そして再び、毒たーからの出頭命令?
三鈷の松と五大力の石ころにつられ・・・。
私は南海沿線でじもてぃなんだけど、せっかくなのでありがたく頂戴する。
三鈷の松は、昨年、七夕会で高野山に行ったときに色々調べた。
空海が唐を離れるときに投げた三鈷杵が三つ葉の松の木にひっかかっていたから、
三鈷の松、その地が高野山、という話。
お守り代わりにこの葉を持っているとよいということで、休日後、根本大塔の前には
松葉は殆どない。
白松または白皮松といい、中国が原産だと高嶺会の例会で京大名誉教授の渡辺先生に
教えていただいた。渡辺先生は社叢(神社を囲む森)にお詳しく、本も出しておられる。
空海のころにこの木が既にあったかどうかはさておき、現代ではあちこちに植えられ、
簡単に見ることができるので、三本葉を見て喜ぶ私を一笑されていた。
そういえば、先日も生駒山でワシャワシャ生えていた苦笑!
さてさて、毒たーが行きたいところはというと・・・。
昨夜、チベット料理を食べて最寄り駅に行くまでの道で、チラッとみかけた坐摩神社に
行こうとおっしゃる。やけに気になって、中沢新一さんの『大阪アースダイバー』を開くと、
パッと開いたそのページに、坐摩神社のことが書かれていたのだという。
ホンマかいな!って気もするけれど、そういう話は嫌いじゃない。
ということでまずは、船場の坐摩神社へ。
官幣中社とあって、格の高い神社だ。鳥居は大神神社と同じ三ツ鳥居。
もともとは天満にあった神社がこの地に移転したのだという。
現在は大阪府神社庁があり、一般とは違う神社の格をやはり感じる。
天満の方は今は御旅所とされているようで、場所を教えてもらって、ランチも後回しで
旧淀川をさかのぼる。兵どもが夢の後、ではないけれど、人もさほど訪れないであろう
雰囲気の神社だった。
毒たーの話(=大阪アースダイバー)によると、この辺りは全国の渡辺さん発祥の地
であるとのこと。そういえば、この近くに渡辺さんという知人が住んでるなぁ。
ちょっと興味が出てきて、帰ってからいろいろと調べてみた。
難波津に着いた交易船の荷物は、淀川(現大川)で京へ運搬するために、小さな船に
積み替えられる。それがこの地であった。今の八軒家などがその名残。
平安以前、中世の頃から渡辺津と言われて賑わっていたそう。そうかそうか、熊野詣の
スタート地点あたるもんな・・・。
その流れから、平安後期に渡辺氏が興る。
渡辺氏は、渡辺党と呼ばれる武士となり、水軍として全国に散らばった。毒たーのいう、
この地が渡辺氏の発祥の地とはそういうことのよう。
そして、なななんと、坐摩神社は、移転したというよりも、太閤さんに移転させられたの
だという。大坂城築城の際、土着の力を持つ渡辺党が気に入らなかったのだろうか。
あんなに格式がある神社の移転元が、いくら御旅所になっているとはいえ、裏寂しすぎ、
と思ったのは、そんな太閤さんの力が働いていたからなのかも?
そして、ふと思った!!
私の知人の渡辺さんは、北浜でビルの経営やその他、多彩な事業を精力的にこなして
いて、いつも感心させられるのだけれど、それってひょっとして、彼女の血の源が
この地であるがゆえなのではないかと…。渡辺氏が本来いるべき場所だからこそ、
お仕事も成功し、あんなに力強く活き活きしているのだと…。
それは考えすぎ、って思ってもらってもいいねんいいねん。
間違ってるって証拠だってないんだし(笑)!
歴史のロマンってよく耳にするけれど、こういいうことを言うんじゃないのかな?
春にやろうと思っているワンコインで健康ウォーク@旧淀川を歩く、は、まさしく今日
歩いたこの地であり、今から、どのタイミングでどんな風に話そう?と妄想しまくり!
実は、御旅所を訪ねた後、千里のみんぱくにいって、アイヌのことを勉強したのだけど、
大阪ネタのテーマがディープすぎて、北海道のことにまで想いが強く至らなかった。
太陽の塔を見て、ブータンの話にもなったのだけれど、それもテーマとしては大きすぎ
この日の私には飽和状態。
いやはや、毒たーの罠にまんまとかかった同窓会の翌日でした。
『大阪アースダイバー』買わなっ!