを発信します。

先日のNHK歴史秘話ヒストリアは、戦国の山城の会でした。
歴史はそんなに得意ではないので、スルーしかけていましたが、知人がウォーキング

中にインタビューを受けたので出ると思うから見てね!と言われていたので、一応、

見る体制でいた。

そしたらば・・・。

最初、七尾城址を細かく紹介するではないの!!
七尾城址と言ったら、私がこれまで訪ねた山城の中で、一番気に入ったところ。

で、1時間、見入りました(笑)!


七尾城址 早春の能登の山歩きのツアーで、2日目に訪れる。

畠山氏の山城で、日本屈指の規模。

広大な敷地に広がる曲輪(住居跡)は、大きな堀切で仕切られている。

七尾城の大手道を上がります。

はろうななお君がイヤホンマイクというの? 皆に聞こえるマイクで案内してくれます。
ななお、山道でのハァハァ息切れもマイクでご案内(笑)!

だって、こんなに深い堀切があるんだもん!!!


もともと、位がさほど高くなかった畠山氏は、家臣から少し軽く見られていたのだろう。

上に立つというよりは、平等な位置に居を構えることで、機嫌を損ねないよう、上手く

上下関係をコントロールしていた。

それが、同じ城内であっても、曲輪と曲輪に深い堀切がある理由である、とのことだ。

主なき城跡には、キクザキイチゲがこっそりと咲いていた。

ところ変わって、滋賀の小谷城址。城主は浅井長政。
ここも、七尾城と同じように、かつての上司だった京極氏の曲輪と、浅井氏の曲輪との

間に深い堀切を作り、京極氏の面目を潰さないようにしていた。

それをお向かいの、ここ、寅御前山で見張るのは・・・、

織田信長の家来であった、木下秀吉、のちの豊臣秀吉。

信長は、これまでの並立的な山城ではなく、求心的な、つまり、絶対的な力を誇示する

トップダウンの山城、小牧城を築いていた。

そして、新旧山城の対決が起こる!

信長は、小谷城の大手道ではなく、谷側から京極氏を攻める。深い堀切があるため、

浅井氏は京極氏へ援軍をスムーズに送れない・・・。それをみて、浅井軍の家来が次々に

降伏。数日後、浅井氏は自害し、織田信長は天下人となる・・・。


新旧山城対決は、信長の求心的な城、つまり、独裁的な権力者に軍配が上がった。


春に行く予定にしている近江八幡市の安土城址は、信長の究極の山城であったそう。

天守閣があり 民や家臣を見下ろす、いや、見守っていた。

やがて、城は山から平地へ移りゆき、山城という形はなくなってゆく。

これまでは、山城に全く興味がなかったので、そんな変遷があったことを勉強していな

った。山に作ったから山城、程度にしか思っていなかったので、今回はとても勉強になった。


今回の番組では、求心的な信長の天下取りが勝利者という流れではあるけれど・・・、

今、思えば・・・、

信長が負かせた浅井氏と、その妻、お市の方の子であるお江は、今上天皇の先祖に

あたる・・・。


とすれば、信長も長い歴史の中では、小さな突起程度に過ぎなかったということになる。
まぁ、天下取りと天皇はまた意味が違うとは思うけれどね・・・。

で、取材中にインタビューを受けた知人?
出てこなかったよ~~~💦💦💦